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序章:帝都の夜
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「ええい、どうしたものか」
ハンス卿は腰を上げると、琥珀製の杖を大理石の床にけたたましく響かせながら廊下を歩く。
人の姿を見たかと思えば、それは彫刻や肖像画。それまでに誰一人として姿を見せない。
「衛兵はどうした?」
玄関に衛兵二人が常駐しているのを思い出したハンス卿は、手すりに縋るようにして階段を下っていく。
確かに暗がりの玄関の隅に、じっと立つ二人の影があった。
「衛兵、衛兵!」
徐々に足腰の衰えるハンス卿にとって、階段の上がり降りは特に酷だった。
主人の困窮した姿を認めれば駆け寄ってくるのが常識だが、玄関に立つ二人はまるで動こうとしない。
それどころか、ハンス卿に気付く素振りさえ見せようとしない。
「おい、私の声が聞こえんのか!」
何とか階段を自力で降りたハンス卿の怒りは絶頂だった。
このままクビにしてやろうかと、衛兵の肩を掴んだその時だ。
「何だ、これは!」
ハンス卿の手に伝わってきたのは、冷たさとガラスのような無機質な感触。
年老いたハンス卿の感覚でさえ、それが生身の人間でないことははっきりとわかった。
「一体、どうなっているのだ!」
雲間から顔を出した月が、狼狽するハンス卿の姿を照らした。
彼の前に立つのは衛兵ではなく、衛兵の姿をした水晶だった。
それも髪の毛の一本に至るまで繊細に表現された彫像だ。
あたかも人間をそのまま水晶に変えたかのようだ。
動揺して視線を反らしたハンス卿が認めたのは、中庭で立ったまま水晶に変わった秘書の姿。
外套をまとい、これから街へ出かけるところだった。彼だけでない。
身分の高低を問わず、屋敷に仕える人間は全て水晶に変わり果ててしまっていた。
「馬鹿な。こんな事が・・・・・・」
起こりうるはずがない。ハンス卿はそう叫びたかった。
だがそれは、現象として有り得ないのではなく、状況として有り得ないという意味だった。
人間を水晶に変えてしまう術を、ハンス卿は知っている。
その術を身に着けた人物をハンス卿は知っている。
だがそれは、この場に絶対にいるはずのない人物だった。
ところがその人物は今、二階に至る階段の上からハンス卿を見下ろしている。
灰色の外套を目深に被り、顔は見えない。
しかしフードの下の闇からは、ハンス卿を狙う炯眼が確かにそこにあるのだと感じさせる。
「お前の仕業か! なぜお前がここにいる!?」
腰を抜かしたハンス卿は激しく相手を詰った。
その声を聞きつけたのか、一階奥の廊下から人が駆け寄って来る気配がした。
不幸中の幸いというべきか、煌びやかな軍服に身を包む、ハンス子飼いの衛兵だった。
「ハンス様! ご無事で?」
偶然にも生き残った衛兵の一人が駆け付けた。
最近屋敷に雇われたばかりの若い衛兵だった。主人を救おうとまっしぐらに進む衛兵。
しかし、階段に背を向けるようにして現れた彼は襲撃者の存在に気付いていない。
「う、後ろを見・・・・・・」
ハンス卿が警告を発しようとした時には遅かった。
燐光を含んだ衝撃波が衛兵の背後を襲った。
部屋中に広がる余波が玄関に飾られていた陶磁器やステンドガラスを尽く粉砕する。
ハンス卿が顔を上げた頃には、水晶に変えられた衛兵が床に倒れて砕け散る。
粉微塵に砕けた破片が月光の中を舞った。襲撃者は突き出した掌を、再び外套の袖に引っ込める。
「貴様は! なぜこんな事をするのだ! 私を殺して何の得があるというのだ! 答えろ!」
理性に訴えかけても、襲撃者は聞く耳を持たない。
階段を下る死の足音が、徐々にハンス卿に近づいて行く。
袖の下から、白い手が再び月光に晒された。
「私を殺せばきっと後悔するぞ! なぜなら貴様は・・・・・・」
襲撃者の掌から燐光の衝撃波が発散されて、ハンス卿の全身を覆う。
ハンス卿は自身の瞳が水晶に変えられていくのを見届けた。
ハンス卿は腰を上げると、琥珀製の杖を大理石の床にけたたましく響かせながら廊下を歩く。
人の姿を見たかと思えば、それは彫刻や肖像画。それまでに誰一人として姿を見せない。
「衛兵はどうした?」
玄関に衛兵二人が常駐しているのを思い出したハンス卿は、手すりに縋るようにして階段を下っていく。
確かに暗がりの玄関の隅に、じっと立つ二人の影があった。
「衛兵、衛兵!」
徐々に足腰の衰えるハンス卿にとって、階段の上がり降りは特に酷だった。
主人の困窮した姿を認めれば駆け寄ってくるのが常識だが、玄関に立つ二人はまるで動こうとしない。
それどころか、ハンス卿に気付く素振りさえ見せようとしない。
「おい、私の声が聞こえんのか!」
何とか階段を自力で降りたハンス卿の怒りは絶頂だった。
このままクビにしてやろうかと、衛兵の肩を掴んだその時だ。
「何だ、これは!」
ハンス卿の手に伝わってきたのは、冷たさとガラスのような無機質な感触。
年老いたハンス卿の感覚でさえ、それが生身の人間でないことははっきりとわかった。
「一体、どうなっているのだ!」
雲間から顔を出した月が、狼狽するハンス卿の姿を照らした。
彼の前に立つのは衛兵ではなく、衛兵の姿をした水晶だった。
それも髪の毛の一本に至るまで繊細に表現された彫像だ。
あたかも人間をそのまま水晶に変えたかのようだ。
動揺して視線を反らしたハンス卿が認めたのは、中庭で立ったまま水晶に変わった秘書の姿。
外套をまとい、これから街へ出かけるところだった。彼だけでない。
身分の高低を問わず、屋敷に仕える人間は全て水晶に変わり果ててしまっていた。
「馬鹿な。こんな事が・・・・・・」
起こりうるはずがない。ハンス卿はそう叫びたかった。
だがそれは、現象として有り得ないのではなく、状況として有り得ないという意味だった。
人間を水晶に変えてしまう術を、ハンス卿は知っている。
その術を身に着けた人物をハンス卿は知っている。
だがそれは、この場に絶対にいるはずのない人物だった。
ところがその人物は今、二階に至る階段の上からハンス卿を見下ろしている。
灰色の外套を目深に被り、顔は見えない。
しかしフードの下の闇からは、ハンス卿を狙う炯眼が確かにそこにあるのだと感じさせる。
「お前の仕業か! なぜお前がここにいる!?」
腰を抜かしたハンス卿は激しく相手を詰った。
その声を聞きつけたのか、一階奥の廊下から人が駆け寄って来る気配がした。
不幸中の幸いというべきか、煌びやかな軍服に身を包む、ハンス子飼いの衛兵だった。
「ハンス様! ご無事で?」
偶然にも生き残った衛兵の一人が駆け付けた。
最近屋敷に雇われたばかりの若い衛兵だった。主人を救おうとまっしぐらに進む衛兵。
しかし、階段に背を向けるようにして現れた彼は襲撃者の存在に気付いていない。
「う、後ろを見・・・・・・」
ハンス卿が警告を発しようとした時には遅かった。
燐光を含んだ衝撃波が衛兵の背後を襲った。
部屋中に広がる余波が玄関に飾られていた陶磁器やステンドガラスを尽く粉砕する。
ハンス卿が顔を上げた頃には、水晶に変えられた衛兵が床に倒れて砕け散る。
粉微塵に砕けた破片が月光の中を舞った。襲撃者は突き出した掌を、再び外套の袖に引っ込める。
「貴様は! なぜこんな事をするのだ! 私を殺して何の得があるというのだ! 答えろ!」
理性に訴えかけても、襲撃者は聞く耳を持たない。
階段を下る死の足音が、徐々にハンス卿に近づいて行く。
袖の下から、白い手が再び月光に晒された。
「私を殺せばきっと後悔するぞ! なぜなら貴様は・・・・・・」
襲撃者の掌から燐光の衝撃波が発散されて、ハンス卿の全身を覆う。
ハンス卿は自身の瞳が水晶に変えられていくのを見届けた。
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