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特別編 記念話はIF、特別話は主人公たちの知りえない話です

おまけ 姫花のこと

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 純の事が特別になったのはいつからだろう。
 小学生の頃のとある夏の日、少女漫画に書かれていたキスを真似した時からだったろうか。
 純の頬に手を添えて、そっと唇を交わした。
 純はけろっとした顔をしていて、すぐにクッキーを食べだしたのを覚えてる。
 ああ、純にとって私とのキスなんてクッキー以下の大したものじゃないんだと、ひどく傷ついた。
 それ以来、どうにか純に私という存在を意識させようと、色々な事を試してきた。
 それが好きだと気づいたのは、中学生になってから。
 他の人と楽しそうに笑う純を見て、心が痛んだ。
 あんな満面の笑みを見たことが無い。
 あんなに楽しそうに話すところを見たことが無い。
 あんなに言葉に気をつけて、優しくする純を見たことが無い。
 それが気に入らなくて、純を叩いてしまったことがある。
 純は叩かれた左頬に手を添えて、涼しい顔で笑っていた。
 純から見た私は、叩かれてすら気にかける必要もない、そんな空気のような存在なんだと胸が張り裂けそうだった。
 けれど純はそんな私に、嫌いにならないで、と、震える声で言ったのだ。
 
 「どうしたの? なんか悲しそう」
 「ううん、ちょっと昔の事思い出しただけ」

 くるりと上を向いた純がこちらをじっと見つめてくる。
 少し茶色い、涼しい瞳。
 大きくて、吊り目でも垂れ目でも無くて、澄んでいて、綺麗な純の瞳。
 まるで空を見ているようで、何を考えているかわからない。

 「昔の私はひどい女だったでしょ?」
 「まさか。 私の方がひどい女だったと思うけど」

 純は私の腕を伝い手を取ると、そっと自分の額に乗せた。
 撫でろ、と、無言の催促だ。
 そのまま髪を撫でてやると、純は私の膝の上で気持ち良さそうに目を細めた。

 純にとって、優しくするのはただの外交手段だ。
 大げさに笑い、必要以上に楽しそうにし、恨みを買わないように気を配る。
 人というものがわからない、純ならではの処世術だ。
 純にとって大抵の人間は空気と同じで、全然興味の無いものだった。
 それ故、距離感を知り仲良くなったと思っていた姫花に、誤解させてしまったのだ。
 いつも通り謝ったはずなのに声が震え、涙が浮かんだのが純は不思議だった。
 ちくりと、ほんの少し心に何か刺さったのを感じた。
 そして姫花に抱きしめられた時、少しだけ心が温かくなるのを感じた。
 その日以来、純にとっての姫花は少しだけ特別な存在になっていた。
 そんな純の事にも気づけずに、ただただ傷つけ、泣かせたのが姫花だった。
 その日以来、姫花にとっての姫花はとても嫌な奴になっていた。
 好きだと意識しながら、好きな相手の事を何も知らない、独りよがりの嫌な奴。
 そのくせ独占欲は強くて、全てを知りたいと思ってる。
 絶対に面倒くさいそんな女に、純は頬を叩かれておきながら嫌いにならないでと泣いたのだ。
 その日以来、姫花にとっての純は友達であり、特別であり、恋愛の対象であり、崇拝の対象になった。
 崇拝という表現が正しいかどうか姫花はわからない。
 ただ、その純粋な精神性に圧倒され、ひどく惹かれてしまったのだ。

 好きも嫌いも無い純は純粋そのものだ。
 ただ自分の思うがままに生きている。
 面倒くさい事態を避けるために最低限のルールには従えど、打算的な判断は絶対にしない。
 好きなものは好き、嫌いなものは嫌いと、はっきりと言える子だ。
 関係を迫った三年生の先輩も、教師という立場を利用して脅そうとした変態教師も、純はきっぱりと突き放した。
 
 誰にでも優しい純は、良く勘違いをさせる。
 もしかしたら気があるんじゃないかと、モテない男たちを惹きつけてしまう。
 危険な目に合いそうになったのも何度かあるが、幸い、心身共に恵まれていた。 
 純は細いながらも力が強く、容赦がない。
 興味無いよとすっぱり言い放ち、それでも詰め寄る男には躊躇なくやり返していた。

 「姫花の手は温かいね」
 「純と触れ合ってるから。 本当は冷え性なんだけどね、私」
 「好きな人と一緒だと温かくなるの?」
 「そうだと思うよ。 そうなってるし」

 純の髪は細くしなやかで手触りが良い。
 クセの強い私の髪と比べるととても素直で、するすると指の間を通り抜ける。
 掴みどころが無い。
 触れられただけじゃクセにもならない。
 本人のような髪だ。
 
 「見て、姫花に撫でられて汗かいてきちゃった」
 「暑いのにくっついてるから。 離れる?」
 「そうじゃなくて、ほら、前髪が汗で張り付いちゃった」

 手を離すと純の言う通り、前髪がおでこに張り付いている。
 わざわざ教えてくれる事が嬉しくて、私はもっと強く純の髪を撫でた。
 純の汗が玉になり、毛先に集まり、頬、顎を伝ってシャツを濡らす。
 しっとりとした純の白い肌と、それを隠すオレンジの下着が透けて見える。
 なんでこんなに色っぽいんだろう。
 ただ無造作に寝ているだけでこうなのだから、他の人には絶対に見せられない。

 「純、その格好で外出てないよね?」
 「出ないよ、普通はもう一枚インナー着てる。 姫花はこっちの方が好きでしょ?」
 「好き。 エッチだから」
 「良かった」

 純はわざと体をくねらせて誘うような動きをするが、今日はその手には乗らない。
 これも純の清純さを守るため、私の理性を守るため。
 永く絶対の関係にするために、時には我慢も必要だ。

 「今日はシないの?」
 「シないよ。 いじわるしてるから」
 「シないんだ、ちょっとクセになってきたのに」

 純は前髪を整えながらそう言った。
 汗に濡れた前髪がいつも通りに整えられる。
 汗程度じゃ、純の前髪を乱すことは出来ない。
 ちょっと手が加わればすぐに元通りだ。

 「お願いします、抱いてくださいっておねだりしたら抱いてあげる」
 「嘘。 私がそんな事言ったら姫花泣いちゃうでしょ?」

 純は鋭い。
 淫らに堕ちきった純が自らの体を慰めながら、お願いします抱いてください、なんて言ってきたら私は罪悪感で死んでしまうだろう。
 純はどこまでも綺麗で、清純じゃなきゃ純じゃない。
 エッチな事をする私に、仕方なく付き合ってくれる純じゃないと。

 「嬉しくて泣いちゃうかも」
 「ふーん。 それなら兄貴のエッチな本読んじゃおうかな」
 「それは絶対にだめ」
 「ほらね」

 純はにこりと笑うと、私の手を握って静かに目を閉じた。
 誘われるまま、キスをする。
 キスをするたび、初めてのキスを思い出す。
 純は忘れてしまっているけれど、私にとっては世界を変えた、革命的なキスだった。
 純には秘密にしておこう。
 私だけが小さい頃から夢中だったなんて、不公平だ。

 「キス、もう何回目?」
 「さぁ? 毎日してるから」
 「正解は十五回目でした」
 「数えてたの?」
 「ううん、適当。 それくらいかなって」
 「回数が大事?」
 「少しだけ。 それだけ姫花が好きになったって事だから」
 「どこで覚えたの? そんなセリフ」
 「少女漫画だよ。 姫花が読んでたやつ」

 私はハッとして純の顔を見る。
 純は、相変わらず涼しい顔でこちらを見ていた。

 「ファーストキスは覚えてる?」
 「幽世村のあれでしょ? 最近だから覚えてるよ」
 「それより前は?」
 「姫花の事が好きになる前のは数えたくないな。 全部、ちゃんと覚えておきたいから」
 「なにそれ、バカみたい」

 純は罵倒されて、嬉しそうに笑っている。
 いつの間にこんな変態になってしまったのか。
 へんなクセがつく前に、私がちゃんと直してあげないと。

 「今日はどこか行く?」
 「姫花の行きたい所ならどこにでも」
 「じゃあ、面白そうな入浴剤が売ってるらしいから買いに行こ」
 「へぇ、どんなの?」
 「カレーの匂いなんだって」
 「なにそれ、変なの」
 「でしょ?」

 カレーの匂いのお風呂は、それはそれは変だろう。
 一生、忘れられないくらいに。
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