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第11章
軍師の横顔
しおりを挟む クラン・クレイターヴ奪還の意思が固まるとその後の動きは素早いものだった。サラン候はすでに挙兵の備を進めたいたようで、数日後には兵を率いてサラン候領を出立することに決定した。
アンリは自領の騎士を率いていなかったため、騎士候のひとりとして軍を率いることはできなかった。
セルシーヴはもともと小さな領地で、多くの兵を擁する土地ではなかった。兄の時代も、わずかな手勢をリュシオンの親衛隊として率いていたに過ぎず、主な役割は将としてのリュシオンの参謀という位置づけだった。
兄が率いていたセルシーヴの者たちは、ノルドからの帰還の際、そのほとんどを失っていた。わずかに残ったものたちは新しく編成されたリュシオンの親衛隊に組み込まれていたが、一軍として扱えるほどの兵力ではなかった。
リュシオンは挙兵に際して、アンリを新たなセルシーヴ候として、兄のいた参謀の地位をそのまま譲り渡す旨を明言した。
皆、若すぎる参謀に驚きを隠せないようだったが、セルシーヴ候として形だけの参謀職だと納得している者も多かった。
ただ、リュシオンとアンリだけが、その地位は名前だけのものにするつもりはないとわかっていた。
サラン候は相変わらずアンリが従軍することを厭っていたようだったが、口に出して反対するようなことはなかった。また、アンリが女だと他に漏らすこともなかった。
サラン地方は豊かな土地で、擁する兵の数も多い。それに加え、サラン候がノルド遠征軍の残兵を率いて自領へ帰還している。その数を合わせると約八千。
リュシオンが挙兵の声を上げると同時に、諸騎士候も呼応し、一万二千。クレイターヴとしては、これまでにない兵の数になった。
「ローザニア軍はおそらく二万はくだらないでしょう」
サラン候の言葉にリュシオンは思わず息を飲んだ。
「二万!」
二万という兵の数はこれまでのクレイターヴとローザニアの戦乱の中では想像できない数だ。十年まえのクレイターヴ独立戦争のときでもせいぜい一万五千程度だったはずだった。
「地方の守備兵までかき集めたということか?」
「それもありますが、各地の騎士候をどれだけ抑えているかということでしょうね。十年前とは比較にならないほど、諸騎士候の信頼が厚いのですよ。皇女将軍殿は」
十年前には、クレイターヴに賛同して独立を目指すとまではいかなった騎士候たちは、積極的には参戦はしなかった。騎士候の鑑のような存在であったクレイターヴ候が叛旗を翻してもおかしくないような状況であることを皆が理解していたからである。そんなクレイターヴに同情する余地も大いにあったのだろう。
そのときには兵を出し渋っていた騎士候たちも、いまでは皇女ロゼ・ヒルデガルドに恭順している。騎士候として仕えるに値する主君なのだ。
サレイ・ド・サランですら、皇女ロゼ・ヒルデガルドにならば、恭順しても良いという選択肢を残していたほどだったのだ。
「二万という兵をそのまま戦場に投入することはできないのではないでしょうか」
アンリはすでに軍師の横顔を覗かせていた。
「ローザニアはクラン・クレイターヴを押さえています。それが裏目にでることもあるはずです」
クラン・クレイターヴを護るために兵を据え置く必要があるのだ。しかも落城させたばかりのため占領下にある領民たちも自分たちに協力的とはいえないだろう。そんななかではクラン・クレイターヴに残さねばならない兵力もばかにはならない。
アンリにはこれまで知らなかったはずの記憶が湧き上がってくるのがわかった。それはセルシーヴのものがもつ記憶の一部なのかもしれなかった。歴代のアンリの中にいるときの感覚のようにはっきりしたものではないが、兄ならばこう考えたはずだという思考の流れが、湧き水のように溢れてくる。
きっと兄も独立戦争から十年の間、こうやってアンリの記憶を引き継ぎながら戦いを続けてきたに違いないのだ。
「東部のリフランにおびきだすことはできないでしょうか」
「いや、できるだけクラン・クレイターヴから引き離し、このサランまで引きつけたほうがいい」
「そうなると、ローザニア兵がここにくるまでにいくつかの騎士候領を通らねばなりません」
「ローザニアでは略奪は厳しく禁じられているさ」
「それでも食料が足りなくなれば接収せざるを得ないでしょう。リフランであれば、彼らはローザニアから兵站を伸ばして自国から兵糧を調達しようとするでしょう」
戦は避けられないとしても、クレイターヴの民への影響をできるだけ抑えたい。それがアンリの考えだった。
「そんな甘い考えだと、勝利はおぼつかない」
サラン候の言葉は冷ややかだった。それでも、リフランでの戦いについて検討を進めている。
「いえ、リフランには地の利があります」
アンリはリュシオンとサラン候に戦術の詳細を話し始めた。
二日後、リフランにクレイターヴ軍の姿があった。
アンリはリュシオンに進言して、東のローザニアと西のクレイターヴを結ぶ最短の経路であるログラム街道を封鎖した。サラン候領から一万二千の兵を急行させ、一息にその街道の警備にあたっていた兵たちを屈服させたのである。
これに慌てたのはクラン・クレイターヴの城を占拠していてローザニア帝国軍である。ローザブルグへ繋がる大動脈を押さえられたということは、一息に喉もとに刃をつきつけられたも同然だからである。
また、クレイターヴの軍はサランで決起するだろうと考えていたことも油断につながった。
実際決起そのものはサランだったが、その後の行軍の速さが尋常ではなかった。クラン・クレイターヴを大きく東に迂回しログラム街道を封じたのである。その軍をそのままじわじわとクレイターヴ側に攻め上がり、陣を置いた場所がリフランだった。
この作戦にはひとつの賭けがあった。ローザブルグから援軍があった場合、クラン・クレイターヴを占領している軍と挟み撃ちになる危険性が高いのである。
しかしアンリは、二万という兵を率いてきたことからして、これ以上の援軍を送る余地はいかにローザニア帝国といえど持ってはいまいと判断し、この作戦に打って出た。
ローザニア帝国軍は、一万五千の兵をリフランに振り向けた。やはりクラン・クレイターヴの守備のために、いくばくかの兵を残留させる必要があったのだ。
これに対して、リフランに投入したクレイターヴ軍は、ほぼ全数である。サランに残留したのは百人ほどの老兵と少年兵のみ。敗戦の場合には戦わず、降伏する旨をきつく申し渡して出陣してきた。
クレイターヴ軍が総力であたったとしてもその数一万二千、余力を残して陣を展開するローザニア軍は一万五千。それでもクレイターヴの不利はかわらない。
「もう少し、クラン・クレイターヴに残してくれるとありがたかったんだがな」
「五千を残留させただけでも大きいと思いますよ」
リュシオンの軽口に答えながら、アンリは敵の布陣を確かめた。
一方、ローザニア軍には計算外のことばかりが起こっていた。クラン・クレイターヴで小規模な暴動が繰り返されるようになったからである。
ひとつひとつの騒ぎは決して大きいものではなかった。そのほとんどが食料庫の襲撃であることからして、民衆の憤懣が溜りきったことによる暴発だと思われた。問題は、その実行犯をまったくとらえることができないということだ。警備が手薄になっている地域に限って、暴動が発生する。実に手際よく襲撃が実行され、兵が差し向けられたころには、もぬけの殻と言った具合だ。
城から情報が漏れているは間違いないが、城からクレイターヴの人間をすべて追放したら、すぐに立ち行かなくなるのは目に見えている。
食料が足りなくなるから、領民からの接収が厳しくなり、また領民への配給は減らされる。それに憤った領民が食料庫を襲うと言った悪循環が際限なく繰り返されるようになったのだ。
そこへ持ってきてログラム街道の封鎖である。
皇女はここが雌雄を決するときと判断し、出陣を命じたが、クラン・クレイターヴをこのままにしておくべきではないとの進言もあり、五千の兵に残留を命じ、秩序の回復を任せ、リフランへ出撃したのである。
アンリは自領の騎士を率いていなかったため、騎士候のひとりとして軍を率いることはできなかった。
セルシーヴはもともと小さな領地で、多くの兵を擁する土地ではなかった。兄の時代も、わずかな手勢をリュシオンの親衛隊として率いていたに過ぎず、主な役割は将としてのリュシオンの参謀という位置づけだった。
兄が率いていたセルシーヴの者たちは、ノルドからの帰還の際、そのほとんどを失っていた。わずかに残ったものたちは新しく編成されたリュシオンの親衛隊に組み込まれていたが、一軍として扱えるほどの兵力ではなかった。
リュシオンは挙兵に際して、アンリを新たなセルシーヴ候として、兄のいた参謀の地位をそのまま譲り渡す旨を明言した。
皆、若すぎる参謀に驚きを隠せないようだったが、セルシーヴ候として形だけの参謀職だと納得している者も多かった。
ただ、リュシオンとアンリだけが、その地位は名前だけのものにするつもりはないとわかっていた。
サラン候は相変わらずアンリが従軍することを厭っていたようだったが、口に出して反対するようなことはなかった。また、アンリが女だと他に漏らすこともなかった。
サラン地方は豊かな土地で、擁する兵の数も多い。それに加え、サラン候がノルド遠征軍の残兵を率いて自領へ帰還している。その数を合わせると約八千。
リュシオンが挙兵の声を上げると同時に、諸騎士候も呼応し、一万二千。クレイターヴとしては、これまでにない兵の数になった。
「ローザニア軍はおそらく二万はくだらないでしょう」
サラン候の言葉にリュシオンは思わず息を飲んだ。
「二万!」
二万という兵の数はこれまでのクレイターヴとローザニアの戦乱の中では想像できない数だ。十年まえのクレイターヴ独立戦争のときでもせいぜい一万五千程度だったはずだった。
「地方の守備兵までかき集めたということか?」
「それもありますが、各地の騎士候をどれだけ抑えているかということでしょうね。十年前とは比較にならないほど、諸騎士候の信頼が厚いのですよ。皇女将軍殿は」
十年前には、クレイターヴに賛同して独立を目指すとまではいかなった騎士候たちは、積極的には参戦はしなかった。騎士候の鑑のような存在であったクレイターヴ候が叛旗を翻してもおかしくないような状況であることを皆が理解していたからである。そんなクレイターヴに同情する余地も大いにあったのだろう。
そのときには兵を出し渋っていた騎士候たちも、いまでは皇女ロゼ・ヒルデガルドに恭順している。騎士候として仕えるに値する主君なのだ。
サレイ・ド・サランですら、皇女ロゼ・ヒルデガルドにならば、恭順しても良いという選択肢を残していたほどだったのだ。
「二万という兵をそのまま戦場に投入することはできないのではないでしょうか」
アンリはすでに軍師の横顔を覗かせていた。
「ローザニアはクラン・クレイターヴを押さえています。それが裏目にでることもあるはずです」
クラン・クレイターヴを護るために兵を据え置く必要があるのだ。しかも落城させたばかりのため占領下にある領民たちも自分たちに協力的とはいえないだろう。そんななかではクラン・クレイターヴに残さねばならない兵力もばかにはならない。
アンリにはこれまで知らなかったはずの記憶が湧き上がってくるのがわかった。それはセルシーヴのものがもつ記憶の一部なのかもしれなかった。歴代のアンリの中にいるときの感覚のようにはっきりしたものではないが、兄ならばこう考えたはずだという思考の流れが、湧き水のように溢れてくる。
きっと兄も独立戦争から十年の間、こうやってアンリの記憶を引き継ぎながら戦いを続けてきたに違いないのだ。
「東部のリフランにおびきだすことはできないでしょうか」
「いや、できるだけクラン・クレイターヴから引き離し、このサランまで引きつけたほうがいい」
「そうなると、ローザニア兵がここにくるまでにいくつかの騎士候領を通らねばなりません」
「ローザニアでは略奪は厳しく禁じられているさ」
「それでも食料が足りなくなれば接収せざるを得ないでしょう。リフランであれば、彼らはローザニアから兵站を伸ばして自国から兵糧を調達しようとするでしょう」
戦は避けられないとしても、クレイターヴの民への影響をできるだけ抑えたい。それがアンリの考えだった。
「そんな甘い考えだと、勝利はおぼつかない」
サラン候の言葉は冷ややかだった。それでも、リフランでの戦いについて検討を進めている。
「いえ、リフランには地の利があります」
アンリはリュシオンとサラン候に戦術の詳細を話し始めた。
二日後、リフランにクレイターヴ軍の姿があった。
アンリはリュシオンに進言して、東のローザニアと西のクレイターヴを結ぶ最短の経路であるログラム街道を封鎖した。サラン候領から一万二千の兵を急行させ、一息にその街道の警備にあたっていた兵たちを屈服させたのである。
これに慌てたのはクラン・クレイターヴの城を占拠していてローザニア帝国軍である。ローザブルグへ繋がる大動脈を押さえられたということは、一息に喉もとに刃をつきつけられたも同然だからである。
また、クレイターヴの軍はサランで決起するだろうと考えていたことも油断につながった。
実際決起そのものはサランだったが、その後の行軍の速さが尋常ではなかった。クラン・クレイターヴを大きく東に迂回しログラム街道を封じたのである。その軍をそのままじわじわとクレイターヴ側に攻め上がり、陣を置いた場所がリフランだった。
この作戦にはひとつの賭けがあった。ローザブルグから援軍があった場合、クラン・クレイターヴを占領している軍と挟み撃ちになる危険性が高いのである。
しかしアンリは、二万という兵を率いてきたことからして、これ以上の援軍を送る余地はいかにローザニア帝国といえど持ってはいまいと判断し、この作戦に打って出た。
ローザニア帝国軍は、一万五千の兵をリフランに振り向けた。やはりクラン・クレイターヴの守備のために、いくばくかの兵を残留させる必要があったのだ。
これに対して、リフランに投入したクレイターヴ軍は、ほぼ全数である。サランに残留したのは百人ほどの老兵と少年兵のみ。敗戦の場合には戦わず、降伏する旨をきつく申し渡して出陣してきた。
クレイターヴ軍が総力であたったとしてもその数一万二千、余力を残して陣を展開するローザニア軍は一万五千。それでもクレイターヴの不利はかわらない。
「もう少し、クラン・クレイターヴに残してくれるとありがたかったんだがな」
「五千を残留させただけでも大きいと思いますよ」
リュシオンの軽口に答えながら、アンリは敵の布陣を確かめた。
一方、ローザニア軍には計算外のことばかりが起こっていた。クラン・クレイターヴで小規模な暴動が繰り返されるようになったからである。
ひとつひとつの騒ぎは決して大きいものではなかった。そのほとんどが食料庫の襲撃であることからして、民衆の憤懣が溜りきったことによる暴発だと思われた。問題は、その実行犯をまったくとらえることができないということだ。警備が手薄になっている地域に限って、暴動が発生する。実に手際よく襲撃が実行され、兵が差し向けられたころには、もぬけの殻と言った具合だ。
城から情報が漏れているは間違いないが、城からクレイターヴの人間をすべて追放したら、すぐに立ち行かなくなるのは目に見えている。
食料が足りなくなるから、領民からの接収が厳しくなり、また領民への配給は減らされる。それに憤った領民が食料庫を襲うと言った悪循環が際限なく繰り返されるようになったのだ。
そこへ持ってきてログラム街道の封鎖である。
皇女はここが雌雄を決するときと判断し、出陣を命じたが、クラン・クレイターヴをこのままにしておくべきではないとの進言もあり、五千の兵に残留を命じ、秩序の回復を任せ、リフランへ出撃したのである。
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