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第十章
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「アーネスティ! ああ、オージュルヌに帰っていたんだな。ちょうど良かった」
長い廊下に日射しが差している。このオージュルヌでは午後になっても、その日射しは強く、磨き抜かれた大理石の床が、白く光りを反射している。呼び止められたアーネスティが振り返ると、その背にある白い羽にも光がきらめいていた。
「なにか用?」
普段から愛想のよくないアーネスティだが、どうやら今日はさらに機嫌が悪いようで、いつもよりも不愛想に返事をすると、呼び止めたほうもちょっとためらいがちに話を続けた。
「…ああ、長殿がおまえを呼んでいた」
「また…」
「おまえも苦労するな。よりにもよって、あんな奴を婚約者に持ったばっかりに」
「婚約なんて、とうに解消したわ」
「それでも、いまだに後見人を引き受けているじゃないか。見かけによらず世話好きなんだな」
「あいつに身寄りがいないのだから、仕方がないでしょう。ほっておくわけにもいかない」
「そういうところが、お人よしだって、言うんだよ」
アーネスティをからかっている者の背にも、同じように大きな白い羽があった。
目の前には自分の背の二倍はありそうな立派な扉がある。アーネスティは、ひとつ溜息をつくと、その扉を控えめに叩いた。
「入れ」
扉の向う側から聞こえたのは、重々しい古びた声だった。
アーネスティが部屋に入ると、その奥には、青銀色の髪を膝の下あたりまで長く伸ばした、美しい羽人がゆったりと座っていた。人間の老人のように皺があるわけでも、背が曲がっているわけでもない。一見すれば、まだ二十代の若者にも見える。ただ、よく見れば、その髪にも肌にも若々しい艶はなく、その瞳は、深い湖の淵のように静かに沈んでいた。
「アーネスティです。ただいま戻りました」
羽人の長の前まで進みでて、膝を折ると、型どおりの挨拶をした。
「息災か?」
「はい、エセルバート様。お気遣いありがとうございます」
「何故、ここに呼ばれたのか、理由はわかるか?」
「いえ、しかとは…。ただ、あの者のことではないかと」
「わかっているではないか」
「では、やはりカーライルが何か?」
「このオージュルヌを抜け出したようだ」
「な…!?」
「その様子だと、いなくなったことに気付いておらなんだか」
「申し訳ありません」
「そなたの監督不行き届きであるな」
「…返す言葉もございません」
アーネスティは、さらに深くこうべを垂れた。
「あの者が、おとなしくしているとでも思っておったか」
「いえ…。しかしながら、カーライルはすでに羽を失くしており、自由にどこへでも行けるわけもないと。これまで通り館で待っているものと…」
「地方の視察で留守がちなそなたに、カーライルを預けたわたしにも落ち度はある」
「エセルバート様、そのようなことは…」
「そなたと、カーライルの婚約を認めたのも、その婚約解消を認めたのも、長であるこのわたしだ。責任はあろう」
「どちらも、わたしの申し出を認めてくださってのことです」
「カーライルの病状は?」
「…良くはありませんでした」
アーネスティが少し唇を噛んでそう答えた。アーネスティが最後にカーライルの姿を見たのは、地方視察でオージュルヌを立つ前の話だ。もう数か月近く前になる。
「羽を切り落したのだ。さもあろう」
「もう、随分と若くなってしまい。十五・六の少年のように見えるかと…」
「…それでも、よく生きながらえているものだ」
長であり、羽人として最も長く同朋を見てきたエセルバートでも、羽を失ってなおこれほどの年月、生き続けている者を知らなかった。
「はい」
絞り出すようなアーネスティの返事に、しばし重苦しい空気が漂った。
長い廊下に日射しが差している。このオージュルヌでは午後になっても、その日射しは強く、磨き抜かれた大理石の床が、白く光りを反射している。呼び止められたアーネスティが振り返ると、その背にある白い羽にも光がきらめいていた。
「なにか用?」
普段から愛想のよくないアーネスティだが、どうやら今日はさらに機嫌が悪いようで、いつもよりも不愛想に返事をすると、呼び止めたほうもちょっとためらいがちに話を続けた。
「…ああ、長殿がおまえを呼んでいた」
「また…」
「おまえも苦労するな。よりにもよって、あんな奴を婚約者に持ったばっかりに」
「婚約なんて、とうに解消したわ」
「それでも、いまだに後見人を引き受けているじゃないか。見かけによらず世話好きなんだな」
「あいつに身寄りがいないのだから、仕方がないでしょう。ほっておくわけにもいかない」
「そういうところが、お人よしだって、言うんだよ」
アーネスティをからかっている者の背にも、同じように大きな白い羽があった。
目の前には自分の背の二倍はありそうな立派な扉がある。アーネスティは、ひとつ溜息をつくと、その扉を控えめに叩いた。
「入れ」
扉の向う側から聞こえたのは、重々しい古びた声だった。
アーネスティが部屋に入ると、その奥には、青銀色の髪を膝の下あたりまで長く伸ばした、美しい羽人がゆったりと座っていた。人間の老人のように皺があるわけでも、背が曲がっているわけでもない。一見すれば、まだ二十代の若者にも見える。ただ、よく見れば、その髪にも肌にも若々しい艶はなく、その瞳は、深い湖の淵のように静かに沈んでいた。
「アーネスティです。ただいま戻りました」
羽人の長の前まで進みでて、膝を折ると、型どおりの挨拶をした。
「息災か?」
「はい、エセルバート様。お気遣いありがとうございます」
「何故、ここに呼ばれたのか、理由はわかるか?」
「いえ、しかとは…。ただ、あの者のことではないかと」
「わかっているではないか」
「では、やはりカーライルが何か?」
「このオージュルヌを抜け出したようだ」
「な…!?」
「その様子だと、いなくなったことに気付いておらなんだか」
「申し訳ありません」
「そなたの監督不行き届きであるな」
「…返す言葉もございません」
アーネスティは、さらに深くこうべを垂れた。
「あの者が、おとなしくしているとでも思っておったか」
「いえ…。しかしながら、カーライルはすでに羽を失くしており、自由にどこへでも行けるわけもないと。これまで通り館で待っているものと…」
「地方の視察で留守がちなそなたに、カーライルを預けたわたしにも落ち度はある」
「エセルバート様、そのようなことは…」
「そなたと、カーライルの婚約を認めたのも、その婚約解消を認めたのも、長であるこのわたしだ。責任はあろう」
「どちらも、わたしの申し出を認めてくださってのことです」
「カーライルの病状は?」
「…良くはありませんでした」
アーネスティが少し唇を噛んでそう答えた。アーネスティが最後にカーライルの姿を見たのは、地方視察でオージュルヌを立つ前の話だ。もう数か月近く前になる。
「羽を切り落したのだ。さもあろう」
「もう、随分と若くなってしまい。十五・六の少年のように見えるかと…」
「…それでも、よく生きながらえているものだ」
長であり、羽人として最も長く同朋を見てきたエセルバートでも、羽を失ってなおこれほどの年月、生き続けている者を知らなかった。
「はい」
絞り出すようなアーネスティの返事に、しばし重苦しい空気が漂った。
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