空の話をしよう

源燕め

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第一章

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「ふう」
 カーライルは、ひとつ溜息をつくと、汗が玉のように張り付いた額を手袋したままの手で拭った。
「しくじったな、たぶん近くだとは思うんだけど、こんなところで迷うなんてな」
 ひとりごとをつぶやくと、草むらから顔をだして、とにかく目の前の丘の上を目指した。高台に出れば、自分の移置が少しわかるかもしれない。
 坂道を歩くと息が切れる。やはりこの十六歳ほどの体では、できることには限りがありそうだった。それでも、道の先が開けている。もう上り坂もそこまでで終わりなのだろう。
 一歩、一歩、坂を上ると、視界が開けた。
 山に囲まれた盆地に、積み木のような建物がぎっちりと詰まっている。
 街を見降ろしていると、その街の縁から、何か黒い鳥のようなものが飛びった。
「あ、あれは!」
 カーライルは思わず走り出した。彼の目の前に広がっていたのは、ずっと目指してきた街だった。

 街にたどりついたのはすでに真夜中になってからで、宿を探すのもままならなかった。慣れない山道を歩いたからなかのか、ぐったりと疲れていたところに、雨に降られた。
 帽子を深くかぶったまま、ふらふらと歩いていると、どうやら町工場が立ち並ぶ界隈のようで、その倉庫の一つに、鍵が開いたままぶら下がっている扉を見つけた。
「悪いけど、お邪魔します…」
 そう言って、中に入ると、隅に埃をかぶった毛布をみつけた。濡れた上着を脱いで、毛布にくるまると、急に眠気が襲ってきた。もう、眼を空けているのもつらく、そのまま意識を手放してしまった。

「ん、ここは…? あ、そうか」
 勝手に入りこんだ倉庫で、目を覚ましたカーライルは、確かに目を開いたはずなのに、暗闇で何も見えなかった。
 こうも真っ暗だとさすがに何もできない。こんなときのためにと、いつも腰につけている小さな物入れをごそごそと探っていると、奥の方で扉が開く重い音がした。
 開いた隙間から、オレンジ色の柔らかい光が差し込んだ。光はそれだけで、扉越しに燃えた外の様子はまだ暗く、夜のようだった。
 少し様子をみたかったカーライルは、さしこんだわずかなあかりを頼りに、物陰に身を潜めえると、ふたつの人影がこちらにむかってきた。
「トーヤ! こんな時間から、作業を始めるっていうの?」
 女の子がぶつくさ言いながら、ランプをかざしている。どうやら、さっきの光はこれのようだ。
「いやなら、リーヤは寝てていいよ。おれ一人でやるからさ」
 後ろから少年の声がした。十二・三歳だろうか、まだ声変わりしていない、高い声だ。その手に持っていた大きな工具箱を、脇に抱えなおし、少女からランプをもぎ取った。その勢いで、結局抱えていた工具箱が落ち、工具を派手に床にばらまいてしまった。
「もう、どうせ一人じゃできないでしょ!」
 リーヤと呼ばれた少女は、転がったスパナやネジを集めた。
「…あと、一週間しかないんだ。リーヤだってわかってるだろ。このままじゃ間に合わないって」
「それは、そうだけど。トーヤ、昨日だってほとんど寝てないじゃない」
「のんびり寝てる時間なんてないんだって、こんなこと話してる時間だってもったいないんだからな!」
 トーヤは、もう一度、工具箱を抱えて、ランプを持つとどんどん奥へ歩いて行った。わずかな灯りが照らし出す光景を見る限り、どうやらここは彼らの倉庫のようだ。
 ばさっと布がまくられる音がすると、二人は機械のようなものの前に座り込み、何やら作業をしはじめた。トーヤの手元をリーヤがランプをかざして照らしている。
「もう、ちょっと奥。右斜めのほうを照らしてくれ」
「こう?」
 トーヤは、手の感覚を集中させていたが、ネジ穴が遠く、光が陰って、うまく回せないようだった。
 少し離れて様子を見ていたカーライルは、どうやら身の危険はなさそうだと思い、二人に近寄ると、後ろから、手のひらに収まるほどのランプでトーヤの手元を照らしだした。
 この小さなランプはカーライルが育った郷で使われていたもので、白くくっきりとした光で照らすことができる。リーヤの手にある黄色味がかった色あいのランプの灯りとは大違いだった。
「誰だ!」
 後ろから強い光で照らされたトーヤは大声で振り返った。
「ああ、悪い、驚かせちまったな。いや、なに、手元が暗くて困っているようだったから」
 カーライルは手元のライトはそのままに、空いた手で頭をかきながら、トーヤに謝った。
「どこから、入ってきたの? 鍵、かかってたでしょ?」
 リーヤがそう聞くと、カーライルは困ってしまった。
「いや、はずれたまま、ぶらさがってたけど…」
「ああ、もう、疲れて鍵かけるの忘れてたのか。兄ちゃん、ハーレの回し者?」
 トーヤは立ち上がると、カーライルの手にあるライトの光を手で遮った。この街には、もしかすると、これほど強い光はないのかもしれない。カーライルは手元の灯りを切り、ひとつ息をついた。
「おれはカーライル。ちょっと探しているものがあってさ、ずっと遠くから来たんだ」
「ハーレの回し者じゃないんだな」
 一方、いまだ厳しい表情を崩していないトーヤが、改めて問いただした。
「悪いが、ハーレという名は初耳だし。おれは、さっきこの街に来たばかりで、右も左もわからないよ」
「そうか。疑って悪かったよ。おれはトーヤ、こっちは妹のリーヤ。おれたち双子なんだ」
 そう言われると、男女の違いはあるのだろうが、ふたりはそっくりだった。
「なあ、そのランプ、ちょっとだけ貸してくれよ」
「ああ、その奥を照らせばいいんだな」
 カーライルはリーヤの前に出ると、トーヤの手元からさらに奥に向け、小さなランプをもう一度ともした。白い光がくっきりと機械の内部を照らし出すと、ふたりが小さく歓声をあげた。
「すごい! こんなに明るいなんて!」
 トーヤはネジを回し、コードを繋ぎ、ギアのかみ合わせを確認しながら、油を差していく。その間にも、ちょっと右だ、手前だとカーライルに指示をだしていた。
「よし、まあ、こんなとこだな! あとは火入れしてみないとわからないか」
 顔をあげたトーヤの鼻の先は、機械油がついて黒くなっていた。
「カーライル兄ちゃん、助かったよ。ありがと」
「いや、たいしたことじゃないよ。トーヤ、拭けよ」
 カーライルが手近にあった布を渡すと、トーヤが笑って投げ返した。
「それ、オイル用の雑巾だぜ。そいつで拭いたら顔中真っ黒になっちまう」
 そう言って、二人で笑っていると、勢いよく倉庫の扉が開き、朝陽が射し込んだ。いつの間にか夜が明けていたらしい。
「トーヤ、カーライルお兄ちゃん! 朝ごはんにしましょう」
 リーヤの姿が見えないと思っていたら、手元を照らすのはカーライルに任せて、食事の準備をしていたようだった。
 
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