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第七章・死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。
7-14・さめない夢
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気がつけば、暗い病室に戻っていた。カーテンで隔離された空間に機械音だけが響く、いつもの病室だった。
痕跡は、何一つ残っていなかった。汗ばんだ体も脱ぎ散らした服もシーツにこぼれた精液も、まるで何もなかったかのように消え失せて、代わりに俺の体は、再び幾本ものチューブとマスクに繋がれていた。
(祐仁さん……っ)
反射的に辺りを見回した。これで彼がここにいなかったら、それこそ俺が都合のいい夢を見ただけだ。もしかしたらその方がよかったのかもしれない。が、残念ながらと言うべきか、彼はちゃんとそこに存在していた。病室の外、花壇の横に立ち尽くして、祐仁さんは窓越しに俺を見つめていた。
目が合った瞬間、あの行為が幻ではなかったことを悟った。さっきまで俺が見つめていた、記憶に焼き付けた瞳と同じ目をしていたから。そしてその瞳が、俺が今まで見たことのない複雑な色を帯びていたから。
早くなる鼓動と呼吸をどうにか抑える。俺はもう今ここで死んでしまってもいいはずなのに、肉体は勝手に生への道を繋いでいく。
静かだ。機械の音や誰かの寝息はかすかに聞こえるけれど、それでも耳が痛いほどに静かだ。あの漆黒の闇とは明らかに違う、いくらかの明度を内包した夜が、俺と祐仁さんの間に重々しく横たわっている。
やがて祐仁さんの唇が、うっすらと開かれた。死刑宣告を待つみたいな気分で発言を待つ。けれど祐仁さんは、しばらく黙って再び口を結んだ。迷っているみたいだ。投げかけて止めた言葉は、罵声だろうか、哀れみだろうか。
「ゆ……」
呼ぼうとした名前は、マスクの奥に吸い込まれて消える。
そのとき遠くの方で、懐中電灯とおぼしき光が見えた。見回りの警備員だ。祐仁さんも気づいたのだろう、焦ったように俺と光を見比べてから、舌打ちをして俺に向き直る。
「御郷っ」
精一杯窓に顔を近づけて、祐仁さんは低めた声でこう告げた。
「また来る。また明日、来るから」
「……」
返事は、できなかった。自分の中でその理由を、口元を覆う忌々しい器具のせいにした。
何度かこちらを振り向きながら、祐仁さんは足音を立てずに去っていく。ペチュニアの花壇の隙間に、さっきまで腕の中にあった背中が消えていく。
それが最後だった。
明け方すぎに、悪夢を見た。
蛍のような光の帯が、暗い国道を流れていく。昔見た灯篭流しを思い出す光だ。群れの中でひときわ光る、一等星みたいな光に目を惹かれる。小さいけれど誰より白く輝くそれが、不意にふらついて、道を逸れる。
息を呑んだ。叫んで手を伸ばそうとした。だけど俺には何もできない。ベッドに縛り付けられたままの俺には、何も。
急ハンドルの回避は間に合わなかった。重くそびえる電柱に、小型の原付が吸い込まれていく。衝撃。破壊音。割れたヘッドライトが飛び散って、光のかけらを地面に振り撒いている。
遠くの方でサイレンが鳴り始めた。耳をつく音が次第に甲高く大きくなって、ブツ切りに止まる。ガラガラと響くストレッチャーの音。早口で誰かが何かを叫ぶ声。緊迫した空気が病棟の方まで流れてきて、俺はうすぼんやりと目を開く。
それからずっと、悪夢が醒めない。
痕跡は、何一つ残っていなかった。汗ばんだ体も脱ぎ散らした服もシーツにこぼれた精液も、まるで何もなかったかのように消え失せて、代わりに俺の体は、再び幾本ものチューブとマスクに繋がれていた。
(祐仁さん……っ)
反射的に辺りを見回した。これで彼がここにいなかったら、それこそ俺が都合のいい夢を見ただけだ。もしかしたらその方がよかったのかもしれない。が、残念ながらと言うべきか、彼はちゃんとそこに存在していた。病室の外、花壇の横に立ち尽くして、祐仁さんは窓越しに俺を見つめていた。
目が合った瞬間、あの行為が幻ではなかったことを悟った。さっきまで俺が見つめていた、記憶に焼き付けた瞳と同じ目をしていたから。そしてその瞳が、俺が今まで見たことのない複雑な色を帯びていたから。
早くなる鼓動と呼吸をどうにか抑える。俺はもう今ここで死んでしまってもいいはずなのに、肉体は勝手に生への道を繋いでいく。
静かだ。機械の音や誰かの寝息はかすかに聞こえるけれど、それでも耳が痛いほどに静かだ。あの漆黒の闇とは明らかに違う、いくらかの明度を内包した夜が、俺と祐仁さんの間に重々しく横たわっている。
やがて祐仁さんの唇が、うっすらと開かれた。死刑宣告を待つみたいな気分で発言を待つ。けれど祐仁さんは、しばらく黙って再び口を結んだ。迷っているみたいだ。投げかけて止めた言葉は、罵声だろうか、哀れみだろうか。
「ゆ……」
呼ぼうとした名前は、マスクの奥に吸い込まれて消える。
そのとき遠くの方で、懐中電灯とおぼしき光が見えた。見回りの警備員だ。祐仁さんも気づいたのだろう、焦ったように俺と光を見比べてから、舌打ちをして俺に向き直る。
「御郷っ」
精一杯窓に顔を近づけて、祐仁さんは低めた声でこう告げた。
「また来る。また明日、来るから」
「……」
返事は、できなかった。自分の中でその理由を、口元を覆う忌々しい器具のせいにした。
何度かこちらを振り向きながら、祐仁さんは足音を立てずに去っていく。ペチュニアの花壇の隙間に、さっきまで腕の中にあった背中が消えていく。
それが最後だった。
明け方すぎに、悪夢を見た。
蛍のような光の帯が、暗い国道を流れていく。昔見た灯篭流しを思い出す光だ。群れの中でひときわ光る、一等星みたいな光に目を惹かれる。小さいけれど誰より白く輝くそれが、不意にふらついて、道を逸れる。
息を呑んだ。叫んで手を伸ばそうとした。だけど俺には何もできない。ベッドに縛り付けられたままの俺には、何も。
急ハンドルの回避は間に合わなかった。重くそびえる電柱に、小型の原付が吸い込まれていく。衝撃。破壊音。割れたヘッドライトが飛び散って、光のかけらを地面に振り撒いている。
遠くの方でサイレンが鳴り始めた。耳をつく音が次第に甲高く大きくなって、ブツ切りに止まる。ガラガラと響くストレッチャーの音。早口で誰かが何かを叫ぶ声。緊迫した空気が病棟の方まで流れてきて、俺はうすぼんやりと目を開く。
それからずっと、悪夢が醒めない。
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