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第七章・死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。
7-11・夜を行く舟の上で
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暗闇の中で、俺は身を起こした。医療機器はすべて消えていた。苦しくはなかった。ぼんやりとあたりを見回しても、目につく物体は何もない。まるで真っ暗な夜の海に、木の葉の舟に乗って浮かんでいるみたいだ。ひとたびベッドの外に足をつけば、そのまま闇の底まで引きずり込まれてしまいそうな気がする。
遠くに、ぽつりと白い光が灯った。灯台のようなそれはみるみるうちに大きくなって、やがて人の形を成していく。俺が流れ着いたのか、それとも彼が流れて来たのか。どちらにせよ俺が祐仁さんの姿を認めたとき、彼はただ口を引き結んで、俺を見つめていた。
言おうと思っていた言葉は、喉の奥でつかえた。祐仁さんの表情には、動揺も困惑も見当たらない。知っているのだ。自分がどうしてここにいるのか。俺が何を望んで、彼を呼び寄せたのか。
手元のシーツを強く掴んだ。本当は、知られたくなかった。けれどもうそんなことを言える段階はとっくに通り越している。他にどうすればよかったのかは、今の俺にはわからない。
ベッドと祐仁さんが、ほど近い距離を保って静止した。祐仁さんはものも言わずにベッドに腰を下ろす。二人分の体重に、鉄製のベッドが悲鳴みたいに軋む。
「……いいんですか」
沈黙に耐えられなくなる前に、俺の方から切り出した。
「わかってるんですよね、もう。ああ違う、そうじゃなくて、幻滅してますか、俺に」
「……御郷」
「当たり前ですよね。でも逃げずにここに来たってことは、同情してくれたってことでしょ。なら期待してもいいですよね。ってか、同意だとみなしますよ、俺は」
「御郷、俺は」
「祐仁さん」
何か言いかけるのを遮って、背中から彼を引き寄せた。抵抗はなかった。目を見も見られもしないように、首元に顔を埋めて小さく呟く。
「思い出をくださいよ」
なんて陳腐で、卑劣な台詞だろう。こんなこと本当は言いたくなかった。本当は。なんだ、本当はって。俺の本当がどうだって、祐仁さんの前ではなんの価値もない。今俺が彼にぶつけているのは、本来彼には何ら関係ない肉欲とエゴだけだ。
こみ上げる反吐を吐き尽くすように、残していた言い訳を絞り出す。
「どうせ俺は、死ぬんだから」
祐仁さんの背が強張った。呼吸を忘れて答えを待つ。あるいはここで、俺の呼吸が止まってしまえばいいと思った。
どこまでも続く闇の中で、祐仁さんの肢体はほのかに光っている。ずっとこの体に触れたかった。祐仁さんがあの窓を越えて、隣に来てくれたのが嬉しかった。でも俺は、自分の意志であの窓の先にいけない。追いかけることもできない。なら、どうしたらいい。遠からずこの世界から消える俺が、祐仁さんを俺のもとに留めておくためには。
刻みつけるしかないじゃないか。彼自身の体と、記憶に。
やがて腕の中に、ふうっと息を吐く感触が伝わってきた。祐仁さんが振り返った。逸らす間もなく合ってしまった目には、歪んだ面の俺自身が映っていた。
「……わかった」
囁くように告げられたその一言に、理不尽にも俺の方が泣きたくなっていた。
遠くに、ぽつりと白い光が灯った。灯台のようなそれはみるみるうちに大きくなって、やがて人の形を成していく。俺が流れ着いたのか、それとも彼が流れて来たのか。どちらにせよ俺が祐仁さんの姿を認めたとき、彼はただ口を引き結んで、俺を見つめていた。
言おうと思っていた言葉は、喉の奥でつかえた。祐仁さんの表情には、動揺も困惑も見当たらない。知っているのだ。自分がどうしてここにいるのか。俺が何を望んで、彼を呼び寄せたのか。
手元のシーツを強く掴んだ。本当は、知られたくなかった。けれどもうそんなことを言える段階はとっくに通り越している。他にどうすればよかったのかは、今の俺にはわからない。
ベッドと祐仁さんが、ほど近い距離を保って静止した。祐仁さんはものも言わずにベッドに腰を下ろす。二人分の体重に、鉄製のベッドが悲鳴みたいに軋む。
「……いいんですか」
沈黙に耐えられなくなる前に、俺の方から切り出した。
「わかってるんですよね、もう。ああ違う、そうじゃなくて、幻滅してますか、俺に」
「……御郷」
「当たり前ですよね。でも逃げずにここに来たってことは、同情してくれたってことでしょ。なら期待してもいいですよね。ってか、同意だとみなしますよ、俺は」
「御郷、俺は」
「祐仁さん」
何か言いかけるのを遮って、背中から彼を引き寄せた。抵抗はなかった。目を見も見られもしないように、首元に顔を埋めて小さく呟く。
「思い出をくださいよ」
なんて陳腐で、卑劣な台詞だろう。こんなこと本当は言いたくなかった。本当は。なんだ、本当はって。俺の本当がどうだって、祐仁さんの前ではなんの価値もない。今俺が彼にぶつけているのは、本来彼には何ら関係ない肉欲とエゴだけだ。
こみ上げる反吐を吐き尽くすように、残していた言い訳を絞り出す。
「どうせ俺は、死ぬんだから」
祐仁さんの背が強張った。呼吸を忘れて答えを待つ。あるいはここで、俺の呼吸が止まってしまえばいいと思った。
どこまでも続く闇の中で、祐仁さんの肢体はほのかに光っている。ずっとこの体に触れたかった。祐仁さんがあの窓を越えて、隣に来てくれたのが嬉しかった。でも俺は、自分の意志であの窓の先にいけない。追いかけることもできない。なら、どうしたらいい。遠からずこの世界から消える俺が、祐仁さんを俺のもとに留めておくためには。
刻みつけるしかないじゃないか。彼自身の体と、記憶に。
やがて腕の中に、ふうっと息を吐く感触が伝わってきた。祐仁さんが振り返った。逸らす間もなく合ってしまった目には、歪んだ面の俺自身が映っていた。
「……わかった」
囁くように告げられたその一言に、理不尽にも俺の方が泣きたくなっていた。
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