91 / 115
第七章・死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。
7-7・最後の一花
しおりを挟む
七月。
入院が少し長引いている。俺にとっては慣れっこの事態だが、家族にとってはどうだろう。退院の日が延びる一日ごとに、俺がもう帰らないような不安にかられると、以前両親が吐露しているのを耳にしてしまったことがある。死は平等に訪れるものだから、いつ奈落に落とされるかはわからないのは誰でも同じだ。けれども俺の歩く道は、他人よりだいぶ崖際に造られている。それこそ気まぐれに風が吹いただけで、木の葉のように落ちてしまいそうなくらいに。
もっとも当の俺は今現在、普段よりずっと軽い気分だ。今俺がいる病室は、もはやひとりで鬱々とするだけの場所じゃない。
七月。祐仁さんが持て余している、大学生の長い夏休みを、俺は少しだけわけてもらっている。
桜の木にセミが止まっている。暑さで覇気のない俺たちに見せつけるみたいに、声を張り上げて鳴いている。実は自分たちの方こそが、あと一週間かそこらで死んでしまう存在のくせに。あの鳴き声は確かメスを呼んでいるんだったっけ。首尾よくコトを成し遂げたとしてその後に訪れる運命を、こいつらはわかった上で鳴いているんだろうか。
「でも、セミって七年間土の下にいたわけだろ」
麦わら帽子を被った祐仁さんが、ホースで水を撒きながら俺の疑問に答えた。
「虫で七年も生きるって、実は相当長生きだよな。一般的なイメージで言えば、虫なんか冬になったら死ぬもんじゃないのか」
「言われてみればそうですね」
「だから満足してるだろ、とまでは言わないけどさ。人生……セミ生最後の一花としてのひと頑張りなんだろ、セミにとっては」
「最後の一花が交尾、ねえ。動物的だなあ」
「動物だからな」
「あれ? 虫って動物でしたっけ」
「んん……? まあ、植物じゃないのは確かだな」
暑さで脳が溶けたような会話を交わしながら、俺は窓に腕を、腕の上に顎を乗せて祐仁さんを眺めている。背中側は冷房が効いているけれど、突き出した頭は直射日光に晒されっぱなしだ。暑い。俺は今、自覚的に体に悪いことをしている。腹を壊すとわかっていながら、冷蔵庫のアイスを食い尽くす子供みたいに。
「でも、セミって冬虫夏草……」
「おーい、祐仁」
弛みまくった脳を、いきなり知らない声が揺らした。驚いて頭を上げる。祐仁さんも意外そうな顔をして、声が聞こえてきた方へと振り向いた。
声の主は、Tシャツに短パン姿の青年だった。後ろに続く男女各一名と、連れ立って俺たちの方へ歩いてくる。誰だろう。首を傾げる俺と反対に、祐仁さんは呆れたように口を開いた。
「なんだ。今さら来たのか、お前ら」
「やー、悪かったって。忙しかったんだよ。でも今後はまた俺らも参加するからさ」
「どうせ、このままじゃ履歴書には書けないとか言われたんだろ」
「いやいや、まあ、確かにそれもあるけど」
わざとらしく肩をすくめた男に、一斉にどっと笑い声が上がる。何がそんなにおかしいんだろう。無意識に、祐仁さんの表情を窺った。眉を寄せて苦い顔を作る彼は、けれど口元だけで僅かに、笑っていた。
窓に隠れて、服の胸元をぐっと掴んだ。できそこないの心臓が、長くて太い針で刺し貫かれている気がした。
入院が少し長引いている。俺にとっては慣れっこの事態だが、家族にとってはどうだろう。退院の日が延びる一日ごとに、俺がもう帰らないような不安にかられると、以前両親が吐露しているのを耳にしてしまったことがある。死は平等に訪れるものだから、いつ奈落に落とされるかはわからないのは誰でも同じだ。けれども俺の歩く道は、他人よりだいぶ崖際に造られている。それこそ気まぐれに風が吹いただけで、木の葉のように落ちてしまいそうなくらいに。
もっとも当の俺は今現在、普段よりずっと軽い気分だ。今俺がいる病室は、もはやひとりで鬱々とするだけの場所じゃない。
七月。祐仁さんが持て余している、大学生の長い夏休みを、俺は少しだけわけてもらっている。
桜の木にセミが止まっている。暑さで覇気のない俺たちに見せつけるみたいに、声を張り上げて鳴いている。実は自分たちの方こそが、あと一週間かそこらで死んでしまう存在のくせに。あの鳴き声は確かメスを呼んでいるんだったっけ。首尾よくコトを成し遂げたとしてその後に訪れる運命を、こいつらはわかった上で鳴いているんだろうか。
「でも、セミって七年間土の下にいたわけだろ」
麦わら帽子を被った祐仁さんが、ホースで水を撒きながら俺の疑問に答えた。
「虫で七年も生きるって、実は相当長生きだよな。一般的なイメージで言えば、虫なんか冬になったら死ぬもんじゃないのか」
「言われてみればそうですね」
「だから満足してるだろ、とまでは言わないけどさ。人生……セミ生最後の一花としてのひと頑張りなんだろ、セミにとっては」
「最後の一花が交尾、ねえ。動物的だなあ」
「動物だからな」
「あれ? 虫って動物でしたっけ」
「んん……? まあ、植物じゃないのは確かだな」
暑さで脳が溶けたような会話を交わしながら、俺は窓に腕を、腕の上に顎を乗せて祐仁さんを眺めている。背中側は冷房が効いているけれど、突き出した頭は直射日光に晒されっぱなしだ。暑い。俺は今、自覚的に体に悪いことをしている。腹を壊すとわかっていながら、冷蔵庫のアイスを食い尽くす子供みたいに。
「でも、セミって冬虫夏草……」
「おーい、祐仁」
弛みまくった脳を、いきなり知らない声が揺らした。驚いて頭を上げる。祐仁さんも意外そうな顔をして、声が聞こえてきた方へと振り向いた。
声の主は、Tシャツに短パン姿の青年だった。後ろに続く男女各一名と、連れ立って俺たちの方へ歩いてくる。誰だろう。首を傾げる俺と反対に、祐仁さんは呆れたように口を開いた。
「なんだ。今さら来たのか、お前ら」
「やー、悪かったって。忙しかったんだよ。でも今後はまた俺らも参加するからさ」
「どうせ、このままじゃ履歴書には書けないとか言われたんだろ」
「いやいや、まあ、確かにそれもあるけど」
わざとらしく肩をすくめた男に、一斉にどっと笑い声が上がる。何がそんなにおかしいんだろう。無意識に、祐仁さんの表情を窺った。眉を寄せて苦い顔を作る彼は、けれど口元だけで僅かに、笑っていた。
窓に隠れて、服の胸元をぐっと掴んだ。できそこないの心臓が、長くて太い針で刺し貫かれている気がした。
3
お気に入りに追加
43
あなたにおすすめの小説


お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

【完結】I adore you
ひつじのめい
BL
幼馴染みの蒼はルックスはモテる要素しかないのに、性格まで良くて羨ましく思いながらも夏樹は蒼の事を1番の友達だと思っていた。
そんな時、夏樹に彼女が出来た事が引き金となり2人の関係に変化が訪れる。
※小説家になろうさんでも公開しているものを修正しています。

僕はお別れしたつもりでした
まと
BL
遠距離恋愛中だった恋人との関係が自然消滅した。どこか心にぽっかりと穴が空いたまま毎日を過ごしていた藍(あい)。大晦日の夜、寂しがり屋の親友と二人で年越しを楽しむことになり、ハメを外して酔いつぶれてしまう。目が覚めたら「ここどこ」状態!!
親友と仲良すぎな主人公と、別れたはずの恋人とのお話。
⚠️趣味で書いておりますので、誤字脱字のご報告や、世界観に対する批判コメントはご遠慮します。そういったコメントにはお返しできませんので宜しくお願いします。
大晦日あたりに出そうと思ったお話です。



【完結】義兄に十年片想いしているけれど、もう諦めます
夏ノ宮萄玄
BL
オレには、親の再婚によってできた義兄がいる。彼に対しオレが長年抱き続けてきた想いとは。
――どうしてオレは、この不毛な恋心を捨て去ることができないのだろう。
懊悩する義弟の桧理(かいり)に訪れた終わり。
義兄×義弟。美形で穏やかな社会人義兄と、つい先日まで高校生だった少しマイナス思考の義弟の話。短編小説です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる