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第七章・死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。
7-4・おやすみの先に
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しょきんしょきんと、錆びかけたハサミの擦れる音がする。茎を選り分ける祐仁さんの動作はよどみなく続く。本当に、大したことのない世間話の後みたいに。
ああ、そうか。薄ぼけた頭の中で俺は思う。つまりは、そんなに真剣に受け取ることではないのだ。いや、彼が嘘を言う人だとは思わないけれど、それはそれとして社交辞令ってものがある。作業終わりに一声かけて、寝起きの俺と一言二言交わすだけでも約束は果たされるのだ。なんだ、そういうことか。自分の中でひとり合点して、跳ねてしまった心臓を落ち着かせる。
でも、そうだとしてもそれはそれで悪くない。知らないうちに彼がいなくならないなら、それだけでいい。
「……本気にしますからね、それ」
「ああ。本気にしていいよ」
「じゃあ……ちょっとだけ、寝ようかな」
「うん。おやすみ」
おやすみ。おやすみ、だって。毎日誰かしらと交わす挨拶だ。消灯のときとか、見舞いに来てくれた人との別れ際。でも祐仁さんの口から放たれたその言葉は、なんだか特別に聞こえた。
窓辺から離れて、すぐ横のベッドに潜り込む。妙に浮つく感覚が、体調悪化の兆しじゃないことを祈りつつ目を閉じた。
夢の中にも、あの人は現れた。
規則正しいハサミの音の中で、あの人はなぜか花壇に水を撒いていた。音と行為が不一致だが、夢なんてそんなものだ。じょうろから放たれた水が土の上に落ちて、そこからいくつもの花が咲く。赤、黄、桃、白、とりどりの花がぽんぽんと音を立てて咲いては枯れる。
窓越しじゃない彼のすぐ横で、俺はその様をじっと見つめていた。
目を開けると、窓の外は暗くなっていた。
一気に意識が覚醒した。慌てて上半身を起こすと、引っ張られた点滴がガタンと鳴る。構わず窓から顔を突き出した。祐仁さんは、もう帰ってしまっただろうか。俺に気を遣って、声を掛けずに行ったのだろうか。
「お。起きたか」
彼は、いた。
祐仁さんはスマホ片手に、ペチュニア咲く花壇のふちに腰かけていた。そして窓辺で呆然としている俺に気づくと、俺の方を振り向いて、少し笑った。
「よかった。もうすぐ面会時間終わるから、どうしたもんかと思ってた」
「……」
「ん?」
声を失う俺を見て、彼は不思議そうに首を傾げる。そう、本当に不思議そうに。俺がなんで驚いてるのか、見当もつかないというふうに。
「……マジで、いてくれたんですか」
「いるって言っただろ。なんだよ、さては信じてなかったな」
「そういうわけじゃ……そういうわけじゃ、ないんですけど」
「……ひょっとして、迷惑だった?」
「いえ!!」
思い切り首を横に振る。しまった。存外に大きな声を出してしまった。祐仁さんはちょっとびっくりした顔をして、それからスマホをポケットにしまい込む。
「ならいいけど。俺だけ本気にしたかと思った」
「そんな……迷惑かけたって言うなら、俺の方です」
「ん? なんで」
「だって、こんな時間までいさせてしまって」
「ああ……いや、それは気にしなくていいよ。俺も……正直、あんまり今、家にいたくないから」
「え?」
ぼそりと呟かれた後半を、俺は耳ざとく聞きつける。あ、と小さく声を漏らして、祐仁さんは口を塞いだ。
ああ、そうか。薄ぼけた頭の中で俺は思う。つまりは、そんなに真剣に受け取ることではないのだ。いや、彼が嘘を言う人だとは思わないけれど、それはそれとして社交辞令ってものがある。作業終わりに一声かけて、寝起きの俺と一言二言交わすだけでも約束は果たされるのだ。なんだ、そういうことか。自分の中でひとり合点して、跳ねてしまった心臓を落ち着かせる。
でも、そうだとしてもそれはそれで悪くない。知らないうちに彼がいなくならないなら、それだけでいい。
「……本気にしますからね、それ」
「ああ。本気にしていいよ」
「じゃあ……ちょっとだけ、寝ようかな」
「うん。おやすみ」
おやすみ。おやすみ、だって。毎日誰かしらと交わす挨拶だ。消灯のときとか、見舞いに来てくれた人との別れ際。でも祐仁さんの口から放たれたその言葉は、なんだか特別に聞こえた。
窓辺から離れて、すぐ横のベッドに潜り込む。妙に浮つく感覚が、体調悪化の兆しじゃないことを祈りつつ目を閉じた。
夢の中にも、あの人は現れた。
規則正しいハサミの音の中で、あの人はなぜか花壇に水を撒いていた。音と行為が不一致だが、夢なんてそんなものだ。じょうろから放たれた水が土の上に落ちて、そこからいくつもの花が咲く。赤、黄、桃、白、とりどりの花がぽんぽんと音を立てて咲いては枯れる。
窓越しじゃない彼のすぐ横で、俺はその様をじっと見つめていた。
目を開けると、窓の外は暗くなっていた。
一気に意識が覚醒した。慌てて上半身を起こすと、引っ張られた点滴がガタンと鳴る。構わず窓から顔を突き出した。祐仁さんは、もう帰ってしまっただろうか。俺に気を遣って、声を掛けずに行ったのだろうか。
「お。起きたか」
彼は、いた。
祐仁さんはスマホ片手に、ペチュニア咲く花壇のふちに腰かけていた。そして窓辺で呆然としている俺に気づくと、俺の方を振り向いて、少し笑った。
「よかった。もうすぐ面会時間終わるから、どうしたもんかと思ってた」
「……」
「ん?」
声を失う俺を見て、彼は不思議そうに首を傾げる。そう、本当に不思議そうに。俺がなんで驚いてるのか、見当もつかないというふうに。
「……マジで、いてくれたんですか」
「いるって言っただろ。なんだよ、さては信じてなかったな」
「そういうわけじゃ……そういうわけじゃ、ないんですけど」
「……ひょっとして、迷惑だった?」
「いえ!!」
思い切り首を横に振る。しまった。存外に大きな声を出してしまった。祐仁さんはちょっとびっくりした顔をして、それからスマホをポケットにしまい込む。
「ならいいけど。俺だけ本気にしたかと思った」
「そんな……迷惑かけたって言うなら、俺の方です」
「ん? なんで」
「だって、こんな時間までいさせてしまって」
「ああ……いや、それは気にしなくていいよ。俺も……正直、あんまり今、家にいたくないから」
「え?」
ぼそりと呟かれた後半を、俺は耳ざとく聞きつける。あ、と小さく声を漏らして、祐仁さんは口を塞いだ。
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