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第七章・死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。
7-3・眠る前の夢
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祐仁さんはそれから、週に二度ほど病院に来るようになった。
正確には、来ていることに俺が気づくようになった、と言った方が正しいだろう。二年に上がってすぐ病院ボランティアを始めたそうだから、今日でおよそ二ヶ月。それだけの期間確かにそこにいたはずの彼を、俺は単なる風景の一部としか捉えていなかったことになる。一度認識してしまえば、身長といい容姿といい、こんなに目立つ人もそうそういないのに。
習慣になりつつある窓際での立ち話で、俺は彼にそんな話を振ってみた。
「人の認知なんて曖昧なもんですね。見えていないだけで、大切なものは目の前の景色に埋もれている、みたいな」
「なんだ、いいこと言うな。格言にするか」
「あはは。語り継いでくださいよ、俺が死んだあとも」
「だから……ああ、もう」
知ったふうに聞いた口をからかわれることすら、少しだけ嬉しかったのはなぜだろう。とにかく週に二度の僅かな時間は、俺にとって大いなる心の慰めになっている。しまいには、彼が病院に訪れるときの、原付のエンジン音を覚えて目を覚ますくらいに。
そのことも祐仁さんに言ってみた。彼は珍しく、声を上げて笑った。
「犬か、お前は」
「忠犬と言ってくださいよ」
「お前が俺に忠実だったことないだろ。しかし、そんなに待ってくれてたんだな」
「ヒマですからね」
「……そこはもっとこう……いや、いいけど」
ツッコミを途中で放棄して、彼はペチュニア(という名前だったらしい、この花は。わざわざ調べて後日教えてくれるあたり、やっぱり律儀な人だという印象は間違っていなかった)の剪定に戻る。花壇からはみだした茎を、一本一本切り落として捨てる。いたずらに背ばかりが伸びた、枯れかけの情けない茎たちだ。なんだか俺みたいですね──なんてことは、頭に浮かんだけれど言わなかった。さすがに彼も反応に困るだろう。以前なら相手構わず放っていた自虐は、そう言えば最近、減った気がする。
祐仁さんと話すのは、楽しい。内容は昨日のテレビとかネットで流行っている動画の話とか、どうでもいいようなことばかりだったけど。何より難病の青年とボランティアの友情とか心の交流とか、そういう綺麗ごとの入る隙がないのがよかった。もちろん彼も彼なりに気を遣ってはいるのだろうが、そんなときの彼は必ず、持ち前の率直さのせいで少しばかり顔に出る。その様を観察できる楽しさが、気分を落とす重力より遥かに勝った。
まあ、しかし、祐仁さんはそもそもボランティアのためにここに来ているわけだから、あまり俺ばかりに構わせるわけにもいかない。彼が作業に戻ったときは、なるべく邪魔をしないように気を付けることにしている。ペチュニアの茎が切って落とされる。ぱちん、ぱちん、と、規則正しいハサミの音。なんだか少し眠たくなってきた。中庭の風は葉桜を揺らして、今日も心地よく吹き込んでいる。
瞼が落ちかけているのを見咎められたか。窓の向こうから、ふっと息つくような笑い声が聞こえた。
「寝ていいよ。っていうか、寝ろ? 寝たいとき寝ないと体に悪いぞ」
「んー……でも」
「でも、じゃない」
「だって……寝たら祐仁さん、起きたとき……帰っちゃってるじゃないですか」
我ながら子供みたいなセリフだと、口に出してからはたと自省する。親にすらしばらくこんなに甘えてみせたことはない。下の弟妹の世話をしながら、病を抱える俺のために尽くしてくれている両親に、年だけでも大人になりつつある俺がいつまでも甘ったれるわけにはいかない。当然、他人である祐仁さん相手ならなおさらだ。
軽く頭を振った。冗談ですよ、と、笑い飛ばしてしまうつもりでいた。だが俺が口を開くより前に、祐仁さんは淡々と手を動かしながら呟いた。
「しょうがねえなあ。じゃ、お前が起きるまでここにいてやるよ」
「え」
なんでもないような顔で差し出されたその提案を、俺は鳩が豆鉄砲を食ったような顔して聞いていた。
正確には、来ていることに俺が気づくようになった、と言った方が正しいだろう。二年に上がってすぐ病院ボランティアを始めたそうだから、今日でおよそ二ヶ月。それだけの期間確かにそこにいたはずの彼を、俺は単なる風景の一部としか捉えていなかったことになる。一度認識してしまえば、身長といい容姿といい、こんなに目立つ人もそうそういないのに。
習慣になりつつある窓際での立ち話で、俺は彼にそんな話を振ってみた。
「人の認知なんて曖昧なもんですね。見えていないだけで、大切なものは目の前の景色に埋もれている、みたいな」
「なんだ、いいこと言うな。格言にするか」
「あはは。語り継いでくださいよ、俺が死んだあとも」
「だから……ああ、もう」
知ったふうに聞いた口をからかわれることすら、少しだけ嬉しかったのはなぜだろう。とにかく週に二度の僅かな時間は、俺にとって大いなる心の慰めになっている。しまいには、彼が病院に訪れるときの、原付のエンジン音を覚えて目を覚ますくらいに。
そのことも祐仁さんに言ってみた。彼は珍しく、声を上げて笑った。
「犬か、お前は」
「忠犬と言ってくださいよ」
「お前が俺に忠実だったことないだろ。しかし、そんなに待ってくれてたんだな」
「ヒマですからね」
「……そこはもっとこう……いや、いいけど」
ツッコミを途中で放棄して、彼はペチュニア(という名前だったらしい、この花は。わざわざ調べて後日教えてくれるあたり、やっぱり律儀な人だという印象は間違っていなかった)の剪定に戻る。花壇からはみだした茎を、一本一本切り落として捨てる。いたずらに背ばかりが伸びた、枯れかけの情けない茎たちだ。なんだか俺みたいですね──なんてことは、頭に浮かんだけれど言わなかった。さすがに彼も反応に困るだろう。以前なら相手構わず放っていた自虐は、そう言えば最近、減った気がする。
祐仁さんと話すのは、楽しい。内容は昨日のテレビとかネットで流行っている動画の話とか、どうでもいいようなことばかりだったけど。何より難病の青年とボランティアの友情とか心の交流とか、そういう綺麗ごとの入る隙がないのがよかった。もちろん彼も彼なりに気を遣ってはいるのだろうが、そんなときの彼は必ず、持ち前の率直さのせいで少しばかり顔に出る。その様を観察できる楽しさが、気分を落とす重力より遥かに勝った。
まあ、しかし、祐仁さんはそもそもボランティアのためにここに来ているわけだから、あまり俺ばかりに構わせるわけにもいかない。彼が作業に戻ったときは、なるべく邪魔をしないように気を付けることにしている。ペチュニアの茎が切って落とされる。ぱちん、ぱちん、と、規則正しいハサミの音。なんだか少し眠たくなってきた。中庭の風は葉桜を揺らして、今日も心地よく吹き込んでいる。
瞼が落ちかけているのを見咎められたか。窓の向こうから、ふっと息つくような笑い声が聞こえた。
「寝ていいよ。っていうか、寝ろ? 寝たいとき寝ないと体に悪いぞ」
「んー……でも」
「でも、じゃない」
「だって……寝たら祐仁さん、起きたとき……帰っちゃってるじゃないですか」
我ながら子供みたいなセリフだと、口に出してからはたと自省する。親にすらしばらくこんなに甘えてみせたことはない。下の弟妹の世話をしながら、病を抱える俺のために尽くしてくれている両親に、年だけでも大人になりつつある俺がいつまでも甘ったれるわけにはいかない。当然、他人である祐仁さん相手ならなおさらだ。
軽く頭を振った。冗談ですよ、と、笑い飛ばしてしまうつもりでいた。だが俺が口を開くより前に、祐仁さんは淡々と手を動かしながら呟いた。
「しょうがねえなあ。じゃ、お前が起きるまでここにいてやるよ」
「え」
なんでもないような顔で差し出されたその提案を、俺は鳩が豆鉄砲を食ったような顔して聞いていた。
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