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第七章・死ぬ前に一度だけ、セックスをしたかったあの人と。
7-2・花の名
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「御郷、ね。ええっと、見たとこ同い年くらいだよな?」
「多分。白瀬さん大学生ですよね」
「……ん? あ、うん。ごめん、よかったら祐仁で」
「え? あ、はい」
思いもよらない返しに一瞬戸惑った。いきなり名前呼びなんて、初対面の距離感としては受け入れがたい。それでも素直に従ったのは、彼がなんだか申し訳なさそうな、僅かに気まずそうな顔をしていたからだ。恐らく何らかの事情があるんだろう。詮索は、しないことにする。
「じゃあ、祐仁さん……は、学生さん?」
「ん、大学二年。こないだ酒飲めるようになったばっか」
「じゃあ俺の一個上だ。俺はまだ、高校も卒業できてないんですけど」
今度は祐仁さんが不思議そうに眉を寄せ、しかしすぐにあぁ、と小さな声を漏らした。俺が今この病棟にいることと併せて、大まかな境遇は理解してくれたのだろう。平静を装っているのも俺への気遣いだ。いらないことを言ってしまったか。空気が重くなる前に話題を変える。
「水やりしてたんですか」
「あ、これか? これは液肥、液体肥料。水は病院の人がやってくれるけど、育てるのは俺たちの担当だから」
「俺たち」
「……一応、たち、なんだよ。実質的には俺ひとりだけど」
お喋りの合間に、裕仁さんは再び液肥を撒き始めている。ラッパ型の花が咲き乱れる花壇は、病棟の壁を取り巻くように延々と続く。これは確かに、ひとりで散布するのはなかなか骨が折れそうだ。
「大変ですね」
「まあな。でも嫌いじゃないから」
「俺も手伝いましょうか。肥料の代わりに点滴ぶちまけちゃうかもですけど」
「……そういう反応しづらいボケはやめてくれ」
「あはは」
軽度のクレームに空笑いで返す。かわいそうな病人と思われるよりは、冗談で顔をしかめられた方がよっぽど気楽だ。特に彼みたいな、病院ボランティアなんて善行に自ら参加するタイプの「いい人」には。
俺の内心なんて露知らず、祐仁さんはじょうろ片手にちょっと眉をしかめる。
「と言うか君、俺なんかとしゃべってていいのか」
「邪魔ですか?」
「いや、そんなことはないけど。でも体調とか体力とか、その、大丈夫なのか」
「ああ。別に、それは」
ベッドサイドの椅子をさりげなく引き寄せる。いつも通りの息切れには、彼に言われるまで気がついていなかった。
「ヒマなんですよ。もし迷惑じゃなければですけど、付き合ってくれたら嬉しいなって」
「いいよ、もちろん。俺ちょっとあっち行ったりこっち行ったりするけど」
「じゃあ遠く行ったときは裕仁さんが叫んでください。俺大声出すと心臓止まるんで」
「だからそういうの、冗談かマジかわかんねえんだよ」
「あははは」
今度は作り笑いじゃない笑みがこぼれた。半分は冗談だが、半分は本当だ。さすがに声を張ったくらいで死ぬようなことはないはずだが、あまり無理をすると後々に響く。無理せず椅子に腰かけて、低めの窓枠に肘をついた。そよぐ風が涼しくて心地いい。
数メートルごとに色を変える花々に、裕仁さんは区画ごとにきっちりと、端から端まで縫うようにして肥料を与えていく。花を避けて地面近くに撒いているところも含め、律儀な性格の人なんだな、というのが見てとれた。薄い青色のシャワーを浴びて、滴を受けた葉がきらきらと光っている。
「これって、なんて花なんですか」
「ん? なんだったっけな。確か、ぺ、ペチュ……? なんとか」
「知らないんですか」
「う……わ、わかんねえよ、花の名前なんて」
「園芸ボランティアなのに?」
「……はは」
やや意地悪な疑問に、返ってきたのは予想と少し違う反応だった。これは深掘りしない方がいいことなんだろうな、と気づく。触れられたくない部分を笑ってごまかすという行為なら、俺にも身に覚えがありすぎる。もっとも彼のそれは俺のと違って、誰もが悟ってしまえるほどに不自然で不器用な笑みだったけれど。
「多分。白瀬さん大学生ですよね」
「……ん? あ、うん。ごめん、よかったら祐仁で」
「え? あ、はい」
思いもよらない返しに一瞬戸惑った。いきなり名前呼びなんて、初対面の距離感としては受け入れがたい。それでも素直に従ったのは、彼がなんだか申し訳なさそうな、僅かに気まずそうな顔をしていたからだ。恐らく何らかの事情があるんだろう。詮索は、しないことにする。
「じゃあ、祐仁さん……は、学生さん?」
「ん、大学二年。こないだ酒飲めるようになったばっか」
「じゃあ俺の一個上だ。俺はまだ、高校も卒業できてないんですけど」
今度は祐仁さんが不思議そうに眉を寄せ、しかしすぐにあぁ、と小さな声を漏らした。俺が今この病棟にいることと併せて、大まかな境遇は理解してくれたのだろう。平静を装っているのも俺への気遣いだ。いらないことを言ってしまったか。空気が重くなる前に話題を変える。
「水やりしてたんですか」
「あ、これか? これは液肥、液体肥料。水は病院の人がやってくれるけど、育てるのは俺たちの担当だから」
「俺たち」
「……一応、たち、なんだよ。実質的には俺ひとりだけど」
お喋りの合間に、裕仁さんは再び液肥を撒き始めている。ラッパ型の花が咲き乱れる花壇は、病棟の壁を取り巻くように延々と続く。これは確かに、ひとりで散布するのはなかなか骨が折れそうだ。
「大変ですね」
「まあな。でも嫌いじゃないから」
「俺も手伝いましょうか。肥料の代わりに点滴ぶちまけちゃうかもですけど」
「……そういう反応しづらいボケはやめてくれ」
「あはは」
軽度のクレームに空笑いで返す。かわいそうな病人と思われるよりは、冗談で顔をしかめられた方がよっぽど気楽だ。特に彼みたいな、病院ボランティアなんて善行に自ら参加するタイプの「いい人」には。
俺の内心なんて露知らず、祐仁さんはじょうろ片手にちょっと眉をしかめる。
「と言うか君、俺なんかとしゃべってていいのか」
「邪魔ですか?」
「いや、そんなことはないけど。でも体調とか体力とか、その、大丈夫なのか」
「ああ。別に、それは」
ベッドサイドの椅子をさりげなく引き寄せる。いつも通りの息切れには、彼に言われるまで気がついていなかった。
「ヒマなんですよ。もし迷惑じゃなければですけど、付き合ってくれたら嬉しいなって」
「いいよ、もちろん。俺ちょっとあっち行ったりこっち行ったりするけど」
「じゃあ遠く行ったときは裕仁さんが叫んでください。俺大声出すと心臓止まるんで」
「だからそういうの、冗談かマジかわかんねえんだよ」
「あははは」
今度は作り笑いじゃない笑みがこぼれた。半分は冗談だが、半分は本当だ。さすがに声を張ったくらいで死ぬようなことはないはずだが、あまり無理をすると後々に響く。無理せず椅子に腰かけて、低めの窓枠に肘をついた。そよぐ風が涼しくて心地いい。
数メートルごとに色を変える花々に、裕仁さんは区画ごとにきっちりと、端から端まで縫うようにして肥料を与えていく。花を避けて地面近くに撒いているところも含め、律儀な性格の人なんだな、というのが見てとれた。薄い青色のシャワーを浴びて、滴を受けた葉がきらきらと光っている。
「これって、なんて花なんですか」
「ん? なんだったっけな。確か、ぺ、ペチュ……? なんとか」
「知らないんですか」
「う……わ、わかんねえよ、花の名前なんて」
「園芸ボランティアなのに?」
「……はは」
やや意地悪な疑問に、返ってきたのは予想と少し違う反応だった。これは深掘りしない方がいいことなんだろうな、と気づく。触れられたくない部分を笑ってごまかすという行為なら、俺にも身に覚えがありすぎる。もっとも彼のそれは俺のと違って、誰もが悟ってしまえるほどに不自然で不器用な笑みだったけれど。
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