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第六章・壊れてしまった物語を美しく終わらせるために、あの図書室で物語を分け合った先生と。
6-11・光の先へ
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気が付くと、光に溢れた場所にいた。
無意識に起き上がろうとして、視界が縦に一周した。肉体の重さはいつの間にか消えている。代わりに与えられたのは、限りなく拡散していくような浮遊感。つまり僕は、戻ってきたのだ。煉獄だか三途川だかは知らないが、とにかく僕の意識が彷徨っていたあの場所へ。
「お疲れ様でした、能交望さん」
聞き覚えのある声に振り返る──いや、体はもうないから物理的にそちらを向いたわけではないが、とにかく意識を声の方へ移す。案の定と言うべきか当然と言うべきか、そこにいたのは例の、僕を下界へと送り込んだ二人組だ。
「情交の直後にお疲れ様、か。直接的すぎて妙な感じですね」
「気に障ったようなら申し訳ありません。これが我々の仕事ですので」
「なるほど。あくまで事務工程の一環としての対応だ、と。貴方なりの処世術というか、ある種の防衛手段とも言えるのかな」
「そうかもしれませんね」
不躾な僕の物言いに、ユージンはちょっと苦笑する。対照的に隣のミゴーは、微笑みを顔に張りつけたまま表情を崩さない。
「ミゴーさん。貴方のそれも、そう?」
「え?」
「見ていたんでしょう、僕たちのセックス。ご感想は?」
「……何がですか?」
おや、と思った。確かに答えづらい問いだろうが、軽口を軽口で受け流すことくらい、彼ならば難なくできそうなものだ。ところがミゴーはそれ以上口を開こうとしない。眉をひそめたユージンがちらりと横顔を覗いても、彼は不自然なくらいに押し黙ったまま、笑顔の仮面を被り続けている。
余計なところに踏み込んでしまったかな。内心で反省する。本当に、最後の最後まで僕の性分は変わらなかった。今になって自省したところで、あるかなきかもわからぬ来世に期待するしかないのだが。
まあ、しかし。僕のこの性質が、多少なりと先生を惹きつける種にもなったのなら。そして最後の最後で、一瞬だけでもあの人と想いを通じ合わせた事実に繋がってくれたなら。
能交望という生命に生まれて、本望と言うものだ。
「で?」
「ん? で、とは?」
「僕はこれからどうすればいいのかな。生贄にでもなるのか、それとも天国に連れて行ってくれるのか、それくらいは教えてもらってもいいでしょう」
「生贄……?」
怪訝そうに考え込んだのち、ユージンはああ、と手を打った。
「そういうのはないですよ。あなたにしてもらったことは何かの対価というわけではなく、それ自体が我々の目的に繋がる行為ですので」
「僕らの、セックスが? 本当に?」
「はい」
「へえ。なんだか気持ちの悪い話ですね。魂の代償とでも言われた方が納得はできたかな」
「申し訳ありません」
「いや。出歯亀ふたりと引き換えに奇跡の顕現をこの身に受けられたなら、むしろ僕が感謝すべきところでしょう」
天使の立ち姿をくるりと一回りして、僕は歩みを止める。こうして見ると二人ともなかなかの男前だ。無論、僕の想い人には届かないが。
「さて。ということは、僕はもう、行くべき場所に旅立つ時が来たのかな」
「そうできるなら、そうするのも一つの手段です」
「あれ。貴方たちが連れていってくれるわけじゃないんですね」
「申し訳ありません。そちらの方面は管轄外でして」
「お役所仕事だなあ。まあいいや。実はさっきからどうも誰かに呼ばれている気がするんだ。まさかこれが悪魔の囁きってことはないでしょう?」
「我々にとっては管轄外ですが。この場所に干渉できるからには、悪いものでないことは保証しますよ」
「よかった。これが貴方たちの言う悪いものだとしても、それはそれで一興だけれど」
光は天から降り注ぎ、僕の魂を暖かく照らしている。お迎えが来た、ってやつだ。あるべき理に従わされるのは少しばかり癪だけど、新しい場所で先生を待つのだと思えば悪くない。
「最後に、いい?」
「はい」
「先生の……、……いや」
言いかけた言葉を、喉元で飲み込んだ。混じりあった肉体を通して、僕が先生に伝えるべきことはすべて伝えた。かくして僕の物語は完結し、先生の物語は続いていく。この先がどうなろうと、外部からの干渉でねじ曲げられたり、あるいは正されたりするいわれはない。僕らの物語は、僕らだけのものだ。
代わりに二人の顔を見渡した。動機はどうあれ彼らには感謝している。彼らが単なるシステムメッセージの擬人化ではなく、もっと人間的な感情を帯びた存在ならば。僕の伝えたいことは、ひとつだ。
「貴方たちの物語が、よき終わりを迎えられますように」
「……っ」
微かに息を詰めたのは、押し黙っていたミゴーの方だった。意外、ではなかった。僕らを通じて何かしらの情念を動かされたのだろうことは、先ほどからずっと予測していた。気にはなるけれど、先を知ることはできない。閉じられた本の続きは二度と読めない。それが、死というものだ。
笑顔を作って二人に手を振った。降り注ぐ光で視界が真っ白に染まる。ああ、やっぱり、あのときと一緒だ。あの最後の一瞬、先生の腕の中で、やっぱり僕は天国を垣間見ていた。だったら僕は、もう何も恐れることはない。
僕が最後に意識したのはそんな、いささか下世話で、限りなく艶めいた感慨だった。
無意識に起き上がろうとして、視界が縦に一周した。肉体の重さはいつの間にか消えている。代わりに与えられたのは、限りなく拡散していくような浮遊感。つまり僕は、戻ってきたのだ。煉獄だか三途川だかは知らないが、とにかく僕の意識が彷徨っていたあの場所へ。
「お疲れ様でした、能交望さん」
聞き覚えのある声に振り返る──いや、体はもうないから物理的にそちらを向いたわけではないが、とにかく意識を声の方へ移す。案の定と言うべきか当然と言うべきか、そこにいたのは例の、僕を下界へと送り込んだ二人組だ。
「情交の直後にお疲れ様、か。直接的すぎて妙な感じですね」
「気に障ったようなら申し訳ありません。これが我々の仕事ですので」
「なるほど。あくまで事務工程の一環としての対応だ、と。貴方なりの処世術というか、ある種の防衛手段とも言えるのかな」
「そうかもしれませんね」
不躾な僕の物言いに、ユージンはちょっと苦笑する。対照的に隣のミゴーは、微笑みを顔に張りつけたまま表情を崩さない。
「ミゴーさん。貴方のそれも、そう?」
「え?」
「見ていたんでしょう、僕たちのセックス。ご感想は?」
「……何がですか?」
おや、と思った。確かに答えづらい問いだろうが、軽口を軽口で受け流すことくらい、彼ならば難なくできそうなものだ。ところがミゴーはそれ以上口を開こうとしない。眉をひそめたユージンがちらりと横顔を覗いても、彼は不自然なくらいに押し黙ったまま、笑顔の仮面を被り続けている。
余計なところに踏み込んでしまったかな。内心で反省する。本当に、最後の最後まで僕の性分は変わらなかった。今になって自省したところで、あるかなきかもわからぬ来世に期待するしかないのだが。
まあ、しかし。僕のこの性質が、多少なりと先生を惹きつける種にもなったのなら。そして最後の最後で、一瞬だけでもあの人と想いを通じ合わせた事実に繋がってくれたなら。
能交望という生命に生まれて、本望と言うものだ。
「で?」
「ん? で、とは?」
「僕はこれからどうすればいいのかな。生贄にでもなるのか、それとも天国に連れて行ってくれるのか、それくらいは教えてもらってもいいでしょう」
「生贄……?」
怪訝そうに考え込んだのち、ユージンはああ、と手を打った。
「そういうのはないですよ。あなたにしてもらったことは何かの対価というわけではなく、それ自体が我々の目的に繋がる行為ですので」
「僕らの、セックスが? 本当に?」
「はい」
「へえ。なんだか気持ちの悪い話ですね。魂の代償とでも言われた方が納得はできたかな」
「申し訳ありません」
「いや。出歯亀ふたりと引き換えに奇跡の顕現をこの身に受けられたなら、むしろ僕が感謝すべきところでしょう」
天使の立ち姿をくるりと一回りして、僕は歩みを止める。こうして見ると二人ともなかなかの男前だ。無論、僕の想い人には届かないが。
「さて。ということは、僕はもう、行くべき場所に旅立つ時が来たのかな」
「そうできるなら、そうするのも一つの手段です」
「あれ。貴方たちが連れていってくれるわけじゃないんですね」
「申し訳ありません。そちらの方面は管轄外でして」
「お役所仕事だなあ。まあいいや。実はさっきからどうも誰かに呼ばれている気がするんだ。まさかこれが悪魔の囁きってことはないでしょう?」
「我々にとっては管轄外ですが。この場所に干渉できるからには、悪いものでないことは保証しますよ」
「よかった。これが貴方たちの言う悪いものだとしても、それはそれで一興だけれど」
光は天から降り注ぎ、僕の魂を暖かく照らしている。お迎えが来た、ってやつだ。あるべき理に従わされるのは少しばかり癪だけど、新しい場所で先生を待つのだと思えば悪くない。
「最後に、いい?」
「はい」
「先生の……、……いや」
言いかけた言葉を、喉元で飲み込んだ。混じりあった肉体を通して、僕が先生に伝えるべきことはすべて伝えた。かくして僕の物語は完結し、先生の物語は続いていく。この先がどうなろうと、外部からの干渉でねじ曲げられたり、あるいは正されたりするいわれはない。僕らの物語は、僕らだけのものだ。
代わりに二人の顔を見渡した。動機はどうあれ彼らには感謝している。彼らが単なるシステムメッセージの擬人化ではなく、もっと人間的な感情を帯びた存在ならば。僕の伝えたいことは、ひとつだ。
「貴方たちの物語が、よき終わりを迎えられますように」
「……っ」
微かに息を詰めたのは、押し黙っていたミゴーの方だった。意外、ではなかった。僕らを通じて何かしらの情念を動かされたのだろうことは、先ほどからずっと予測していた。気にはなるけれど、先を知ることはできない。閉じられた本の続きは二度と読めない。それが、死というものだ。
笑顔を作って二人に手を振った。降り注ぐ光で視界が真っ白に染まる。ああ、やっぱり、あのときと一緒だ。あの最後の一瞬、先生の腕の中で、やっぱり僕は天国を垣間見ていた。だったら僕は、もう何も恐れることはない。
僕が最後に意識したのはそんな、いささか下世話で、限りなく艶めいた感慨だった。
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