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第六章・壊れてしまった物語を美しく終わらせるために、あの図書室で物語を分け合った先生と。
6-3・下界へ
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そんなわけで場所を選ばせてやると言われたとき、真っ先に浮かんだのはあの第二図書室だった。お役所仕事の二人は一も二もなく快諾し、かの地に通ずるという扉を黒い渦の形で顕現させた。
「この渦を越えれば第二図書室に到着し、同時に肉体の再構成が行われます。介助が必要でしたらお声掛けください」
「ありがとう。でも遠慮しておきます。想い人との逢瀬に際して、他人の手を借りるというのも情けない。もっとも起点からしてあなた方の言いなりではあるけれど」
「それは……申し訳ありません」
ユージンと名乗った黒髪が、顔面に僅かなやましさを覗かせる。少し、不思議に思った。
「どうして謝るの。ああ、もしかして嫌味に聞こえちゃいましたか。すみません、これでも感謝してるんだ、本当に」
「いえ。必要なこととはいえ、貴方のプライバシーに踏み入っているのは確かですから」
「プライバシーか。あなた方のような超人間的な存在にも、そんな意識があるんですね。面白いな。虫を番わせる感覚で行っているわけではないのだ、と」
「……それは……」
「ああ、すみません、また。興味が勝って不躾な物言いをしてしまった。また余計なことを言い出さないうちに、行ってくるね」
ぺこりとひとつ頭を下げる。本音から申し訳なさを覚えた、と言うよりは、傍らのミゴーと名乗った方が気になった。僕が余計な言葉を発した瞬間、いや、正確にはユージンが顔を曇らせた瞬間。流れに掉さすがごときミゴーの笑顔が、ほんの少しだけ、人間的な引っかかりのあるかたちに変わったのだ。
興味を惹かれないわけではなかった。おそらく人ならざる彼らの間に、どんな物語が綴られているのだろう。けれど僕の目の前には僕が書き加えるべき物語が横たわっていて、優先すべきも当然、そちらだ。
ばいばい、と軽く手を振ってから、渦の向こうに足を踏み入れた。最後にちらりと見たふたりの表情は、また事務的な笑顔に戻っていた。
境界を越えた瞬間、顔面に風が吹き付けた気がした。窓は閉まっていたからおそらく錯覚だ。気がついたときには、僕は第二図書室の中にいた。隙間の多い本棚。体重をかけると僅かに軋む古い椅子。恐らくもとはアイボリーの、年月に黄ばんだ鍵裂きだらけのカーテン。主のごとく居座っていた僕が消えても、素っ気なくうら寂れた光景はまるで変わっていない。
感動を覚える隙もなく、形作られた手足ががくんと重くなる。病み上がりみたいに重い身体を、本棚に縋ってなんとか支えた。ひとつ気を抜けば今にも崩れ落ちそうだ。肉体とはかくも重力に囚われた物質だったか。生きていたときには得られなかった実感を、ある種の感慨を持って受け止めながら、ようやっと顔を上げたとき。
本棚の隙間から、灰色のスーツが見えた。
以前は甲冑の如く張りつめていたその服は、今はなんだか、物陰に吹き溜まった埃のように見えた。
「この渦を越えれば第二図書室に到着し、同時に肉体の再構成が行われます。介助が必要でしたらお声掛けください」
「ありがとう。でも遠慮しておきます。想い人との逢瀬に際して、他人の手を借りるというのも情けない。もっとも起点からしてあなた方の言いなりではあるけれど」
「それは……申し訳ありません」
ユージンと名乗った黒髪が、顔面に僅かなやましさを覗かせる。少し、不思議に思った。
「どうして謝るの。ああ、もしかして嫌味に聞こえちゃいましたか。すみません、これでも感謝してるんだ、本当に」
「いえ。必要なこととはいえ、貴方のプライバシーに踏み入っているのは確かですから」
「プライバシーか。あなた方のような超人間的な存在にも、そんな意識があるんですね。面白いな。虫を番わせる感覚で行っているわけではないのだ、と」
「……それは……」
「ああ、すみません、また。興味が勝って不躾な物言いをしてしまった。また余計なことを言い出さないうちに、行ってくるね」
ぺこりとひとつ頭を下げる。本音から申し訳なさを覚えた、と言うよりは、傍らのミゴーと名乗った方が気になった。僕が余計な言葉を発した瞬間、いや、正確にはユージンが顔を曇らせた瞬間。流れに掉さすがごときミゴーの笑顔が、ほんの少しだけ、人間的な引っかかりのあるかたちに変わったのだ。
興味を惹かれないわけではなかった。おそらく人ならざる彼らの間に、どんな物語が綴られているのだろう。けれど僕の目の前には僕が書き加えるべき物語が横たわっていて、優先すべきも当然、そちらだ。
ばいばい、と軽く手を振ってから、渦の向こうに足を踏み入れた。最後にちらりと見たふたりの表情は、また事務的な笑顔に戻っていた。
境界を越えた瞬間、顔面に風が吹き付けた気がした。窓は閉まっていたからおそらく錯覚だ。気がついたときには、僕は第二図書室の中にいた。隙間の多い本棚。体重をかけると僅かに軋む古い椅子。恐らくもとはアイボリーの、年月に黄ばんだ鍵裂きだらけのカーテン。主のごとく居座っていた僕が消えても、素っ気なくうら寂れた光景はまるで変わっていない。
感動を覚える隙もなく、形作られた手足ががくんと重くなる。病み上がりみたいに重い身体を、本棚に縋ってなんとか支えた。ひとつ気を抜けば今にも崩れ落ちそうだ。肉体とはかくも重力に囚われた物質だったか。生きていたときには得られなかった実感を、ある種の感慨を持って受け止めながら、ようやっと顔を上げたとき。
本棚の隙間から、灰色のスーツが見えた。
以前は甲冑の如く張りつめていたその服は、今はなんだか、物陰に吹き溜まった埃のように見えた。
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