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第六章・壊れてしまった物語を美しく終わらせるために、あの図書室で物語を分け合った先生と。
6-2・第二図書室
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僕が所属していた文芸部は、旧校舎の四階にある第二図書室を拠点に活動していた。部員は僕こと能交望ただひとり。備品は長机に、教室にあるのと同じ椅子が三つ四つ、蔵書は棚のふたつばかりで、おまけに置かれている本もいまひとつぱっとしない。古い文学全集。時代遅れの啓発書。昔一世を風靡したけれど、今はもう誰も読まなくなった新書の類。そう言った、手に取られることはなくとも廃棄に送るのは諸々の理由で憚られる本たちが、第一図書室の一等地から流れ流れてたどり着く場所。それがこの、薄暗くて埃っぽい第二図書室だった。
けれど僕はこの部屋が好きだった。誰からも忘れ去られたこの部屋は、喧騒を離れて本に浸るのにちょうどいい。教室では許して貰えない、窓の木枠に腰掛けての読書も、四季折々に風の趣があってよかった。廃品二歩前の烙印を押された本たちにしても、開いてみればそこには確かな世界があるものだ。無論、読み進めるうちにそれらが過去の遺物と化した理由も見て取れたが、その理由を外野から読み解く悪趣味もそれはそれである種の楽しみをもたらした。
それに、あとひとつ。
重い木の引き戸が、音を立てて開いた。窓に座って本に没頭しきりの僕も、このときばかりは顔を上げる。夏も近いと言うのに、灰色のスーツを隙なくかっちりと着込んだ倉知先生は、僕の姿を認めるとやたら重々しい表情で頷いた。
かつかつと規則正しい革靴の音。日陰の本棚から今にも朽ち落ちそうな一冊を選び出し、先生は長机の前の席についた。僕の座る窓に一等近い席だ。
「先生」
読んでいたページに指を挟んで、囁くように声をかける。先生は相も変わらず無言で頷くと、椅子を斜めに動かして僕と向き合った。図書室の名は冠してあれど、僕と彼以外には誰ひとりとして訪れない部屋だ。静寂を保つ必然性もさほどないのだが、この融通の利かなさも彼の彼たる所以。杓子定規に合わせて話を続ける。
「この前お勧めしてもらった本、読んできました」
「そうか。早いな」
「それはだって、先生のお勧めだもの。面白かったですよ」
「そうか」
「ええ。特に主人公の白々しい死生観から、明確に作者の思想がこぼれ落ちているところとか、特に」
「……そうか」
先生の眉間が僅かに寄った。求めていた感想じゃないことは百も承知だ。別に、悪いとも思わない。ひねくれて逆張りをしているわけではなく、思ったままを口にしただけだ。先生もそれをわかってくれているから、僕を責めるような真似はしない。期待は、裏切ってしまったかもしれないが。
「それより、ねえ、今日は何を選んだんですか」
「これだ」
「ふうん。それはまた、僕にお勧めしても構わない本?」
「そうだな。私が読了したら貴方に譲ろう」
「やった」
口元に手を当ててくすりと笑う。先生はほんの少し苦笑を返して、それから椅子の向きを戻した。開きっぱなしの本を、風がはらはらとめくる。先生は鬱陶しげにページを戻す。そして僕らはまた、黙って各々の本と向かい合う。
選書を口実に、一冊の本を僕と共有すること。自分が読んだのと同じ文字同じ物語を、僕の血肉にも同じく流し込むこと。それが先生の本当の目的であることに、僕はとうの昔に気が付いている。
もちろん、悪い気分ではなかった。
けれど僕はこの部屋が好きだった。誰からも忘れ去られたこの部屋は、喧騒を離れて本に浸るのにちょうどいい。教室では許して貰えない、窓の木枠に腰掛けての読書も、四季折々に風の趣があってよかった。廃品二歩前の烙印を押された本たちにしても、開いてみればそこには確かな世界があるものだ。無論、読み進めるうちにそれらが過去の遺物と化した理由も見て取れたが、その理由を外野から読み解く悪趣味もそれはそれである種の楽しみをもたらした。
それに、あとひとつ。
重い木の引き戸が、音を立てて開いた。窓に座って本に没頭しきりの僕も、このときばかりは顔を上げる。夏も近いと言うのに、灰色のスーツを隙なくかっちりと着込んだ倉知先生は、僕の姿を認めるとやたら重々しい表情で頷いた。
かつかつと規則正しい革靴の音。日陰の本棚から今にも朽ち落ちそうな一冊を選び出し、先生は長机の前の席についた。僕の座る窓に一等近い席だ。
「先生」
読んでいたページに指を挟んで、囁くように声をかける。先生は相も変わらず無言で頷くと、椅子を斜めに動かして僕と向き合った。図書室の名は冠してあれど、僕と彼以外には誰ひとりとして訪れない部屋だ。静寂を保つ必然性もさほどないのだが、この融通の利かなさも彼の彼たる所以。杓子定規に合わせて話を続ける。
「この前お勧めしてもらった本、読んできました」
「そうか。早いな」
「それはだって、先生のお勧めだもの。面白かったですよ」
「そうか」
「ええ。特に主人公の白々しい死生観から、明確に作者の思想がこぼれ落ちているところとか、特に」
「……そうか」
先生の眉間が僅かに寄った。求めていた感想じゃないことは百も承知だ。別に、悪いとも思わない。ひねくれて逆張りをしているわけではなく、思ったままを口にしただけだ。先生もそれをわかってくれているから、僕を責めるような真似はしない。期待は、裏切ってしまったかもしれないが。
「それより、ねえ、今日は何を選んだんですか」
「これだ」
「ふうん。それはまた、僕にお勧めしても構わない本?」
「そうだな。私が読了したら貴方に譲ろう」
「やった」
口元に手を当ててくすりと笑う。先生はほんの少し苦笑を返して、それから椅子の向きを戻した。開きっぱなしの本を、風がはらはらとめくる。先生は鬱陶しげにページを戻す。そして僕らはまた、黙って各々の本と向かい合う。
選書を口実に、一冊の本を僕と共有すること。自分が読んだのと同じ文字同じ物語を、僕の血肉にも同じく流し込むこと。それが先生の本当の目的であることに、僕はとうの昔に気が付いている。
もちろん、悪い気分ではなかった。
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