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第六章・壊れてしまった物語を美しく終わらせるために、あの図書室で物語を分け合った先生と。
6-1・その人の名前
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暗闇に、光が射したように感じた。
なぜそう感じたのかはわからない。僕の目の前に現れた二人の男はどちらも黒ずくめのスーツ姿で、特に発光物やなんかを手に携えているわけでもない。ただとうに肉体を持たない僕が、本来の感覚器官ではなく精神でものを見ているのだと仮定すれば、光の正体は想像に難くなかった。
「こんにちは、能交望さん」
男の一方、黒髪で目つきの悪い方が、老人詣での公務員みたいな口調で話しかけてくる。
「こんにちは。ずいぶん珍しいですね、こんなところにお客さんなんて」
「お休み中申し訳ありません。あなたに大切なお話があるもので」
「構わないよ、そもそも寝るも起きるも今となってはもう同じものだ。大切なお話って、なんですか」
上も下もない虚無の空間で、気持ちだけでもかしこまる。つまり僕はこの二人は天使もしくは悪魔の類で、自分が今から仏教でいうところの成仏、キリスト教なら帰天・昇天、その他一切の宗教でどう形容されているかは知らないが、ともかく端的に言えば消滅に向かう準備に入るのだと予感したわけだ。
しかして、予感は外れた。黒髪は公務員めいた笑顔を崩さないまま、税金の額でも告げるみたいに言った。
「能交望さん。あなたには、死ぬ前に……あー、消える前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?」
「セックス?」
僕に肉体があったなら、恐らく眉をひそめていただろう。セックス。あらゆる意味で、今の僕にはこの上なく不似合いな言葉だ。
「まあ、いきなりこんなこと言われても、正直意味わかんないとは思いますけど」
黒髪の隣の、妙にへらへらした態度の方が、思考を読んだみたいに言葉をつなぐ。
「細かいことは置いといて、好きに答えてみてください。いるんでしょ? 実際」
「でしょ、と言われても。その話し向きからして、承知の上でここに来たんじゃないんですか」
「あはは、まあまあ」
ぽりぽりと後ろ頭を掻いて、煙に巻くみたいな笑顔をつくる。一つ一つの所作の全てが、当たり障りない受け流しにのみ特化している男だ。そんな印象を受けた。
「それを明かしたところで、僕に何か利点はあるの。実際にその人とセックスさせてくれるとか?」
「端的に申し上げますと、そうです」
「へえ。本当に? 今の僕には肉欲を顕す体もないのに」
「一時的な再構成が許可されています。あなたにとっては、ある意味で酷な話かもしれませんが」
「……ふぅん」
思案のポーズを取ったのは、いいようにされるのに反感を持った、という理由でのみだ。実際のところ、選択の余地はなかった。もはや体も生命も持たない無力な僕は、彼らの提案を受け入れる他にない。光に灼かれる虫みたいに。それが、今の僕があの人に触れられる、唯一の手段である限り。
「まあ、いいか。相手の名前はあえて宣言しておくべき?」
「お察しの通り、お好きなように」
「そうですか。なら儀式として告げさせてもらおうかな」
少し考えて、その人のフルネームを記憶から引っ張り出す。口に出して発音するのはそういえば初めてだ。肉を持たない僕の発声が、口に出す、と形容していい行為なのかはともかく。
「倉知理。相手の名前は、倉知理」
存外呼びやすいその名前を、一度くらい本人に対してもぶつけてやればよかったかな。ふとそんなことが頭に浮かんだ。
なぜそう感じたのかはわからない。僕の目の前に現れた二人の男はどちらも黒ずくめのスーツ姿で、特に発光物やなんかを手に携えているわけでもない。ただとうに肉体を持たない僕が、本来の感覚器官ではなく精神でものを見ているのだと仮定すれば、光の正体は想像に難くなかった。
「こんにちは、能交望さん」
男の一方、黒髪で目つきの悪い方が、老人詣での公務員みたいな口調で話しかけてくる。
「こんにちは。ずいぶん珍しいですね、こんなところにお客さんなんて」
「お休み中申し訳ありません。あなたに大切なお話があるもので」
「構わないよ、そもそも寝るも起きるも今となってはもう同じものだ。大切なお話って、なんですか」
上も下もない虚無の空間で、気持ちだけでもかしこまる。つまり僕はこの二人は天使もしくは悪魔の類で、自分が今から仏教でいうところの成仏、キリスト教なら帰天・昇天、その他一切の宗教でどう形容されているかは知らないが、ともかく端的に言えば消滅に向かう準備に入るのだと予感したわけだ。
しかして、予感は外れた。黒髪は公務員めいた笑顔を崩さないまま、税金の額でも告げるみたいに言った。
「能交望さん。あなたには、死ぬ前に……あー、消える前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?」
「セックス?」
僕に肉体があったなら、恐らく眉をひそめていただろう。セックス。あらゆる意味で、今の僕にはこの上なく不似合いな言葉だ。
「まあ、いきなりこんなこと言われても、正直意味わかんないとは思いますけど」
黒髪の隣の、妙にへらへらした態度の方が、思考を読んだみたいに言葉をつなぐ。
「細かいことは置いといて、好きに答えてみてください。いるんでしょ? 実際」
「でしょ、と言われても。その話し向きからして、承知の上でここに来たんじゃないんですか」
「あはは、まあまあ」
ぽりぽりと後ろ頭を掻いて、煙に巻くみたいな笑顔をつくる。一つ一つの所作の全てが、当たり障りない受け流しにのみ特化している男だ。そんな印象を受けた。
「それを明かしたところで、僕に何か利点はあるの。実際にその人とセックスさせてくれるとか?」
「端的に申し上げますと、そうです」
「へえ。本当に? 今の僕には肉欲を顕す体もないのに」
「一時的な再構成が許可されています。あなたにとっては、ある意味で酷な話かもしれませんが」
「……ふぅん」
思案のポーズを取ったのは、いいようにされるのに反感を持った、という理由でのみだ。実際のところ、選択の余地はなかった。もはや体も生命も持たない無力な僕は、彼らの提案を受け入れる他にない。光に灼かれる虫みたいに。それが、今の僕があの人に触れられる、唯一の手段である限り。
「まあ、いいか。相手の名前はあえて宣言しておくべき?」
「お察しの通り、お好きなように」
「そうですか。なら儀式として告げさせてもらおうかな」
少し考えて、その人のフルネームを記憶から引っ張り出す。口に出して発音するのはそういえば初めてだ。肉を持たない僕の発声が、口に出す、と形容していい行為なのかはともかく。
「倉知理。相手の名前は、倉知理」
存外呼びやすいその名前を、一度くらい本人に対してもぶつけてやればよかったかな。ふとそんなことが頭に浮かんだ。
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