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第五章・きっとこの手の中に戻ってきてくれるはずの、今はまだ遠いお前と。
5-13・選択
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蜘藤がゆらりと顔を上げた。視線がぶつかる。獲物を狙う蜘蛛みたいな、黒くて無機質な瞳。本能的な恐怖で身がすくんだ。現実から逃げるようにきつく目を閉じる。
けれど覚悟した蜘蛛の触肢は、いつまで経ってもオレの元には届かなかった。
「……?」
安堵よりもむしろ疑問を覚えて瞼を上げる。蜘藤は、黙り込んでいた。拳をきつく握りしめて。この教室で過ごしていた頃みたいな、陰鬱な視線でオレを見つめながら。
「……違う。駄目なんだ。佐薙自身に選んでもらわなくちゃ、駄目なんだ」
「え……」
「佐薙。佐薙は、どうしたい」
「どうしたい、って……んな、急に……」
「俺から先に言っておく。佐薙自身が許してくれるのなら、俺は佐薙を抱きたいと思っている」
「なっ……!?」
あまりに直接的な言葉に絶句する。蜘藤の表情は暗いけれど、てらいや迷いは見当たらない。
「お前だって本当はわかっていただろう。あの……吊り橋の幻が言っていた通り。俺はお前のことが好きだ。高校時代からずっと」
「……っ」
「……こんな状況下で初めて伝えるってのも、情けない話だが」
そこまで言って蜘藤は、ちらりと窓の外に視線を向けた。人気のないグラウンドは沈みかけた陽に照らされている。サッカーゴールの影が、地面に長く伸びている。
ふっ、と小さく笑った声が聞こえた。自嘲にも似た蜘藤の声だ。その意味を俺が飲み込むより先に、蜘藤は真顔に戻って言葉を継ぐ。
「その上で聞く。佐薙はどうしたい。この趣味の悪いゲームに乗るのか、乗らないのか」
「そんなん……聞かれたって、オレは……」
「どちらを選ぼうと、俺はお前の選択を尊重する。その上で俺は、佐薙の正直な気持ちを問う」
「あ……ぅ」
情けない声を漏らしながら、並んだ机の一つに尻を預ける。この局面に来てオレに選ばせるのか。ここまでずっと蜘藤の手で引っ張ってきてくれたのに、蜘藤についていけば大丈夫なんだと信じさせてくれたのに、なんで今さら、オレの意志なんか。
蜘藤の目には、オレ自身の弱り切った顔が映っている。黒い瞳の奥にオレが捕らえられているみたいだ。視界がぐらつく。コップの水が溢れるみたいに、記憶がランダムに撒き散らされる。
オレを好きだと告げた蜘藤の声。
吊り橋の上で握った手の温かさ。
渡り廊下で話した蜘蛛の与太話。
極限状況で混乱するオレを、幾度も支えてくれた頼もしい背中。
そして、いつか二人で見上げた満天の星空。
水しぶきのような記憶が、脳の芯までじんわりと染み渡った。
ああ、そうか──そうだった。
オレは初めから、そうするべきだったんだ。
揺らいだ視界が、再び焦点を結びゆく。まっすぐにオレを待っていてくれた、蜘藤の瞳に。
「佐薙は俺のことを、好きでいてくれるか?」
真正面から投げかけられた問いに、はっきりと頷いた。
今のオレにとっては、必然の選択だった。
けれど覚悟した蜘蛛の触肢は、いつまで経ってもオレの元には届かなかった。
「……?」
安堵よりもむしろ疑問を覚えて瞼を上げる。蜘藤は、黙り込んでいた。拳をきつく握りしめて。この教室で過ごしていた頃みたいな、陰鬱な視線でオレを見つめながら。
「……違う。駄目なんだ。佐薙自身に選んでもらわなくちゃ、駄目なんだ」
「え……」
「佐薙。佐薙は、どうしたい」
「どうしたい、って……んな、急に……」
「俺から先に言っておく。佐薙自身が許してくれるのなら、俺は佐薙を抱きたいと思っている」
「なっ……!?」
あまりに直接的な言葉に絶句する。蜘藤の表情は暗いけれど、てらいや迷いは見当たらない。
「お前だって本当はわかっていただろう。あの……吊り橋の幻が言っていた通り。俺はお前のことが好きだ。高校時代からずっと」
「……っ」
「……こんな状況下で初めて伝えるってのも、情けない話だが」
そこまで言って蜘藤は、ちらりと窓の外に視線を向けた。人気のないグラウンドは沈みかけた陽に照らされている。サッカーゴールの影が、地面に長く伸びている。
ふっ、と小さく笑った声が聞こえた。自嘲にも似た蜘藤の声だ。その意味を俺が飲み込むより先に、蜘藤は真顔に戻って言葉を継ぐ。
「その上で聞く。佐薙はどうしたい。この趣味の悪いゲームに乗るのか、乗らないのか」
「そんなん……聞かれたって、オレは……」
「どちらを選ぼうと、俺はお前の選択を尊重する。その上で俺は、佐薙の正直な気持ちを問う」
「あ……ぅ」
情けない声を漏らしながら、並んだ机の一つに尻を預ける。この局面に来てオレに選ばせるのか。ここまでずっと蜘藤の手で引っ張ってきてくれたのに、蜘藤についていけば大丈夫なんだと信じさせてくれたのに、なんで今さら、オレの意志なんか。
蜘藤の目には、オレ自身の弱り切った顔が映っている。黒い瞳の奥にオレが捕らえられているみたいだ。視界がぐらつく。コップの水が溢れるみたいに、記憶がランダムに撒き散らされる。
オレを好きだと告げた蜘藤の声。
吊り橋の上で握った手の温かさ。
渡り廊下で話した蜘蛛の与太話。
極限状況で混乱するオレを、幾度も支えてくれた頼もしい背中。
そして、いつか二人で見上げた満天の星空。
水しぶきのような記憶が、脳の芯までじんわりと染み渡った。
ああ、そうか──そうだった。
オレは初めから、そうするべきだったんだ。
揺らいだ視界が、再び焦点を結びゆく。まっすぐにオレを待っていてくれた、蜘藤の瞳に。
「佐薙は俺のことを、好きでいてくれるか?」
真正面から投げかけられた問いに、はっきりと頷いた。
今のオレにとっては、必然の選択だった。
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