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第五章・きっとこの手の中に戻ってきてくれるはずの、今はまだ遠いお前と。
5-8・飛べない蛹
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オレが動かした脚立の上に、蜘藤は躊躇なく登った。手を伸ばして蜘蛛のコインを嵌め込む。瞬間、穴の周囲がほのかに光った。
「正解、ってことか?」
「恐らくな。これで失敗と言われたらお手上げだ」
「っし。じゃ、あとは蝶のやつだけだな」
「それなんだが、佐薙」
脚立を下りた蜘藤が、そのまますっと床にしゃがみ込む。
「さっきから考えていたんだ。この、地面のレリーフ。枝じゃなくて、葉なんだよ」
「うん?」
オレもその場に身を屈めて、蜘藤の手の先を窺った。確かに彼の言う通り、青々とした葉を象ったレリーフには、先に繋がる枝や幹がひとつも描かれていない。周辺の飾りに目を向けても、それらしいモチーフは見当たらなかった。
「あー、言われてみりゃそうかもな。で?」
「おかしいと思わないか。地に落ちた葉に、蝶は止まらない。そもそも蝶だと断定する根拠も乏しいんだが」
「んだよ、でもサナギっつったら蝶だろ。あー、カブトとかクワガタもか? でもどっちにしろ葉っぱって感じじゃねえし」
「いや」
立ち上がった蜘藤が机の方へと向かい始めたので、オレもアヒルの子みたく後に続いた。並べたコインの中から、蜘藤は迷いなく一枚を手に取った。
「ずっと引っかかってた。佐薙。これ、なんだかわかるか」
「あ? 見して。……んー、蛾だろ?」
「そう。そして蛾の中でも、厳密に言えば」
蜘藤が再び歩き出す。オレの意見や発言なんざ、まるで意に介しちゃいないかのような速足だ。慌てて後を追うオレを待たずに、蜘藤は床に膝をつく。そして止める暇もなく、手にした蛾のコインをレリーフに嵌め込んだ。
「ちょっ……!」
「……蚕。カイコガだ」
穴の周径に、再びぽっと明かりが灯る。同時に天地のレリーフを繋ぐ形で、大きなドアが音もなくその場に現れた。強張った体が一気に弛緩する。うまくいったのか。それにしたってあんまりにも独断が過ぎないか。一言言ってやろうかとも思ったが、考え直して口を結んだ。別に、いいじゃないか。蜘藤一人でも正解を選んでくれるなら、それに越したことはない。
ドアの下敷きになったレリーフを、しゃがんだままの蜘藤がそっと撫でる。
「蚕は桑の葉を食べるんだよ。さらに人間に家畜化されたことによって、身体能力が著しく退化している。一度地面に落ちたら、這い上がることも、飛び立つこともできない」
「……」
「こいつも、このまま死ぬんだ。かわいそうにな。所詮は箱の中から出られない、出てはいけない生き物だったのに」
同情とも嘲りとも取れるような言葉を、蜘藤はただ淡々と呟いた。
「行こう、佐薙」
「……おう」
立ち上がった蜘藤の後に続いて、重たげなドアをおもむろにくぐる。なんとなく、嫌な気分だった。蜘藤が蜘蛛。オレは蝶ではなく、蚕。飛び立てずに蛹のまま死んでいく虫なのだと、誰かに言われているような気がした。
「正解、ってことか?」
「恐らくな。これで失敗と言われたらお手上げだ」
「っし。じゃ、あとは蝶のやつだけだな」
「それなんだが、佐薙」
脚立を下りた蜘藤が、そのまますっと床にしゃがみ込む。
「さっきから考えていたんだ。この、地面のレリーフ。枝じゃなくて、葉なんだよ」
「うん?」
オレもその場に身を屈めて、蜘藤の手の先を窺った。確かに彼の言う通り、青々とした葉を象ったレリーフには、先に繋がる枝や幹がひとつも描かれていない。周辺の飾りに目を向けても、それらしいモチーフは見当たらなかった。
「あー、言われてみりゃそうかもな。で?」
「おかしいと思わないか。地に落ちた葉に、蝶は止まらない。そもそも蝶だと断定する根拠も乏しいんだが」
「んだよ、でもサナギっつったら蝶だろ。あー、カブトとかクワガタもか? でもどっちにしろ葉っぱって感じじゃねえし」
「いや」
立ち上がった蜘藤が机の方へと向かい始めたので、オレもアヒルの子みたく後に続いた。並べたコインの中から、蜘藤は迷いなく一枚を手に取った。
「ずっと引っかかってた。佐薙。これ、なんだかわかるか」
「あ? 見して。……んー、蛾だろ?」
「そう。そして蛾の中でも、厳密に言えば」
蜘藤が再び歩き出す。オレの意見や発言なんざ、まるで意に介しちゃいないかのような速足だ。慌てて後を追うオレを待たずに、蜘藤は床に膝をつく。そして止める暇もなく、手にした蛾のコインをレリーフに嵌め込んだ。
「ちょっ……!」
「……蚕。カイコガだ」
穴の周径に、再びぽっと明かりが灯る。同時に天地のレリーフを繋ぐ形で、大きなドアが音もなくその場に現れた。強張った体が一気に弛緩する。うまくいったのか。それにしたってあんまりにも独断が過ぎないか。一言言ってやろうかとも思ったが、考え直して口を結んだ。別に、いいじゃないか。蜘藤一人でも正解を選んでくれるなら、それに越したことはない。
ドアの下敷きになったレリーフを、しゃがんだままの蜘藤がそっと撫でる。
「蚕は桑の葉を食べるんだよ。さらに人間に家畜化されたことによって、身体能力が著しく退化している。一度地面に落ちたら、這い上がることも、飛び立つこともできない」
「……」
「こいつも、このまま死ぬんだ。かわいそうにな。所詮は箱の中から出られない、出てはいけない生き物だったのに」
同情とも嘲りとも取れるような言葉を、蜘藤はただ淡々と呟いた。
「行こう、佐薙」
「……おう」
立ち上がった蜘藤の後に続いて、重たげなドアをおもむろにくぐる。なんとなく、嫌な気分だった。蜘藤が蜘蛛。オレは蝶ではなく、蚕。飛び立てずに蛹のまま死んでいく虫なのだと、誰かに言われているような気がした。
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