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第五章・きっとこの手の中に戻ってきてくれるはずの、今はまだ遠いお前と。
5-1・始まり
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湿った夜の匂いがする。
寝苦しい熱帯夜の匂いだ。有機的で僅かに黴臭い、郷愁と嫌悪感を同時に呼び覚ます匂いだ。
不快感で目が覚めた。目を開けてまず飛び込んできたのは、何本ものパイプが走る暗い天井だった。
「……どこだ、ここ……」
やけに重い身体を起こしながら呟いた。独り言のつもりだったが、思いがけず間近から返事があった。
「俺たちにも、わからない」
「は? ……誰?」
まだ焦点の合わない目を細めて、声の主を見定める。薄暗い部屋の中には、どうやらオレ以外にも二人の人間がいるようだ。少し離れたところに立って苛立たしげに腕を組んでいる、背の高い黒スーツ姿の男。それからオレの横に膝をついて、心配そうに顔を覗き込んでいる黒髪眼鏡の男。オレに声をかけてきたのはこの眼鏡か。
「佐薙にも心当たりはないのか? 何でもいい、見覚えのあるものとか、こうなった理由とか」
「っ、ちょっと待て、その前に、誰、お前」
「誰……って」
眼鏡は驚いた顔をした。いや、驚いたなんてもんじゃない、なぜかは知らないがえらくショックを受けているようにすら見える。
「……蜘藤だよ、蜘藤俊。高校で同じクラスだっただろ」
「クドウ? クドウ、クドウ……あ、あーあー、蜘藤」
しばらく頭を捻って、ようやく思い出した。蜘藤俊。高校時代の同級生だ。地味な奴だった。顔も頭も悪くないのに不思議なくらいに存在感がなくて、友達もほとんどいなかったはずだ。オレもほんの数回、クラスメイト以上でも以下でもない程度の会話を交わしたような記憶はあるが、それだけだ。
「で、なんでお前がこんなとこにいんだよ。つーかここどこだよ」
「俺だってわからない。だから佐薙に聞いてるんじゃないか」
「は? オレを疑ってんのかよ」
「そんなこと一言も言ってないだろう。現状把握が最優先されることぐらい、お前にだって理解できるはずだ」
「んだよ、その口の利き方は。だいたい……」
「うるせえぞ、てめえら!」
声を荒げかけるオレたちの間に、えらくドスの効いた叫びが飛んできた。思わずぴたりと言い争いを止める。不機嫌丸出しの黒スーツが、肩を怒らせてこちらにのし歩いて来たのだ。
「おいガキ、ぎゃあぎゃあ騒ぐ前に質問に答えろ。本当に、心当たりはねえんだろうな」
「だ、だから、ねえっつってんだろ」
「チッ……使えねえ」
男は苛立たしげに床を蹴飛ばした。その迫力に気圧されつつも、念のため室内に目を走らせる。コンクリート打ちっぱなしの殺風景な部屋だ。工事中のビルを思わせる見た目だが、窓がひとつもないってことは地下なのかもしれない。照明器具らしきものも見当たらないが、顔が確認できる程度の明るさが保たれているのは、部屋の隅に置かれたモニターのおかげだ。古めかしいブラウン管は虫の羽音めいた微音を立てながら、白黒の砂嵐を映し続けている。
「なんなんだよ、マジで……ドッキリかなんかか?」
困惑しながら呟いた瞬間、モニターの映像が音を立ててぶれた。驚いてそちらに目を向ける。蜘藤と黒スーツもオレと同様に、一斉にモニターを振り向いた。
画面の中には一人の、端正な顔立ちの男が映っていた。柔らかい、けれどどこかうすら寒い微笑みを、息を呑むオレたち三人に向けながら。
寝苦しい熱帯夜の匂いだ。有機的で僅かに黴臭い、郷愁と嫌悪感を同時に呼び覚ます匂いだ。
不快感で目が覚めた。目を開けてまず飛び込んできたのは、何本ものパイプが走る暗い天井だった。
「……どこだ、ここ……」
やけに重い身体を起こしながら呟いた。独り言のつもりだったが、思いがけず間近から返事があった。
「俺たちにも、わからない」
「は? ……誰?」
まだ焦点の合わない目を細めて、声の主を見定める。薄暗い部屋の中には、どうやらオレ以外にも二人の人間がいるようだ。少し離れたところに立って苛立たしげに腕を組んでいる、背の高い黒スーツ姿の男。それからオレの横に膝をついて、心配そうに顔を覗き込んでいる黒髪眼鏡の男。オレに声をかけてきたのはこの眼鏡か。
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「っ、ちょっと待て、その前に、誰、お前」
「誰……って」
眼鏡は驚いた顔をした。いや、驚いたなんてもんじゃない、なぜかは知らないがえらくショックを受けているようにすら見える。
「……蜘藤だよ、蜘藤俊。高校で同じクラスだっただろ」
「クドウ? クドウ、クドウ……あ、あーあー、蜘藤」
しばらく頭を捻って、ようやく思い出した。蜘藤俊。高校時代の同級生だ。地味な奴だった。顔も頭も悪くないのに不思議なくらいに存在感がなくて、友達もほとんどいなかったはずだ。オレもほんの数回、クラスメイト以上でも以下でもない程度の会話を交わしたような記憶はあるが、それだけだ。
「で、なんでお前がこんなとこにいんだよ。つーかここどこだよ」
「俺だってわからない。だから佐薙に聞いてるんじゃないか」
「は? オレを疑ってんのかよ」
「そんなこと一言も言ってないだろう。現状把握が最優先されることぐらい、お前にだって理解できるはずだ」
「んだよ、その口の利き方は。だいたい……」
「うるせえぞ、てめえら!」
声を荒げかけるオレたちの間に、えらくドスの効いた叫びが飛んできた。思わずぴたりと言い争いを止める。不機嫌丸出しの黒スーツが、肩を怒らせてこちらにのし歩いて来たのだ。
「おいガキ、ぎゃあぎゃあ騒ぐ前に質問に答えろ。本当に、心当たりはねえんだろうな」
「だ、だから、ねえっつってんだろ」
「チッ……使えねえ」
男は苛立たしげに床を蹴飛ばした。その迫力に気圧されつつも、念のため室内に目を走らせる。コンクリート打ちっぱなしの殺風景な部屋だ。工事中のビルを思わせる見た目だが、窓がひとつもないってことは地下なのかもしれない。照明器具らしきものも見当たらないが、顔が確認できる程度の明るさが保たれているのは、部屋の隅に置かれたモニターのおかげだ。古めかしいブラウン管は虫の羽音めいた微音を立てながら、白黒の砂嵐を映し続けている。
「なんなんだよ、マジで……ドッキリかなんかか?」
困惑しながら呟いた瞬間、モニターの映像が音を立ててぶれた。驚いてそちらに目を向ける。蜘藤と黒スーツもオレと同様に、一斉にモニターを振り向いた。
画面の中には一人の、端正な顔立ちの男が映っていた。柔らかい、けれどどこかうすら寒い微笑みを、息を呑むオレたち三人に向けながら。
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