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第四章・生涯で唯一一度もお相手願えなかった、気位の高い猫みたいな男と。
4-2・匂いのついた餌
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「出し抜けに性交だなんて、えらく無粋なセリフを吐くじゃないか。もう少し艶のある言い回しの方が俺好みだぜ」
「失礼いたしました。何分我々にとっては重要案件なもので」
「ふぅん」
すまし顔で背筋を伸ばした無礼な御仁を、こちらも遠慮なくじろじろと眺めまわす。場にそぐわず辛気臭い黒の背広は、見たところ安っぽい生地だが仕立てはよく、洋装贔屓の俺でもお目にかかったことのない細身の型だ。服飾関係の仕事でもしているか、あるいは特殊に作らせた別誂えか。少し、興味をそそられた。服の中に包まれている、等身の高い肉体も含めて。
「君、と言ったら、お相手いただけるのかい」
「……ご冗談を」
あくまで平静を装う男の口端が、ほんの僅か引きつったのを俺は見逃さなかった。儀礼的な仮面に入ったヒビから、微かに漏れだした動揺と苛立ち。この程度の鎌かけで揺さぶられるなんて、お堅そうに見えて案外感じやすい性質なのか。面白い。卓の天面に肘をつき、男の方に軽く身を乗り出した。
「なんだ、つれないな。死ぬ前一度だけのお相手、だったか? 今の俺は本気であんたをご指名したい気分だってのに」
「はははは。我々はそういう業務の者ではありませんので」
「業務、ね。君が何のつもりなのかは知らないが、たまには仕事を忘れて遊んでみるのも一興じゃないか?」
「だからそういう……」
「ユージンさん」
不意に、聞き覚えのない声が頭上から降ってきた。俺のいるボックス席のすぐ隣、きらびやかなシャンデリヤを背負う位置に、長身の男が一人立っている。目の前の彼と似たような服と、似たような事務的な笑顔。だが一見優男めいた微笑みは、逆光の影になってどこか薄暗い。その冷えた瞳が一瞬だけ俺を舐めたかと思うと、すぐに目の前の彼へと移った。
「楽しそうにしてるところすいませんけど、遊んでないで仕事してくださいよ。さっさと仕事終わらせてさっさと帰りたいんです、俺は」
「たのっ、って、ミゴー、お前なあっ」
ミゴーと呼ばれたこの男は、ユージンと呼ばれた彼の知り合いなのか。いや、恐らく知り合いなんてもんじゃない。陶器のような笑みを浮かべるミゴーと、妙に慌てて食い掛かるユージン、この構図はつまり。
「なるほどね。そういうことなら俺は手を引くか」
「へ?」
「他の男の匂いがついた餌は食わないことにしてるんだ。こう見えて鼻は効くもんでね」
「はぁ!?」
ユージンが、膝をテーブルにぶつけながら立ち上がる。さっきまでのしかつめらしさはどこへやらだ。これが一対一の場面なら重ねてお相手願いたいところだが、仁王立ちのミゴーは笑顔のまま、だがしっかりと俺への圧力を放ち続けている。これはよくない。面倒事は極力避けるのが俺の哲学だ。万事了解の意を込め、ミゴーに向かって片目を瞑る。
「犬飼直登さん。あんたは、こっちでしょう」
俺の茶目っ気には特に反応しないまま、ミゴーがぱちんと指を鳴らした。瞬間、凍りついたように世界が止まる。同時に目に見える限りの店内から、全ての人影が消失した。
「なっ……」
思わず声を上げて立ち上がる。音楽もざわめきも消え失せたカフェーの中で、シャンデリヤの光だけが変わらずあかあかと燃えている。
「なんだ、これは……」
自分が呟いたのとまったく同じセリフが、店内のどこかから聞こえた。思わずボックス席から顔を出す。二つ奥の席から、同じように顔を出している男と目が合った。
納得と共に、舌打ちが漏れた。
その男──猫塚観月は、俺を目にした瞬間、隠す気もなさそうな深いため息を吐いた。
「失礼いたしました。何分我々にとっては重要案件なもので」
「ふぅん」
すまし顔で背筋を伸ばした無礼な御仁を、こちらも遠慮なくじろじろと眺めまわす。場にそぐわず辛気臭い黒の背広は、見たところ安っぽい生地だが仕立てはよく、洋装贔屓の俺でもお目にかかったことのない細身の型だ。服飾関係の仕事でもしているか、あるいは特殊に作らせた別誂えか。少し、興味をそそられた。服の中に包まれている、等身の高い肉体も含めて。
「君、と言ったら、お相手いただけるのかい」
「……ご冗談を」
あくまで平静を装う男の口端が、ほんの僅か引きつったのを俺は見逃さなかった。儀礼的な仮面に入ったヒビから、微かに漏れだした動揺と苛立ち。この程度の鎌かけで揺さぶられるなんて、お堅そうに見えて案外感じやすい性質なのか。面白い。卓の天面に肘をつき、男の方に軽く身を乗り出した。
「なんだ、つれないな。死ぬ前一度だけのお相手、だったか? 今の俺は本気であんたをご指名したい気分だってのに」
「はははは。我々はそういう業務の者ではありませんので」
「業務、ね。君が何のつもりなのかは知らないが、たまには仕事を忘れて遊んでみるのも一興じゃないか?」
「だからそういう……」
「ユージンさん」
不意に、聞き覚えのない声が頭上から降ってきた。俺のいるボックス席のすぐ隣、きらびやかなシャンデリヤを背負う位置に、長身の男が一人立っている。目の前の彼と似たような服と、似たような事務的な笑顔。だが一見優男めいた微笑みは、逆光の影になってどこか薄暗い。その冷えた瞳が一瞬だけ俺を舐めたかと思うと、すぐに目の前の彼へと移った。
「楽しそうにしてるところすいませんけど、遊んでないで仕事してくださいよ。さっさと仕事終わらせてさっさと帰りたいんです、俺は」
「たのっ、って、ミゴー、お前なあっ」
ミゴーと呼ばれたこの男は、ユージンと呼ばれた彼の知り合いなのか。いや、恐らく知り合いなんてもんじゃない。陶器のような笑みを浮かべるミゴーと、妙に慌てて食い掛かるユージン、この構図はつまり。
「なるほどね。そういうことなら俺は手を引くか」
「へ?」
「他の男の匂いがついた餌は食わないことにしてるんだ。こう見えて鼻は効くもんでね」
「はぁ!?」
ユージンが、膝をテーブルにぶつけながら立ち上がる。さっきまでのしかつめらしさはどこへやらだ。これが一対一の場面なら重ねてお相手願いたいところだが、仁王立ちのミゴーは笑顔のまま、だがしっかりと俺への圧力を放ち続けている。これはよくない。面倒事は極力避けるのが俺の哲学だ。万事了解の意を込め、ミゴーに向かって片目を瞑る。
「犬飼直登さん。あんたは、こっちでしょう」
俺の茶目っ気には特に反応しないまま、ミゴーがぱちんと指を鳴らした。瞬間、凍りついたように世界が止まる。同時に目に見える限りの店内から、全ての人影が消失した。
「なっ……」
思わず声を上げて立ち上がる。音楽もざわめきも消え失せたカフェーの中で、シャンデリヤの光だけが変わらずあかあかと燃えている。
「なんだ、これは……」
自分が呟いたのとまったく同じセリフが、店内のどこかから聞こえた。思わずボックス席から顔を出す。二つ奥の席から、同じように顔を出している男と目が合った。
納得と共に、舌打ちが漏れた。
その男──猫塚観月は、俺を目にした瞬間、隠す気もなさそうな深いため息を吐いた。
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