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第三章・せっくすの仕方がわからないぼくたちが、神の思し召しで遣わされた天使様方に教わって。
3-10・結果報告 その2
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3-10・結果報告 その2
「……ジンさん。ユージンさん?」
「はぇっ!?」
ミゴーに声をかけられて、はっと我に返った。睨めっこしていたはずの書類仕事は、しばらく前から一ミリも進んでいない。
「もう定時ですよ。俺は当然帰りますけど、ユージンさんは大丈夫ですか」
「あ、ああ、大丈夫大丈夫、そんなに急ぎでもないし。けどまあ、そうだな、ちょっとだけ残ってやってこうかな」
「はあ」
訝しげなミゴーが目に入らないように、画面に向かって意識を集中させる。ミゴーの服装は、昨日と変わらないワイシャツに黒ネクタイだ。ともすれば思い出してしまいそうになる。着痩せして見える腕と胸には意外と男っぽい筋肉がついていることとか、その胸に背を預けたときの感触とか。駄目だ駄目だと思うたびに記憶は深淵をさまよい始め、しまいにはもっと前の、酔っててろくに覚えてなかったはずの色々までもを引っ張り出しそうになる始末だ。俺を抱く手の力強さ。触れた肌の熱さ。なんだか泣いているみたいに顔を歪めて、近づいてくるミゴーの……
「ユージンさん、あの」
「へっ!? あっ、何!?」
再び馬鹿みたいな声を出した上に、椅子から軽く飛び跳ねてしまった。ミゴーはいよいよ怪訝な顔をしている。ああ、くそ、これ絶対ろくでもないことを言われるやつだ。昨日のことを思い出しちゃったんですかとか、そんなに気になるなら今夜あたり一発どうですかとか。知ってるよ、そういう奴なんだよ、こいつは。
だが俺の絶望とは裏腹に、意外にもミゴーはそこには触れず、代わりにデスクの下にあった紙袋を拾い上げて俺に渡した。
「これ。どうぞ」
「え?」
反射的に受け取って、中を覗き込む。袋の下部にちょこんと並んでいるのは、小さな素焼きのポットが三つ。
「……鉢?」
「はい。あれ、あのままじゃあんまりなんで」
ミゴーが指差したのは、俺のデスクに並んでいる新入りの多肉植物、マッコス三兄弟だ。この前ミゴーに見咎められた、間に合わせのジャム瓶入りのやつ。そのうちちゃんと植え替えようと思いつつなかなかその暇もなく、今もそのままの姿で机の上に飾ってあるが、しかし。
「これ、俺に? もらっていいの?」
「もちろん。業者じゃないんですから、飾るならちゃんと飾ってくださいよ」
「あ……ありがとう」
最初の戸惑いが収まった後に、だんだんと嬉しさが沸いてくる。上がる口角を抑えずに紙袋を胸に抱えた。
「そうかそうか。とうとうミゴーにも多肉を」
「多肉を愛でる気持ちは別に芽生えてないんで、そこは勘違いしないでください」
「……ツンデレ?」
「本心です」
「なんだよー」
わざとちょっと尖らせてみせた口は、しかし程なく自然と笑みの形に戻る。
「でも、ありがとう。気にかけてくれたのは嬉しいよ、ほんとに」
素直に礼を言うと、ミゴーはなぜかちょっと複雑そうな顔をした。
「……た」
「ん?」
目を逸らしたまま、小声で何事か呟く。椅子を滑らせて近寄ると、ミゴーはやや怯んだように、だが少し声量を上げて繰り返した。
「昨日のこと。不本意だったでしょ」
「え」
「すみませんでした。さすがにちょっと調子に乗りました」
軽く頭を下げてみせた彼の顔には、いつもの笑みは浮かんでいない。らしからぬ神妙さに、俺の方がちょっとうろたえてしまう。
「び、びっくりした。お前がそんな殊勝な態度を取るのか」
「それはさすがに酷くないですか」
「いやごめん、でもなんて言うか……お前はああいうことに対しては、もっと軽い性質だと思ってたから」
「……」
ミゴーは考え込むように口元に手を当てて、そのままぼそぼそと小さく呟く。
「確かに、重く考えるのは俺も嫌なんですけど。それでも俺は、ユージンさんの意志に反してまでセックスしたいとは思ってないんで」
「……おお」
「なので、その。ごめんなさいの印と言うことで。改めてすみませんでした、昨日は」
真面目な顔で謝罪を繰り返すミゴーは、どうも俺の目からはやや落ち込んでいるようにすら見える。何度仕事をサボって俺に怒られても、次の日にはけろっとしているこいつが、だ。
なぜか俺は妙な焦りを覚えた。なんでこいつがそんな顔するんだ。いつものあの軽い調子はどうした。昨日のあれこれへの気まずさも忘れて、どうにかこいつを引っ張り上げてやらなくては、なんて使命感すら覚えてしまう。
「別に、俺も気にしてないよ。あくまで一線は超えないレベルだったし、それに」
続く言葉は、一瞬、口にするべきか否かを迷った。けれどミゴーのしおらしい瞳を目にした瞬間、浮かんだセリフは勝手に滑り落ちていた。
「そもそも……た、他人じゃないんだろ、俺とお前は」
言ったあと、というかむしろ言ってる最中から早くも後悔した。萎れゆく葉のように下を向く俺に、ミゴーが唖然とした表情を浮かべ、少ししてからぷっと噴き出す。
「……そういう冗談は、もっとサラッと言わなきゃ駄目ですよ」
「う、うるさいな」
「でも、そうですね。ユージンさんがそう言ってくれるなら、合意の上でもう一回」
「それは調子に乗りすぎだ」
「あはは」
出た、いつもの空笑い。元気になってくれたかどうかまではわからないが、少なくとも調子を取り戻したことには内心ほっとした。
「じゃ、俺は帰りますね」
「はいはい、お疲れ」
追い出すように手を振ると、ミゴーは早々と席を立った。長身の後ろ姿がドアの向こうに消えてから、密かに詰めていた息を吐く。
結局、あの手のミゴーの誘いは、何も本気で言ってるってわけじゃないんだろう。その証拠にいくら断っても凹んだ試しがないし、真剣な素振りは見せずにすっと引く。
そして俺も、そのことを寂しいなんて思わない。それが現状の、俺たち二人が保つべき均衡だ。
不意に、こめかみのあたりがずきんと痛んだ。今日一日気を張っていたせいだろうか。コーヒーでも淹れてこようと事務所を出て、共用の給湯室に向かった。
いつもの癖で二杯分のコーヒーを用意しかけてしまって、自分で自分に苦笑した。
「……ジンさん。ユージンさん?」
「はぇっ!?」
ミゴーに声をかけられて、はっと我に返った。睨めっこしていたはずの書類仕事は、しばらく前から一ミリも進んでいない。
「もう定時ですよ。俺は当然帰りますけど、ユージンさんは大丈夫ですか」
「あ、ああ、大丈夫大丈夫、そんなに急ぎでもないし。けどまあ、そうだな、ちょっとだけ残ってやってこうかな」
「はあ」
訝しげなミゴーが目に入らないように、画面に向かって意識を集中させる。ミゴーの服装は、昨日と変わらないワイシャツに黒ネクタイだ。ともすれば思い出してしまいそうになる。着痩せして見える腕と胸には意外と男っぽい筋肉がついていることとか、その胸に背を預けたときの感触とか。駄目だ駄目だと思うたびに記憶は深淵をさまよい始め、しまいにはもっと前の、酔っててろくに覚えてなかったはずの色々までもを引っ張り出しそうになる始末だ。俺を抱く手の力強さ。触れた肌の熱さ。なんだか泣いているみたいに顔を歪めて、近づいてくるミゴーの……
「ユージンさん、あの」
「へっ!? あっ、何!?」
再び馬鹿みたいな声を出した上に、椅子から軽く飛び跳ねてしまった。ミゴーはいよいよ怪訝な顔をしている。ああ、くそ、これ絶対ろくでもないことを言われるやつだ。昨日のことを思い出しちゃったんですかとか、そんなに気になるなら今夜あたり一発どうですかとか。知ってるよ、そういう奴なんだよ、こいつは。
だが俺の絶望とは裏腹に、意外にもミゴーはそこには触れず、代わりにデスクの下にあった紙袋を拾い上げて俺に渡した。
「これ。どうぞ」
「え?」
反射的に受け取って、中を覗き込む。袋の下部にちょこんと並んでいるのは、小さな素焼きのポットが三つ。
「……鉢?」
「はい。あれ、あのままじゃあんまりなんで」
ミゴーが指差したのは、俺のデスクに並んでいる新入りの多肉植物、マッコス三兄弟だ。この前ミゴーに見咎められた、間に合わせのジャム瓶入りのやつ。そのうちちゃんと植え替えようと思いつつなかなかその暇もなく、今もそのままの姿で机の上に飾ってあるが、しかし。
「これ、俺に? もらっていいの?」
「もちろん。業者じゃないんですから、飾るならちゃんと飾ってくださいよ」
「あ……ありがとう」
最初の戸惑いが収まった後に、だんだんと嬉しさが沸いてくる。上がる口角を抑えずに紙袋を胸に抱えた。
「そうかそうか。とうとうミゴーにも多肉を」
「多肉を愛でる気持ちは別に芽生えてないんで、そこは勘違いしないでください」
「……ツンデレ?」
「本心です」
「なんだよー」
わざとちょっと尖らせてみせた口は、しかし程なく自然と笑みの形に戻る。
「でも、ありがとう。気にかけてくれたのは嬉しいよ、ほんとに」
素直に礼を言うと、ミゴーはなぜかちょっと複雑そうな顔をした。
「……た」
「ん?」
目を逸らしたまま、小声で何事か呟く。椅子を滑らせて近寄ると、ミゴーはやや怯んだように、だが少し声量を上げて繰り返した。
「昨日のこと。不本意だったでしょ」
「え」
「すみませんでした。さすがにちょっと調子に乗りました」
軽く頭を下げてみせた彼の顔には、いつもの笑みは浮かんでいない。らしからぬ神妙さに、俺の方がちょっとうろたえてしまう。
「び、びっくりした。お前がそんな殊勝な態度を取るのか」
「それはさすがに酷くないですか」
「いやごめん、でもなんて言うか……お前はああいうことに対しては、もっと軽い性質だと思ってたから」
「……」
ミゴーは考え込むように口元に手を当てて、そのままぼそぼそと小さく呟く。
「確かに、重く考えるのは俺も嫌なんですけど。それでも俺は、ユージンさんの意志に反してまでセックスしたいとは思ってないんで」
「……おお」
「なので、その。ごめんなさいの印と言うことで。改めてすみませんでした、昨日は」
真面目な顔で謝罪を繰り返すミゴーは、どうも俺の目からはやや落ち込んでいるようにすら見える。何度仕事をサボって俺に怒られても、次の日にはけろっとしているこいつが、だ。
なぜか俺は妙な焦りを覚えた。なんでこいつがそんな顔するんだ。いつものあの軽い調子はどうした。昨日のあれこれへの気まずさも忘れて、どうにかこいつを引っ張り上げてやらなくては、なんて使命感すら覚えてしまう。
「別に、俺も気にしてないよ。あくまで一線は超えないレベルだったし、それに」
続く言葉は、一瞬、口にするべきか否かを迷った。けれどミゴーのしおらしい瞳を目にした瞬間、浮かんだセリフは勝手に滑り落ちていた。
「そもそも……た、他人じゃないんだろ、俺とお前は」
言ったあと、というかむしろ言ってる最中から早くも後悔した。萎れゆく葉のように下を向く俺に、ミゴーが唖然とした表情を浮かべ、少ししてからぷっと噴き出す。
「……そういう冗談は、もっとサラッと言わなきゃ駄目ですよ」
「う、うるさいな」
「でも、そうですね。ユージンさんがそう言ってくれるなら、合意の上でもう一回」
「それは調子に乗りすぎだ」
「あはは」
出た、いつもの空笑い。元気になってくれたかどうかまではわからないが、少なくとも調子を取り戻したことには内心ほっとした。
「じゃ、俺は帰りますね」
「はいはい、お疲れ」
追い出すように手を振ると、ミゴーは早々と席を立った。長身の後ろ姿がドアの向こうに消えてから、密かに詰めていた息を吐く。
結局、あの手のミゴーの誘いは、何も本気で言ってるってわけじゃないんだろう。その証拠にいくら断っても凹んだ試しがないし、真剣な素振りは見せずにすっと引く。
そして俺も、そのことを寂しいなんて思わない。それが現状の、俺たち二人が保つべき均衡だ。
不意に、こめかみのあたりがずきんと痛んだ。今日一日気を張っていたせいだろうか。コーヒーでも淹れてこようと事務所を出て、共用の給湯室に向かった。
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