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第二章・喪われし魂の救済を求めて、最期まで心を焦がしてやまなかった彼と。
2-1・復讐の揺籃
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「メタ・エマ・コカロ・カルディヤ・ジモス。スィン・デー・アフティ・メターニャ・カタラ」
闇の力を込めた呪詞を口の中で小さく唱えつつ、眼下の光景をもう一度見渡した。僕がこの世で最期に目にする景色だ。夕暮れのグラウンドにはまだ幾人かの生徒が残っていて、各々体を動かしたり喋ったりと、実のない生命活動に興じている。けれど僕に気づいているものはひとりもいない。今まで僕が耐え忍んできた、十六年と少しの人生と同じに。
「無窮の夜を統べるものよ。まったき退廃の忠霊よ。古の盟約に従い、我が血肉を以て闢道と成せ」
足元の僅かな砂利粒が、ぱらぱらと校庭に落ちていく。ジオラマ人形のように小さい誰かが、不意に僕のいる屋上見上げた。次の瞬間、こちらを指さして何事か騒ぎ始める。どうやら僕を見つけてしまったらしい。呪詞の間に知らず舌打ちが混ざる。
非日常の事件に怯えつつ、どこか浮き足立っているかのような喧騒は、瞬く間にグラウンド中に伝播した。次第に人が集まり始める。うるさい。騒ぐな。僕の死をお前らが語るなら、抱くべき感情はただひとつ、畏怖のみだ。
お前らの玩具になんかなってやるものか。僕がなるのは、呪いだ。
限界まで息を吸い込んで、コンクリートの縁を思い切り蹴った。悲鳴が聞こえる。全身がふわりと解き放たれ、直後重力に従って落下を開始する。
切り裂かれていく空気の圧力に、僕の意識が消失する直前。
白くて大きな翼が、僕をすくい上げた気がした。
──あー、えっと……ご、ごめん! なんていうか、その……本気にした?
──ごめん! キモかったよな。い、いや、冗談冗談、冗談に決まってるじゃん、こんなの。なー。ほら、もういいだろ、お前らも散れ散れ!
──あの、なんつーか、そういうことだから。ごめんね! マジごめん! あんま気にしないでね! えっと……そんじゃね!
死ぬ間際の走馬灯にしては、ずいぶん不快な記憶だ。でも妥当ではある。間違いなく僕の生涯で最も深い傷だ。死に際に思い出すのも仕方ない。
嫌われることも、馬鹿にされることも、空気のように扱われることも慣れていた。家でも学校でもだ。別に、構わなかった。理不尽な悪意も無関心も、僕の中に僕だけの世界が確立している限り耐えられる。否、耐えられた、はずだった。
でも。あいつにとっては単なるちょっとした悪戯、大した悪意すらない遊びに過ぎなかっただろうあの行為が。
僕にとっては、今まで生きてきた中で一番、痛かった。
「……ん」
小さく身じろぎをして目を開けた。どこか柔らかくて温かい場所にいる。感触からして、ベッドの上か。焦点が定まらない視野に映るのは、さっきまでの光景とはまるで異なる、ホテルの一室みたいな高級そうな部屋だ。
「気が付かれましたか」
どこかから声を掛けられて、ぼんやりと頭を動かした。瞬間、息を呑んだ。ベッドの脇に立って僕を見下ろす、背の高い黒スーツの男が二人。その背には荘厳なほど真っ白な翼が、視界を覆うように大きく広がっている。
急速に意識が鮮明になった。胸の底の濁った霧が晴れ、代わりに笑いがこみ上げてくる。
「……ふ」
「ふ?」
「ふは……ふははははは、ははははっ!」
「え」
全身を使って一気に跳ね起きた。ベッドの上にすっくと立ち上がり、天を仰いで両腕を広げる。これだ。僕はこれを待っていた。僕の生涯を賭けた宿願が、とうとう叶う日がやってきたのだ!
「勝った! 勝ったぞ、僕の勝ちだ!! 我、復讐の揺籃を得たり!! はーっはっはっはっは!!!」
「ええ……?」
何やら困惑している片方の黒スーツと、その隣で笑顔のまま動じないもう一人には構わず。
降り注ぐ恵みの慈雨に溺れるがごとく、僕は心ゆくまで高笑いを続けた。
闇の力を込めた呪詞を口の中で小さく唱えつつ、眼下の光景をもう一度見渡した。僕がこの世で最期に目にする景色だ。夕暮れのグラウンドにはまだ幾人かの生徒が残っていて、各々体を動かしたり喋ったりと、実のない生命活動に興じている。けれど僕に気づいているものはひとりもいない。今まで僕が耐え忍んできた、十六年と少しの人生と同じに。
「無窮の夜を統べるものよ。まったき退廃の忠霊よ。古の盟約に従い、我が血肉を以て闢道と成せ」
足元の僅かな砂利粒が、ぱらぱらと校庭に落ちていく。ジオラマ人形のように小さい誰かが、不意に僕のいる屋上見上げた。次の瞬間、こちらを指さして何事か騒ぎ始める。どうやら僕を見つけてしまったらしい。呪詞の間に知らず舌打ちが混ざる。
非日常の事件に怯えつつ、どこか浮き足立っているかのような喧騒は、瞬く間にグラウンド中に伝播した。次第に人が集まり始める。うるさい。騒ぐな。僕の死をお前らが語るなら、抱くべき感情はただひとつ、畏怖のみだ。
お前らの玩具になんかなってやるものか。僕がなるのは、呪いだ。
限界まで息を吸い込んで、コンクリートの縁を思い切り蹴った。悲鳴が聞こえる。全身がふわりと解き放たれ、直後重力に従って落下を開始する。
切り裂かれていく空気の圧力に、僕の意識が消失する直前。
白くて大きな翼が、僕をすくい上げた気がした。
──あー、えっと……ご、ごめん! なんていうか、その……本気にした?
──ごめん! キモかったよな。い、いや、冗談冗談、冗談に決まってるじゃん、こんなの。なー。ほら、もういいだろ、お前らも散れ散れ!
──あの、なんつーか、そういうことだから。ごめんね! マジごめん! あんま気にしないでね! えっと……そんじゃね!
死ぬ間際の走馬灯にしては、ずいぶん不快な記憶だ。でも妥当ではある。間違いなく僕の生涯で最も深い傷だ。死に際に思い出すのも仕方ない。
嫌われることも、馬鹿にされることも、空気のように扱われることも慣れていた。家でも学校でもだ。別に、構わなかった。理不尽な悪意も無関心も、僕の中に僕だけの世界が確立している限り耐えられる。否、耐えられた、はずだった。
でも。あいつにとっては単なるちょっとした悪戯、大した悪意すらない遊びに過ぎなかっただろうあの行為が。
僕にとっては、今まで生きてきた中で一番、痛かった。
「……ん」
小さく身じろぎをして目を開けた。どこか柔らかくて温かい場所にいる。感触からして、ベッドの上か。焦点が定まらない視野に映るのは、さっきまでの光景とはまるで異なる、ホテルの一室みたいな高級そうな部屋だ。
「気が付かれましたか」
どこかから声を掛けられて、ぼんやりと頭を動かした。瞬間、息を呑んだ。ベッドの脇に立って僕を見下ろす、背の高い黒スーツの男が二人。その背には荘厳なほど真っ白な翼が、視界を覆うように大きく広がっている。
急速に意識が鮮明になった。胸の底の濁った霧が晴れ、代わりに笑いがこみ上げてくる。
「……ふ」
「ふ?」
「ふは……ふははははは、ははははっ!」
「え」
全身を使って一気に跳ね起きた。ベッドの上にすっくと立ち上がり、天を仰いで両腕を広げる。これだ。僕はこれを待っていた。僕の生涯を賭けた宿願が、とうとう叶う日がやってきたのだ!
「勝った! 勝ったぞ、僕の勝ちだ!! 我、復讐の揺籃を得たり!! はーっはっはっはっは!!!」
「ええ……?」
何やら困惑している片方の黒スーツと、その隣で笑顔のまま動じないもう一人には構わず。
降り注ぐ恵みの慈雨に溺れるがごとく、僕は心ゆくまで高笑いを続けた。
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