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第一章・病に倒れたおれをいつも隣で励ましてくれた、幼なじみのあいつと。
1-2・黒スーツの天使
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「……は?」
最初は、幻聴だと思った。ここんとこ何回か似たようなこともあったから。病気でバグった脳みそが、下品な願望をおれの耳にだけ響かせてる。てっきりそういうやつだと思って、おれは布団を引っ張り上げながら目を閉じた。
けど。どこかから吹き込んできた風の気配に、ぼんやりと目を開けて窓際を向いたとき。
そいつは、そこにいた。
「なっ……」
口を開けたまま絶句する。窓枠すれすれくらいの高所から、じろりとおれを見下ろしたのは、黒いスーツを着込んだ背の高い男だ。顔面は俳優みたいに整っているけど、目つきだけはやたらと鋭い。黒スーツに黒ネクタイという葬式帰りみたいな格好も相まって、なんだか見られているだけで威圧されている気分だ。
が、それより何より。
「ど……どっから、入って……」
そう。おれはたった今、この部屋唯一の出入り口であるドアへと光亮を見送ったばかり。もちろんその後入って来た奴なんてひとりもいない。いくら感覚が鈍くなってるからって、見通しのいい無人の病室だ。そう簡単に入ってくる人を見逃すとも思えない。
もしかして、幽霊? いや、いくらなんでもこんな真っ昼間に、こんな堂々と。それかいわゆる死神ってやつか。だったらこの格好と雰囲気にも納得いくけど、でも、そんなことって。パニックで熱が上がりそうになる。人を呼ぼうにもなぜか体が動かなくて、小刻みに体が震え始める。
黒スーツの男はおれを見下ろしたまま、眉を歪めてふっと息をついた。それからベッドの足元近く、風の吹き込む窓の方に目をやって、一言。
「おい、ミゴー。勝手に窓を開けるな。寒がってるだろ」
「ミゴ……? ……っ!?」
声をかけた先に目を移して、再びぎょっとした。男がもうひとり、開いた窓の先をじっと眺めるかのようにして、佇んでいた。今度は絶対、百パーセント間違いない。黒スーツが言葉を放った今この瞬間まで、窓辺には確実に誰もいなかった。
外を眺めていた男──こっちもワイシャツに黒いネクタイ姿だけど、スーツの上を着てないせいかそこまでの威圧感はない。ただ顔面はやっぱりお金でも取れそうなくらいに整ってるし、身長に至ってはたぶん黒い奴よりもうちょっと上だ──は、たった今おれに気づいたみたいにこちらを向いて、ニコッと柔らかい笑みを浮かべてみせた。黒い方よりはだいぶ優しげで、話が通じそうな雰囲気だ。ミゴーと呼ばれたそいつは頭を掻きながら、呑気に黒スーツの方へと歩み寄る。
「いやあ、ごめんなさい。ここからの景色が綺麗なもんで、ついつい見入っちゃいました」
「ったく。遊ぶ前にちゃんと仕事をしろ、仕事を」
「すいませんって。でもこの子が震えてたのは寒かったんじゃなくて、ユージンさんの顔が怖かったんだと思いますよ」
「かっ……!?」
ミゴーの言葉に、『ユージンさん』はショックを受けたように固まってしまった。いや、別に顔だけが怖かったんじゃなくて、雰囲気とか状況とかもろもろ込みの全部が怖かったんだけど。フォローにならないフォローをおれが口に出す前に、ミゴーの方がおれに向かってぺこりと会釈する。
「驚かせてしまってすみませんね。我々決して怪しいものではありませんので」
怪しいものしか言わないだろってセリフといっしょに、差し出されたのは一枚の名刺。いや、どっちかって言うとカード的なやつか、これ? どっちなのかはよくわかんないけど、金色の縁取りがされた小さな紙には、つやつや光る綺麗な文字でこんな言葉が印刷されている。
『天使庁 欲望担当課』
「……天使」
呟いた単語は、自分でも妙にすんなりと頭に入ってきた。そうか。天使か。見た目は全然そんな感じしないけど、状況から言えば確かに納得だ。
「ひとまずは、ご理解いただけましたか」
いつの間にか立ち直っていたユージンが、おれを気遣うようにそっと腰を屈めた。その背中に、さっきまではなかったはずの大きな翼が見える。光輝くみたいに真っ白で、よくできた彫刻みたいに綺麗な羽根。言葉よりも説得力のある神々しい天使の翼は、隣のミゴーが広げたそれと、ちょっと窮屈そうに重なりあっている。
「そっか」
声がかすれてしまったのは寒いからでも、ましてや怖いからでもなかった。そっか。たぶん遠くないとは思ってたけど、こんなに早かったか。せめてもうあと三回くらいは、光亮にまた明日、って言いたかったんだけど。
布団に鼻先を埋めて俯くと、ユージンが慌てた様子で言葉を続ける。
「ああ、誤解しないでください。天使と言っても我々は、あなたを天に召すために遣わされたわけじゃない。我々の為すべきところは、その」
そこで言葉を切って、ユージンはなぜかちらりとミゴーを見上げた。ミゴーは微動だにしないにこにこ顔のまま、手を前に組んでユージンを見下ろしている。微かな舌打ちが聞こえた気がした。なんだなんだ。戸惑いつつ続きを待つ俺に、ユージンは目つきを緩めないまま、かろうじて口端だけを引き上げて告げた。
「火口彬さん。あなたには──死ぬ前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?」
「……は!?」
一瞬置いて、バカみたいな声が出た。天使の口から聞かされるには、この世で一番似つかわしくないセリフだった。
最初は、幻聴だと思った。ここんとこ何回か似たようなこともあったから。病気でバグった脳みそが、下品な願望をおれの耳にだけ響かせてる。てっきりそういうやつだと思って、おれは布団を引っ張り上げながら目を閉じた。
けど。どこかから吹き込んできた風の気配に、ぼんやりと目を開けて窓際を向いたとき。
そいつは、そこにいた。
「なっ……」
口を開けたまま絶句する。窓枠すれすれくらいの高所から、じろりとおれを見下ろしたのは、黒いスーツを着込んだ背の高い男だ。顔面は俳優みたいに整っているけど、目つきだけはやたらと鋭い。黒スーツに黒ネクタイという葬式帰りみたいな格好も相まって、なんだか見られているだけで威圧されている気分だ。
が、それより何より。
「ど……どっから、入って……」
そう。おれはたった今、この部屋唯一の出入り口であるドアへと光亮を見送ったばかり。もちろんその後入って来た奴なんてひとりもいない。いくら感覚が鈍くなってるからって、見通しのいい無人の病室だ。そう簡単に入ってくる人を見逃すとも思えない。
もしかして、幽霊? いや、いくらなんでもこんな真っ昼間に、こんな堂々と。それかいわゆる死神ってやつか。だったらこの格好と雰囲気にも納得いくけど、でも、そんなことって。パニックで熱が上がりそうになる。人を呼ぼうにもなぜか体が動かなくて、小刻みに体が震え始める。
黒スーツの男はおれを見下ろしたまま、眉を歪めてふっと息をついた。それからベッドの足元近く、風の吹き込む窓の方に目をやって、一言。
「おい、ミゴー。勝手に窓を開けるな。寒がってるだろ」
「ミゴ……? ……っ!?」
声をかけた先に目を移して、再びぎょっとした。男がもうひとり、開いた窓の先をじっと眺めるかのようにして、佇んでいた。今度は絶対、百パーセント間違いない。黒スーツが言葉を放った今この瞬間まで、窓辺には確実に誰もいなかった。
外を眺めていた男──こっちもワイシャツに黒いネクタイ姿だけど、スーツの上を着てないせいかそこまでの威圧感はない。ただ顔面はやっぱりお金でも取れそうなくらいに整ってるし、身長に至ってはたぶん黒い奴よりもうちょっと上だ──は、たった今おれに気づいたみたいにこちらを向いて、ニコッと柔らかい笑みを浮かべてみせた。黒い方よりはだいぶ優しげで、話が通じそうな雰囲気だ。ミゴーと呼ばれたそいつは頭を掻きながら、呑気に黒スーツの方へと歩み寄る。
「いやあ、ごめんなさい。ここからの景色が綺麗なもんで、ついつい見入っちゃいました」
「ったく。遊ぶ前にちゃんと仕事をしろ、仕事を」
「すいませんって。でもこの子が震えてたのは寒かったんじゃなくて、ユージンさんの顔が怖かったんだと思いますよ」
「かっ……!?」
ミゴーの言葉に、『ユージンさん』はショックを受けたように固まってしまった。いや、別に顔だけが怖かったんじゃなくて、雰囲気とか状況とかもろもろ込みの全部が怖かったんだけど。フォローにならないフォローをおれが口に出す前に、ミゴーの方がおれに向かってぺこりと会釈する。
「驚かせてしまってすみませんね。我々決して怪しいものではありませんので」
怪しいものしか言わないだろってセリフといっしょに、差し出されたのは一枚の名刺。いや、どっちかって言うとカード的なやつか、これ? どっちなのかはよくわかんないけど、金色の縁取りがされた小さな紙には、つやつや光る綺麗な文字でこんな言葉が印刷されている。
『天使庁 欲望担当課』
「……天使」
呟いた単語は、自分でも妙にすんなりと頭に入ってきた。そうか。天使か。見た目は全然そんな感じしないけど、状況から言えば確かに納得だ。
「ひとまずは、ご理解いただけましたか」
いつの間にか立ち直っていたユージンが、おれを気遣うようにそっと腰を屈めた。その背中に、さっきまではなかったはずの大きな翼が見える。光輝くみたいに真っ白で、よくできた彫刻みたいに綺麗な羽根。言葉よりも説得力のある神々しい天使の翼は、隣のミゴーが広げたそれと、ちょっと窮屈そうに重なりあっている。
「そっか」
声がかすれてしまったのは寒いからでも、ましてや怖いからでもなかった。そっか。たぶん遠くないとは思ってたけど、こんなに早かったか。せめてもうあと三回くらいは、光亮にまた明日、って言いたかったんだけど。
布団に鼻先を埋めて俯くと、ユージンが慌てた様子で言葉を続ける。
「ああ、誤解しないでください。天使と言っても我々は、あなたを天に召すために遣わされたわけじゃない。我々の為すべきところは、その」
そこで言葉を切って、ユージンはなぜかちらりとミゴーを見上げた。ミゴーは微動だにしないにこにこ顔のまま、手を前に組んでユージンを見下ろしている。微かな舌打ちが聞こえた気がした。なんだなんだ。戸惑いつつ続きを待つ俺に、ユージンは目つきを緩めないまま、かろうじて口端だけを引き上げて告げた。
「火口彬さん。あなたには──死ぬ前に一度だけ、セックスしたい人はいますか?」
「……は!?」
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