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60・いわゆるトキメキチャンスタイム

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「んで、どこ行くの」
「ついて来ればわかる」

 ジルコンは説明もろくにないまま、普段の煉瓦道とは逆方向の、寮の奥にある木立へと歩き出す。俺も慌ててついていく。こいつ歩くのはえーな。歩幅の差か。

「え、こっち?」
「そうだ。浜辺につながる道がある」
「あ、ほんとだ……」

 林とも呼べない程度の木々を抜けた先には、崖下へと下っていく小道があった。切り立った崖に張り付くように続いている道を、ジルコンに続いて降りていく。細い道ではあるが、落ちそうになるほどの幅じゃない。雑草の感じからしてちゃんと手入れはされてるみたいだし、身の危険はないだろうって頭では理解できる。でも高度はあるし潮風もそれなりに吹いてるし足元はまだ暗いし、やっぱちょっと、こ、こわい。

「待って待って、ジルコン、ちょっと待って」
「何だ。……どうした、お前」
「ちょ、ゆっくり行こ、ゆっくり」

 崖から手を離せないまま、へっぴり腰で拝み倒す。ジルコンは呆れたようにため息をついて、それから俺に向けて右手を差し出した。

「ほら」
「へ」
「へ、じゃない。行くぞ」
「わ……」

 やや強引に手を取って、ジルコンはずんずんと歩き出す。ド、ドキーン! これはいわゆるところの王道トキメキイベントってやつでは!?

「あ、あの、ジルコン」
「何だ」
「えーっと……や、やったぜ、恋愛フラグひとつ解禁! なんつって……」
「……」

 ジルコンはこちらを振り返らないまま、鼻先だけでふっと笑った。わあ気まずい。てかなんか言えよ! 無駄に意識しちゃうだろ!
 いやもう、改めて考えると、俺にはこういう状況への対処経験値がなさすぎる。誰かと手をつなぐなんて中学のときのフォークダンス以来だし、それだって相手の女子は微妙に嫌そうな顔をしていた。比べて、今はどうだ。
 目線が落ちる。意識が手だけに集中する。骨張った感触と、ちょっとだけ強めの力加減。握り込まれた手のひらが妙に熱い。中指を彩るあの指輪が、俺の体温にじんわりと馴染んでいく。俺の手、汗でべちょってたりしてないだろうか。うう。自分が照れてんだか恥じらってんだか委縮してんだか、もう全然わかんねえ。

「もう少しだ」
「へぇっ!?」

 かけられた声に、知らずすっとんきょうな音が出た。気が付けば道はもう崖の最下部近く、浜辺がすぐそこに見えている。意外と近え。なんだ。なんだじゃないか。
 崖の道から浜辺に降り立って、ジルコンの手がすっと離れる。汗ばんだ手のひらに風が通った。早くなった鼓動を気取られたくなくて、こっそり深呼吸を繰り返す。

 冷静さを取り戻そうとするついでに、辺りを観察してみた。砂よりも砂利と石の割合多めの、観光地と言うよりは漁村って感じの浜だ。海までの縦面積は狭いけど、横にはたぶんだいぶ広い。黒っぽい海藻が、海岸線に沿って地面にへばりついている。ところどころに見える小舟や干し網っぽい道具からして、やっぱり漁をするための場所なんだろうか。

「こっちだ」
「お、おー」

 再びずんずん進んでいくジルコンを追いかける。こいつ、さっきのアレに全然動じてないんだろうか。緊張してたのは俺だけかよ。なんかちょっと複雑。
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