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奏とトレッキングハットと

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『ちょっとひとさん聞いてよー』
「どうした、おばちゃん」
『今日ね、職場近くの大学前を散歩してたんだよ。そしたらね、正面から5人組の若い男の子たちが歩いてきたの』
「うん」
『おっ! おっとぅー! おっ! てなった』
「なにその、おっとぅー!って」
『迷ったわよー。逃げたほうがいいかな? どうしようかしら? でもこのキャンパスの空気を感じながらお散歩はしたいの』
「なにその、おっとぅー!って」
『えぇえぇ。すぐに隠れて通り過ぎるのを待ったの』
「家政婦は見た! 市原悦子だ」
えぇえぇ・・・・
「それ、ウザいな」
『若いエキスを遠くに感じながらも思いっきり吸い込んでね、若いっていいわねって』
  とまぁ、僕の前に度々姿を現し、満足気な表情で一方的に話を進める『えぇえぇおばちゃん』は、26歳なのである。
  若いのか年寄なのか、見た目は大学生で中身はおばちゃん。きっと迷探偵・・・にしかならないこのおばちゃんの脇腹を、
「おめぇまだ若いだろうが!」
  と、突つくと
『シャーーー! やめれーーー!』
  暴れ出し抵抗してくるから、面白くてやめれない。
『あ、ねぇ』
「ん?」
『そのあとね、コメダに行ったですよ』
「新作シロノワール出てたっけ?」
『ちゃうねん』
  通路を挟んだ隣の席。そこに出会って間もない頃の僕と、雰囲気のよく似た男性がいたと嬉しそうに話し出す似非えせ関西人。
  懐かしんでは、何度となく繰り返し聞かされる外見の話。本当に苦手だったなぁと語る僕への第一印象が『チャラい』だったことに、今でも少なからずショックを受けている。
  確かにその頃の写真を見ていると、アッシュブラウンが抜けた茶髪におしゃれパーマ。何か色の抜け感が汚いし似合ってもいなくて、自分でも恥ずかしくなるほどイケてない・・・
  奏と出会ったのは、劇団に入団して初めて稽古に足を運んだ時だった。
  僕より数週間先に入団していた奏。特に目立つ訳ではないけれど、自然と周りに頼られる存在感をすでに放っていた。
  台詞を読ませたら、頭一つ抜けていることはすぐに分かったし、胸元ヨレヨレのTシャツで稽古に参加して、男たちの目線を釘付けにするワガママボディ。それが、お局様たちのキツーい言動を無駄に浴びせられている要因であることも、すぐに分かった。
『え? だって楽なんだもん』
  と、着心地重視で何も考えていないコイツは、見ていて本当に危なっかしい。
  実際に「大月のあの胸は一度触りたい」と、僕たちの関係を何も知らない先輩劇団員たちに、目の前で発言され、厳しく調教していく決意も固まったのだった。
「お前、稽古の時はクルーネックを着ろ!」
『マジかっ!』
「マジだっ!」
『クルーネックって、どんなの?』
「・・・」
  これは絶対に内緒だけれど、この天然記念物みたいな雰囲気に一目惚れしたのか、胸元に一目惚れしたのか、正直はっきり覚えていないという事実を、僕は墓場まで持って行くことに決めている。
  共に稽古に勤しみ、一緒に帰宅したり(この時に道に迷っていた外国人観光客を宿泊先ホテルまで案内したことを、奏は今でも感心してくれている)、
自宅で台詞の読み合わせ、そしてそのまま映画鑑賞会。
  奏が趣味である小説を貸してくれたり、魔女宅に出てくるジジのマグカップを、クリスマスにプレゼントしたり。そんな数ヶ月を過ごしているうちに、二人は付き合い始めていた。
『あのマグカップは本当に嬉しかったね』
「丁度、実家にあるやつが割れてたんだっけ」
『そう。だから少し運命を感じました。きっかけは、猛烈プッシュに押され負けして、なんとなくだけどね』
「毎度毎度なんとなくって言うな、傷つくから」
『面白そうな映画のDVDに誘われて、ひょっこり家に上がり込んでしまったんだなぁ。気持ちには整理が付かないまま、なんとなく付き合い始めて、なんとなく今に至るわけですよぉ』
  普段は口で言い負けるものだから、弱点を見付けた時の奏は、ほくそ笑んだ悪い顔で『にへへ』と、僕のメンタルを容赦なく口撃してくる。生意気だ。
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