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喫茶『黒猫』
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愛猫のクマと私は、毎朝5時に起きて布団から出るとすぐにベランダのカーテンを開けて、店に出かける準備を始める。
私が営んでいる喫茶『黒猫』の開店時間は、6時30分。会社に出勤する前に店に寄ってくれる常連さんたちがいるので、店を始めた時から開店時間はずっと変わっていない。
「クマ。おはようさん。今日もよろしく頼むわな~」
『ニャ~ン♪』
猫も人との付き合いが長くなってくると、こちらの言葉や状況を理解するようになってくるもんで。毎朝、クマはトイレを済ませるとキャリーバッグに自分で入って、早く行くでと催促するように『ミャーン』と鳴いて出かける時間を知らせてくれる。
✡✡
店に着いてキャリーバッグから出たクマは、次に自分のご飯を入れる皿の前に座って、早く猫用の缶詰を入れろと、私の顔を見上げて待っている。そこで、私とクマは一緒に朝ご飯を済ませて、クマはカウンター席の一番奥の席に、私はカウンターの中へ入って仕込みをしながら開店準備を始める。
店が開くと1番最初に入ってくるのは、田中青果店の跡取り息子のこうちゃんと決まっている。こうちゃんは毎朝、サンドイッチやサラダ用の野菜を店に卸してくれているからね。
「マスター。おはようさんです~」
「こうちゃん、おはようさん。時間あるんやったら、珈琲飲んで行き! 私の朝ごはん用に入れたスペシャルブレンドがあるんやで♪」
「あ、いつもスンマセン! もちろん頂きます~♪」
こんな感じでこうちゃんに珈琲を振舞ってると、店のドアを開けて大体は次に陽子さんが入ってくる。
「マスター。おはようさん♪」
「陽子さん。おはようさんです♪」
この陽子さんが店に入ってくると、いつもパッと店の中が明るくなってそれから、ドッと通勤前の常連客が押し寄せてくる。
ここ。喫茶『黒猫』は基本は《年中無休》で、AM6:30~PM7:30までが営業時間となっている。この店を営むことが、私の生活の一部になっているからね。
✡✡
今日の様な平日のこの時間になると、陽子さんの甥っ子のせいちゃんが、先月半ば頃に、近所の公園から酒に酔っていた勢いで連れて帰って来てしまった愛猫のチビちゃんを連れて、店にやってくる。そして、モーニングセットのサンドイッチを食べながら、陽子さんとだいたいチビちゃんの話をしてから、陽子さんにチビちゃんを預けて出勤している。
せいちゃんと同じタイミングで店に入ってくるのが、高校3年生の冬馬くん。同じ商店街で、本屋を営んでいる広川書店さんのひとり息子の冬馬くんは、中学生の頃からこの時間に来て、モーニングセットのハムトーストを食べてから、学校へ登校する。勉強の良く出来る物静かな男の子なんやけど、人懐っこくて人当たりがええから、商店街のおばちゃんたちのアイドルにされている。もちろん、同じ年頃の子にもモテてるみたいやけどね。
「おはようさん。勉強の方は、どうや? 京大受験するんやて?」
「おはようございます。なんとか、勉強は嫌いやないから上手くやってます。母から聞いたんでしょ? ほんま、あの人は…皆に僕が、京大受けること自慢してまわって…落ちたらどうするつもりなんやろ?」
「冬馬くんやったら、一発で合格するって信じてるんやろね」
「おやおや。陽子さんまで…。そんな風に冬馬くんにプレッシャーを与えないであげて下さいね。京大を受験するって、大変なことなんですから」
陽子さんに捕まった冬馬くんが、京大を受験することに突っ込みを入れられていたので、タイミングを見計らって、私は助け舟を出しておいた。
冬馬くんが、テーブルに広げていた参考書やノートを鞄に入れて、店を出ようとしていた時やった。凄い勢いで店のドアを開けて、和美ちゃんが、息を切らして入って来た。
「冬馬先輩!! 良かったぁー。まだおった~♪」
「どうしたん? そんなに急いで…顔が真っ赤やで? 大丈夫か? ほら、これでも飲み!」
顔を真っ赤にしてハァハァ言ってる和美ちゃんに向かって、冬馬くんは、きょとんとした顔をしながらも、自分が口をつけていなかったミネラル水の入ったグラスを和美ちゃんに差し出して、ニッコリと笑っていた。
「ありがとう。…ちゃうちゃう! 先輩、この前の手紙の返事が聞きたいねん。もう、気になって寝られへんくて」
「ああ。あれか…。僕は、今まで通りで良いと思うねんけど」
「あ。…うん。そやね。そうやんね…」
和美ちゃんは、冬馬くんの言葉を耳にすると、テーブル席の空いている椅子に腰を下ろして黙り込んでしまった。
✡✡
冬馬くんは、黙りこんでしまった和美ちゃんの頭をポンポンっと、鞄に入れ忘れていたノートで軽く叩いて微笑すると「ごちそうさまでした」と、私にいつもの様に言うてから、和美ちゃんを残して店を出て行ってしまった。
「和美ちゃん? どないしたんや? 大丈夫か?」
「……あ。うん。大丈夫。…うちも学校行かな…」
カウンターで、一部始終を目撃していた陽子さんが、和美ちゃんに声を掛けると、和美ちゃんの瞳からは大粒の涙が溢れていた。
「私の初恋…。振られてしもうた。思い切って先週、手紙書いて冬馬先輩に渡したんやけど…先輩。今まで通りがええねんて…」
「そやったんかいな。そら、よう頑張って告白したな!」
「うん。…アカン。涙が止まらへんわ…学校へ行かなあかんのにどうしよ…へへへ」
どうやら、和美ちゃんは冬馬くんに恋をしていたみたいで、胸の内を思い切って告白してたんやね。陽子さんに慰められて、和美ちゃんは泣き笑いをして見せてから、おしぼりで顔を拭いて立ち上がっていた。
「よっしゃ!! 明日は土曜日やし、学校終わったら、和美ちゃん。店においで! 夜定食とイチゴのシャーベットをご馳走したるわ!!」
「えっ!? ほんまに?」
「ほんまやで! 麻由美ちゃんと美花ちゃんも来る言うてたから話聞いてもらってスッキリしたらええねん! なっ?」
「オカン、ありがとう~! 絶対行く~~!」
優しい陽子さんのお陰で、和美ちゃんは笑顔を取り戻して急いで店を出て学校へ向かった。
✡✡
和美ちゃんが、笑顔で学校へ向かうのを見送ってから、陽子さんはチビちゃんを連れて「今日の夜定食は、和美ちゃんの好きな酢豚をつくってやろかな?」と、嬉しそうに笑って店を出た。
「今日は、なんか朝から賑やかやったなぁ。クマ」
『ミャーン♪』
✡✡
午前中のモーニングサービスの時間が終わると、少しひと段落するので。私は、カウンターの奥の席で丸くなっているクマの頭を撫でてから、タバコに火をつけて一服する。
それにしても、和美ちゃんは冬馬くんに振られたって決め付けてるけど、ほんまにそうなんやろか? 私は小さい頃から冬馬くんを見て来たからわかるんやけど、冬馬くんは、今は今まで通りでいて…先でまた考えようみたいな考えでおるんかもしれへん。
どうも冬馬くんは、恋愛に関しては奥手というか、少しにぶいところがあるんよね。中学生の頃…いや。小学生の頃から、このにぶい冬馬くんに恋をして、撃沈した女の子たちの話を冬馬くんのお母さんから、聞かされたことを思い出しながら、和美ちゃんにはもう少し頑張って欲しいなと、私は心から願っていた。
✡✡
夕方6時頃になって再び店のドアを開けて、制服姿のままの冬馬くんが入って来た。
「あれ? おかえり~。どないしたん?」
「あの…。朝。あれから和美…どないしたか、ちょっと気になってしもて……」
照れくさそうに笑いながら冬馬くんは、カウンター席に座ってクマを優しく撫でてから、私に和美ちゃんの様子を聞いて来た。
「振られたって言うて泣いてたわ」
「えっ!? ほんまですか? えっ!?」
和美ちゃんが泣いていたと聞いて、冬馬くんは動揺を隠せずにオロオロしていた。
「やっぱりそうなんや。冬馬くんは、和美ちゃんを振ったわけではないんやなぁー」
「振ってないですよ。 ただ、あの。付き合うとかがようわからんから、僕は今まで通りでいたいと思っただけで…」
「それで? 冬馬くんは、和美ちゃんのこと…好きなんか?」
私の質問に冬馬くんは頷きながら、さらに私が和美ちゃんのことが好きなんかと問うと、珍しく顔を真っ赤にして苦笑していた。
「ええ子やと思ってます。お父さんもお母さんも仕事が忙しくて、ほとんど家にいないことも、和美は責めることもせんと1人で頑張ってるし……」
「ほんなら、もう少しきちんと和美ちゃんに、冬馬くんの気持ちを伝えたらなアカンな!」
「そうですね。そうしてみます。ありがとう、マスター♪」
冬馬くんの思いは決まったらしくて、スッキリとした顔をして上手いこと気持ちを伝えられたら、2人でまた店に来ますと冬馬くんは私に約束して帰って行った。
✡✡
のんびりとした日曜日の昼下がり。カウンター席に座っている常連さんたちと世間話をしてると、カランカランと店のドアが開く音がして、冬馬くんと和美ちゃんが仲良く2人で入って来た。
「上手く気持ちが伝えられたみたいやね」
「はい。きちんと話したら、和美もわかってくれました」
「マスター、ありがとう♪ 今まで通りって言われて、私と付き合うのが嫌なんやって勝手に思い込んでしもてん。先輩に気持ち聞いてびっくりして。また、泣いてしもてん」
約束した通りに冬馬くんは、和美ちゃんを連れて上手く気持ちを伝えて2人の仲が纏まったことを報告に来てくれて、楽しそうに2人は日曜の午後をここでゆっくり過ごして帰って行った。
✡✡
翌朝、陽子さんにこのことを報告すると、嬉しそうに陽子さんはニッと笑って「昨日、うちの店にも報告に来てくれてん♪」と2人のことを喜んでいた。
こんな店を長く営んでいると、こういう甘酸っぱい恋模様をたまに見せてもらえることがあるので、私はこの歳になっても恋って良いものやなと思わせてもらっている。
「若いってええなぁ~。クマ―」
『ミャ~ン♪』
そんなこんなで、この恋のお話はめでたしめでたしということで幕を閉じた。
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