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悪女は月夜に舞い踊る

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「できれば」
 と。リディスはジュリアスタに注文を出す。「もう少し、若くならないかなあ?」
「若く? 年齢を下げるということかしら」
 眉をひそめるジュリアスタ。それは、難しいということか。可能か不可能か端的に尋ねれば。可能だと即座に答えるが。
「忘れられては困るけど。これは、あくまでも暗示のひとつ。相手にはだけ」
「ああ」
「見える範囲も限られているわ。そうね、せいぜい……」
 馬車の中を見回して、
「これより、ひとまわりふたまわり。それくらいの範囲ということ。無論、わたくしから離れれば、すぐに術は解ける」
 ジュリアスタは、意地の悪い笑みを向ける。
 と、いうことは。リディスは、常にジュリアスタに纏わりついていなければならない。更に、目くらましなのだから、言動が子供のそれでなければ、確実に怪しまれる。先方も、それなりに魔術の心得があるだろう。アリシアがあっさりと捕獲されたのは、魔術の素質がからきしであったから、という可能性が高い。尤も下級貴族となるほど、魔術師の血を得ることが難しくなるのだから。それも当然であるが。

「あと、五歳くらい年齢を引き下げてみようかしらね」

 その言葉とともに、ジュリアスタの姿が変化した。身体が一回りほど縮み、顔立ちが若干幼くなる。それでも美貌は変わらない。美人はいくつでも美人なのか、と。リディスは半ば感心して彼女を見つめる。

「お嬢様」

 恨みがましい、なにかねっとりと絡みつくような声に、リディスは我に返った。隣に座るエミリアが、険しい顔でこちらを見つめている。そういえば、侍女がいたのだ。彼女の存在を半ば忘れていた。

「まさか、とは思いますが。ええ、まさか、です。ご自身が、囮になられるおつもりではありませんよね」

 言ってしまうか、この侍女は。リディスは、目を細めた。あえて言わずとも良いものを。そこは気づいても言わぬのが大人の対応だろうと思うのだが。

「そういうことになるかしらね。リディスの依頼を受けたということは」

 ごまかさないのかい、と。今度はジュリアスタを見やる。
 正攻法で行く主従は、ある意味清々しい。
 普段の自身と王太子ライナルトのやり取りとは、大きく異なる。

「いけません、それは、いけませんわ。お嬢様。そうと分かれば、おとめするほかありません」

 目を吊り上げるエミリアに、

「大丈夫よ」

 先程よりも更に、毒のある笑みを向けるジュリアスタ。
「リディスがいるから。ねえ? あなたの腕、信用していてよ」
 いきなり話を振られ、リディスは面食らう。
「いや、まあ」
 腕に覚えはあるが。先方の実力がわからぬうちは、やたらなことは言えない。エミリアは「それみたことか」と胡乱な目つきになり、
「いくら殿下のお気に入りとは言え、まだ子供でしょう。リディス様は」
「子供子供って、そんなに変わらないだろ、おねえさん」
「では、お尋ねしますが。リディス様は、おいくつでしょうか」
「オレ? 十四だけど」
「あら、やはり子供ですわね。わたくし、十八になります」
 勝ち誇った顔のエミリアに、どうでもいいと思うリディスである。



 結局。エミリアはジュリアスタが黙らせた。正確には、術をかけて眠らせたのだが。眠りのなかで、リディスと押し問答をしているのか。座席に深く身を預けた状態で、眉をひそめたりほくそ笑んだり、唇を尖らせてたりしている。

「彼女は、暗示にかかりやすいから」

 くすくすと軽い笑い声を立てながら、ジュリアスタは馬車から飛び降りる。リディスもそれに続いた。

「エロワ侯爵、ご存知? あの方の直系の孫に当たるのよ。あの家系は大のつく魔術師嫌いでしょう」

 エミリアには、魔術師の血は入っていない。それゆえ、魔術に対する免疫がないのだろう。
 下級貴族でもあるまいに、と思いつつ。
「いいのか? お目付け役だまくらかして」
 公爵にしれたら、問題になるのではないだろうか。
「大丈夫よ。いつものことだから」
 軽い調子で答えるジュリアスタは、
「それに、こんなことでわたくしがどうにかなるとは、父も思ってはいないでしょう」
 軽く片目を閉じて見せる。
「でも。に何かあったら、王家との絆もなくなるし。気に入らない妾腹長男が余計に幅をきかせるようになるんだろ」
「あら。家の心配をしてくれるの」
「まあ、一応」
「優しいのね。さすがは……」
 言いかけて、ふと口をつぐむ。ジュリアスタの、菫に変化した瞳が揺れた。
「……?」
 首を傾げるリディスに
「さ、この姿でのふさわしい言葉使いにかえなくてはね」
 軽く腕を絡めた。



 なぜ、自分はここにいるのだろう。
 アリシアは不安にかられ、周囲を見回した。先日の誘拐の件での聴取とのことで、市警の本部に呼ばれたあと。帰り際に

『ヴィリエ嬢は、こちらへ』

 別室に案内されたのである。
 そこにいたのは、青年だった。不遜な態度で壁に背を預け、胸高に腕を組んでいる。こんな態度を取る人物を、つい最近何処かで見たような気がしたが、思い出せない。
 扉の前で声を失い佇むアリシアを、青年はすくい上げるように見やる。すっと細められた瞳は、金の中に緑をちらしたような不思議な色をしていた。

(あ……)

 異質な瞳。そこで気づく。リディスだ。彼は、リディスに似ているのだ。顔立ちも瞳の色も異なるが、彼とリディスは。整いすぎるほど整った顔立ちも、ある意味似通っていると言えば似通っているのか。

「アリシア・カロル・ヴィリエ嬢」

 名を呼ばれて、アリシアは驚いた。彼は自分を知っているのか。
「はい、あの」
 どちら様でしょう、と尋ねようとして、思いとどまる。なぜかそれ以上の言葉を発してはいけないような、そんな雰囲気が漂っていたのだ。
「とりあえず、座れ」
 青年が、椅子を示す。ここは言われた通りにしよう、と、アリシアは口のなかでもごもごと例を述べながら、腰掛ける。傍に控えていた使用人が、洗練された仕草で椅子を引き、アリシアの介助をしてくれたということは。客人扱いと考えて良いのだろうか。

 アリシアは、改めて青年を見上げた。
 見惚れるほど、綺麗な面立ちをしている。現に、アリシアも思わず溜息を付きそうになったくらいだ。彼は一体、何者なのだろう。身のこなしや視線の配り方を見るに、貴族……それもかなりの上級貴族のようであるが。若くして市警の長官、もしくはその補佐にあたるものなのか。こういう事件に巻き込まれない限り、しがない男爵令嬢の自分が、かかわり合いになることなどない存在であろうということは、なんとなくではあるが、理解できる。
 宮廷にあがることができれば、彼のような青年との恋愛ロマンスもあるのかもしれないなどと、くだらぬことを考えていたアリシアだったが。

「甘い香りを嗅いだ、と証言したそうだな」

 ほんのり甘い妄想が、先日の誘拐事件の記憶に塗り替えられる。

「その香り、どんな香りか教えてもらおうか」
「え?」

 どういうことだ。
 どんな匂いか、言葉で説明しろというのか。それは難しい、と、唇を噛みしめると。
 彼女が入室した扉ではない、別の方向にある扉が開き、続き部屋から一人の女性が現れた。漆黒の髪に黒い瞳の、理知的な美人である。年齢は、今ひとつ不明であるが、二十代といえば、二十代。三十代といえば、三十代。光の当たり具合で何色にでも見える硝子玉のような、不思議な雰囲気を持ち合わせる人物だった。

「錬金術師のアニエスです。鑑定に協力していただけますね」

 深淵を思わせる真っ黒な瞳が、まっすぐに此方を見つめる。
 アリシアはごくりと唾を飲み込み、気圧されるままに頷いた。
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