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悪女は月夜に舞い踊る
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彼女は泣いていた。暗い暗い森の中で。ひとり、声もなく涙を流していた。
月の光に洗われた髪は、透き通るような銀色で。暗がりの中でも淡い輝きを放っていた。涙を生み出す双眸は、長い前髪の影となって見えない。
だが。
そこにある色が、とても稀有なものであることを知っている。
知っているから、恐ろしいのだ。
それが、転生の証であるとわかるから。
あの魔女の生まれ変わりであると、そう、教えられていたから。
王都の下町には、いくつか孤児院が存在する。聖堂に属す公営のものから、私営のものまで、大小合わせれば、それなりの数になるだろうか。その殆どが、貴族や裕福な商人の寄付によって成り立っているのは、嘆くべき点かもしれぬ。貴族の厚意など、気まぐれで。あってないに等しいものなのだから。
「男爵様のように、毎月決まって寄付や差し入れをくださるのは、本当に珍しいしありがたいことなのですよ」
そういって、院長の女性は大袈裟に彼女の手を握ってきた。
「そんな。これは、当然のことですから」
毎度のことに、幾分辟易しながら、彼女……アリシア・カロル・ヴィリエは、愛想笑いを浮かべる。
貴族、男爵、とはいえ。彼女の家も、それほど裕福ではない。特に今年は不作に加え、便乗した盗賊たちに領地を荒らされた。人の好い両親は、それでも施設への寄付を怠ることなく、わずかではあるがと娘に託したのだ。アリシアは、貴族の令嬢としては珍しく、供も連れずにひとりで王都のそこここに両親より預かった寄付の品を届けている。それは、食料であったり、男爵家の娘達の古着であったり、あるときは金子そのものであったりするのだが。
「本当は、後援者として名乗りを上げられるとよいのだけれど」
いっそのこと、施設すべての経営に携わることができればよいのだが。貧乏男爵では、そうもいかない。名ばかりの爵位など、何の役にも立たない。と。アリシアは最近、痛感するのだ。
(むしろ、爵位が邪魔をしていると思うのよね)
王都の商人たちのほうが、下級貴族よりもよほど財力がある。なかには商人の真似事をして、相応に財産を築いたものもあるが。それは、ごく稀である。
「……」
アリシアは、己の指に光る指輪に目を落とした。彼女の瞳と同じ、鮮やかな緑の石である。金の台にのせられたそれは、いったいどれほどの値打ちがあるのだろう、皆はそう思って羨むであろうが。これは、偽物である。硝子を着色したまがい物だ。金の台も当然、鍍金だ。彼女や妹たちの身につけているものは、硝子玉と鍍金ばかりであり、唯一本物があるとすれば。
それは、アリシアの耳に輝く耳飾のみだろうか。否、これも本物かどうか、怪しいものである。
彼女に懸想する平民上がりの騎士が、誕生日に贈ってくれたものだ。彼の給料などたかが知れており、とても純金の装飾品など購入することは、できないのではないだろうか。
「アリシアの耳飾り、きれいー」
「いいなあ、ほしい」
「こいびとからの、おくりもの?」
聖堂の施設に顔を出した折、馴染みになった子供たちが群がってきた。幼くとも、女性である。光り物に対する反応は、早い。アリシアは、「あはははー」と笑いながら、飾りに触れる。これを売れば、少しは金になるのではないか。そんなことを考えてから、
(いやいや、なんて卑しいの、私)
己を叱咤する。と同時に、これを押し付けてきた男の、「そりゃないよー」という情けない声が耳に響いてきた。最悪な幻聴だ。
「みんなも、いつか、恋人からもらえる時が来るから」
楽しみに待っているように、と頭を撫でると、子供たちは目を輝かせて頷いた。無邪気でよろしい、と、笑顔で応じるアリシアだったが。
「あら?」
違和感を覚えて、あたりを見回した。
聖堂に併設された孤児院は、それなりに規模が大きく、預けられている子供も多い。だが、今日は、偶然なのか。アリシアに纏わりついてくる子供たちが、常より少なかったのだ。
「みんな、何処かにでかけているのかしら?」
巫女と施設の職員を兼ねている女性に声をかければ、彼女は苦笑いを浮かべ
「それが……」
言いにくそうに言葉を濁す。
それとも、風邪でも引いたのだろうか。
アリシアが、更に尋ねようとしたときだった。
「よぉ、ひさしぶりー」
明るく張りのある声とともに、塀の上から何かが降ってきた。アリシアも巫女も、「きゃっ」と声を上げて飛び退けば、そこに、白金の髪の少年が降り立っている。彼は頭の高い位置でまとめた長髪を揺らしながら、
「おおっと、アリシア。久しぶり」
弾ける笑顔を彼女に向けた。
「ひさしぶり、リディス」
四年ほど前まで、この施設にいた少年だった。裕福な商人に引き取られたと聞いていたが、時々こうして顔を出しに来る。アリシアもここで彼と会うことは、珍しくない。彼も引き取られた先から託されたのであろう、背にした籠から大量の菓子を取り出し、職員に渡していた。
「これ、みんなに。まだ外にあるから。誰か取りに行くように言って」
「ありがとう、リディス。いつも助かるわ」
職員の礼に被さるように、子供たちの歓声が聞こえる。それに応えるリディスの、眉が僅かに潜められた。
「面子が、足りないな」
彼は庭で駆け回る子供たちを目で追いながら、
「モナがいない? トマも。何処かに引き取られたとか?」
先程のアリシア同様、尋ねている。職員はやはり言い淀んでいた模様だったが、
「実は、ね」
なんと答えて良いものか。そう言いたげな複雑な表情を浮かべて。
「いなくなったのよ。あの子達だけではないの。トライトも、ジゼルも、急に、いなくなって」
忽然と消えて、戻ってこないのだという。
はじめは、何処かに遊びにいっているのかと思っていたが、何日経っても帰ってこない。まさか攫われたのでは、と、市警に訴えたが、取り合っては貰えなかった。どうせ子供のこと、寂しくなれば戻ってくるであろう、と。
『それともなにか? 虐待をしていたのではなかろうな?』
逆に、施設から虐待を受けて逃げ出したのでは、などとあらぬ疑いをかけられる始末である。
「まさか、本当に人さらい?」
アリシアは、己の身体を抱きしめた。昨今は、子供を売買する商人も多く王都に出入りしているという。そういう者たちに目をつけられてしまったのではないか。
彼女は、傍らで考え込むリディスに目を向けた。彼は、その稀有なる珊瑚色の瞳を揺らめかせ、何事かを考え込んでいるようであった。
月の光に洗われた髪は、透き通るような銀色で。暗がりの中でも淡い輝きを放っていた。涙を生み出す双眸は、長い前髪の影となって見えない。
だが。
そこにある色が、とても稀有なものであることを知っている。
知っているから、恐ろしいのだ。
それが、転生の証であるとわかるから。
あの魔女の生まれ変わりであると、そう、教えられていたから。
王都の下町には、いくつか孤児院が存在する。聖堂に属す公営のものから、私営のものまで、大小合わせれば、それなりの数になるだろうか。その殆どが、貴族や裕福な商人の寄付によって成り立っているのは、嘆くべき点かもしれぬ。貴族の厚意など、気まぐれで。あってないに等しいものなのだから。
「男爵様のように、毎月決まって寄付や差し入れをくださるのは、本当に珍しいしありがたいことなのですよ」
そういって、院長の女性は大袈裟に彼女の手を握ってきた。
「そんな。これは、当然のことですから」
毎度のことに、幾分辟易しながら、彼女……アリシア・カロル・ヴィリエは、愛想笑いを浮かべる。
貴族、男爵、とはいえ。彼女の家も、それほど裕福ではない。特に今年は不作に加え、便乗した盗賊たちに領地を荒らされた。人の好い両親は、それでも施設への寄付を怠ることなく、わずかではあるがと娘に託したのだ。アリシアは、貴族の令嬢としては珍しく、供も連れずにひとりで王都のそこここに両親より預かった寄付の品を届けている。それは、食料であったり、男爵家の娘達の古着であったり、あるときは金子そのものであったりするのだが。
「本当は、後援者として名乗りを上げられるとよいのだけれど」
いっそのこと、施設すべての経営に携わることができればよいのだが。貧乏男爵では、そうもいかない。名ばかりの爵位など、何の役にも立たない。と。アリシアは最近、痛感するのだ。
(むしろ、爵位が邪魔をしていると思うのよね)
王都の商人たちのほうが、下級貴族よりもよほど財力がある。なかには商人の真似事をして、相応に財産を築いたものもあるが。それは、ごく稀である。
「……」
アリシアは、己の指に光る指輪に目を落とした。彼女の瞳と同じ、鮮やかな緑の石である。金の台にのせられたそれは、いったいどれほどの値打ちがあるのだろう、皆はそう思って羨むであろうが。これは、偽物である。硝子を着色したまがい物だ。金の台も当然、鍍金だ。彼女や妹たちの身につけているものは、硝子玉と鍍金ばかりであり、唯一本物があるとすれば。
それは、アリシアの耳に輝く耳飾のみだろうか。否、これも本物かどうか、怪しいものである。
彼女に懸想する平民上がりの騎士が、誕生日に贈ってくれたものだ。彼の給料などたかが知れており、とても純金の装飾品など購入することは、できないのではないだろうか。
「アリシアの耳飾り、きれいー」
「いいなあ、ほしい」
「こいびとからの、おくりもの?」
聖堂の施設に顔を出した折、馴染みになった子供たちが群がってきた。幼くとも、女性である。光り物に対する反応は、早い。アリシアは、「あはははー」と笑いながら、飾りに触れる。これを売れば、少しは金になるのではないか。そんなことを考えてから、
(いやいや、なんて卑しいの、私)
己を叱咤する。と同時に、これを押し付けてきた男の、「そりゃないよー」という情けない声が耳に響いてきた。最悪な幻聴だ。
「みんなも、いつか、恋人からもらえる時が来るから」
楽しみに待っているように、と頭を撫でると、子供たちは目を輝かせて頷いた。無邪気でよろしい、と、笑顔で応じるアリシアだったが。
「あら?」
違和感を覚えて、あたりを見回した。
聖堂に併設された孤児院は、それなりに規模が大きく、預けられている子供も多い。だが、今日は、偶然なのか。アリシアに纏わりついてくる子供たちが、常より少なかったのだ。
「みんな、何処かにでかけているのかしら?」
巫女と施設の職員を兼ねている女性に声をかければ、彼女は苦笑いを浮かべ
「それが……」
言いにくそうに言葉を濁す。
それとも、風邪でも引いたのだろうか。
アリシアが、更に尋ねようとしたときだった。
「よぉ、ひさしぶりー」
明るく張りのある声とともに、塀の上から何かが降ってきた。アリシアも巫女も、「きゃっ」と声を上げて飛び退けば、そこに、白金の髪の少年が降り立っている。彼は頭の高い位置でまとめた長髪を揺らしながら、
「おおっと、アリシア。久しぶり」
弾ける笑顔を彼女に向けた。
「ひさしぶり、リディス」
四年ほど前まで、この施設にいた少年だった。裕福な商人に引き取られたと聞いていたが、時々こうして顔を出しに来る。アリシアもここで彼と会うことは、珍しくない。彼も引き取られた先から託されたのであろう、背にした籠から大量の菓子を取り出し、職員に渡していた。
「これ、みんなに。まだ外にあるから。誰か取りに行くように言って」
「ありがとう、リディス。いつも助かるわ」
職員の礼に被さるように、子供たちの歓声が聞こえる。それに応えるリディスの、眉が僅かに潜められた。
「面子が、足りないな」
彼は庭で駆け回る子供たちを目で追いながら、
「モナがいない? トマも。何処かに引き取られたとか?」
先程のアリシア同様、尋ねている。職員はやはり言い淀んでいた模様だったが、
「実は、ね」
なんと答えて良いものか。そう言いたげな複雑な表情を浮かべて。
「いなくなったのよ。あの子達だけではないの。トライトも、ジゼルも、急に、いなくなって」
忽然と消えて、戻ってこないのだという。
はじめは、何処かに遊びにいっているのかと思っていたが、何日経っても帰ってこない。まさか攫われたのでは、と、市警に訴えたが、取り合っては貰えなかった。どうせ子供のこと、寂しくなれば戻ってくるであろう、と。
『それともなにか? 虐待をしていたのではなかろうな?』
逆に、施設から虐待を受けて逃げ出したのでは、などとあらぬ疑いをかけられる始末である。
「まさか、本当に人さらい?」
アリシアは、己の身体を抱きしめた。昨今は、子供を売買する商人も多く王都に出入りしているという。そういう者たちに目をつけられてしまったのではないか。
彼女は、傍らで考え込むリディスに目を向けた。彼は、その稀有なる珊瑚色の瞳を揺らめかせ、何事かを考え込んでいるようであった。
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