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王太子の密約
06
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不穏な計画を持ちかけられてから、半月ほど過ぎたころ。レオンス商会に、ジュリアスタの名で荷物が届けられた。葡萄酒である。バシュレ公爵領の特産の一つだ。この地域の葡萄は、濃厚な味わいが特徴であった。苦味が強く、香り高い。いわゆる通好みの酒なのだ。大抵は葡萄酒を湯で割って嗜むが、シュレンヌでは胡椒で味に変化をつける。それを知って、南方より希少な胡椒を取り寄せ、酒に添えたということだった。
酒樽と、胡椒の入った壺を届けた商人は、
「リディス様への差し入れ、と仰せつかっております」
慇懃に告げて去ったということだ。
「はてさて、どうして此処にリディス様がいらっしゃることがわかったのか」
サシャは、至極当たり前の疑問を口にする。それはそうだろう。宮廷においても、リディスの存在は公にはされていない。住まいも、王都の外れの離宮である。そこに、『同居人』や少数の使用人と共に暮らしているゆえ、彼女を知らぬ者のほうが多い。というよりも、王家の者以外、彼女の存在を知らない。
ジュリアスタを通じて、バシュレ公爵家の人々は知っているかもしれぬが。
それでも、リディスがシュレンヌのレオンス商会に滞在していることまで、把握しているだろうか。
(なんだかねぇ)
目の前に積まれた『贈り物』を見つめ、リディスは息をつく。あの、リズナは、賢いのか愚かなのか。正直わからない。リディスの存在・素性に関しては驚くほど知り尽くしているのに、肝心なところは抜けている。
「殿下がつるっと喋ったんじゃねぇの? あ、口を滑らせてしまったのではなくて?」
なぜに、敵を庇わなければならない。
誰かを嵌めるつもりであれば、もっとうまく立ち回れ、と。リズナとその背後にいる黒幕に、説教したい。
これでリディスが毒殺されかかったとしても、犯人が即バシュレ家、ジュリアスタであるとは思わぬだろう。誰が見ても、ジュリアスタの名を語った何者かの犯行だ。
まさか、あえてそこを狙っているようにも見えなかったが。
どうしたものか。
「まあ、とりあえず」
リディスは酒樽を開け、中の液体を小瓶に詰める。木栓でしっかり蓋をし、袋に詰めてから、次は香辛料の壺を覗く。そこからも同様に一部を壺に移し、同じ袋に放り込む。
「リディス様? 何をなさっていらっしゃるのですか?」
不思議そうに見つめるサシャと執事に、
「おすそ分け」
意味深長な笑みを送り、リディスは傍らの鉢植えに手を伸ばす。いくつか置かれている観賞用の鉢の中から、見事な紫の花を咲かせているものに息とともに二言三言声をかけると。
ふわっ。
花弁が、羽に変化した。
「おお?」
感嘆の声があたりに響く。魔術を間近で見るのは、はじめてなのか。
紫の花は、柔らかな羽毛を持つ鳥に変化し、リディスの手首にちょこんと乗ると、小首をかしげた。まるで、命令を待つかのように。
「こいつを、あの錬金術師に」
鳥の首に袋の紐をかける。鳥は大儀そうに『主人』を見上げ、次に袋に目を向けた。話が違う、とでも言いたげな、不満げな目つきだ。
「我儘言わない」
もふっとした胸の羽毛を指の背で撫で、じっと目を覗き込めば、やれやれと言った様子で『鳥』は飛び立った。荷物を運んでいるとは思えぬほど、身軽な動きである。窓から空へとあっという間に消えていくその姿を、サシャたちは口を開けて見つめていた。
「サシャ殿?」
「あ、ああ……お見事ですな、まるで魔法です」
「簡単な術です。王家では皆使っていますよ。たまに、伝令が来るでしょう」
「いや、実際に拝見したのは初めてでして。その、こう、う……生まれる? ところとか」
「生まれる……まあ、生まれ……たか?」
植物やものが『伝令』に変化する瞬間は、確かに術者でなければそうそう見ることもないかもしれぬ。
後で観葉植物全てを鳥に変えてみようか。リディスは愚にもつかぬことを考えて、一人、笑いを漏らした。
◆
レオンス商会で、急病人が出たのは、その、三日後である。
ある貴族から届けられた酒に毒が入っていた。そんな噂が市中を駆け回る。主人のサシャとその家族は無事なのか、取引のある貴族、商人はこぞって見舞いの使者を送ってよこすが、幸い一家は無事であったようだ。
「では、どなたが」
皆、一様に不審そうな顔をして尋ねるが、そのたびにサシャは
「お預かりしている客人が」
とだけ、答えていた。
やがて、遠方より商談に訪れていた、ネストルとその妻が見舞いに訪れる。シュレンヌに到着早々、暴漢に襲われて負傷したネストルも、傷が癒えて漸く介添え無しで移動できるようになったようだ。彼はレオンス商会の『客人』に良からぬことがおきたと聞き及んで、慌てて駆けつけたという。
「レオンスさんのお客人といえば、我らの命の恩人ではないですか」
なぜすぐに知らせてくれなかったのだ、と。医者まで引き連れたネストルは、怒りを滲ませる。ケチな割には、義理堅いところもあるのだと、サシャは吹き出しそうになるのを堪えながら、
「いや、これは申し訳ない。まだ、御身も本復されてはいらっしゃらないようですし、ご心配をおかけしてはならないと思いましてな」
苦しい言い訳をする。すると細君のリズナが、
「そんな。命の恩人たる、リディス様が苦しんでおられるのに……! そんな人でなしなこと、させないでくださいまし」
涙ながらに訴える。
彼女は一頻り恨み言を述べ終わると
「それで、リディス様はどうなさったのですか?」
涙に滲んだ目をサシャに向けた。榛の瞳が、不穏な光を宿している。サシャは一瞬肩を揺らしたが、
「それがですね」
差し入れとして送られてきたものに、毒物を仕込まれていたと答えた。
「まあ……葡萄酒に……」
「そうなのですよ。まったく、送られた方が送られた方なので、これまた、どうしたものか」
サシャが頭を抱える。リズナは、哀れみを含んだ眼差しを彼に向けた。
「それは……どなたか、高貴なるお方なのでしょうか」
たとえば、と、リズナが何人かの名を上げ始めたとき。
「わたくしから、ということでしたわね」
部屋の奥から、凛とした声が響いてきた。リズナもネストルも、弾かれたようにそちらを見やる。
と、静かに扉が開き、深く頭を垂れた使用人たちの間を縫うように。
ひとりの令嬢が姿を表した。
酒樽と、胡椒の入った壺を届けた商人は、
「リディス様への差し入れ、と仰せつかっております」
慇懃に告げて去ったということだ。
「はてさて、どうして此処にリディス様がいらっしゃることがわかったのか」
サシャは、至極当たり前の疑問を口にする。それはそうだろう。宮廷においても、リディスの存在は公にはされていない。住まいも、王都の外れの離宮である。そこに、『同居人』や少数の使用人と共に暮らしているゆえ、彼女を知らぬ者のほうが多い。というよりも、王家の者以外、彼女の存在を知らない。
ジュリアスタを通じて、バシュレ公爵家の人々は知っているかもしれぬが。
それでも、リディスがシュレンヌのレオンス商会に滞在していることまで、把握しているだろうか。
(なんだかねぇ)
目の前に積まれた『贈り物』を見つめ、リディスは息をつく。あの、リズナは、賢いのか愚かなのか。正直わからない。リディスの存在・素性に関しては驚くほど知り尽くしているのに、肝心なところは抜けている。
「殿下がつるっと喋ったんじゃねぇの? あ、口を滑らせてしまったのではなくて?」
なぜに、敵を庇わなければならない。
誰かを嵌めるつもりであれば、もっとうまく立ち回れ、と。リズナとその背後にいる黒幕に、説教したい。
これでリディスが毒殺されかかったとしても、犯人が即バシュレ家、ジュリアスタであるとは思わぬだろう。誰が見ても、ジュリアスタの名を語った何者かの犯行だ。
まさか、あえてそこを狙っているようにも見えなかったが。
どうしたものか。
「まあ、とりあえず」
リディスは酒樽を開け、中の液体を小瓶に詰める。木栓でしっかり蓋をし、袋に詰めてから、次は香辛料の壺を覗く。そこからも同様に一部を壺に移し、同じ袋に放り込む。
「リディス様? 何をなさっていらっしゃるのですか?」
不思議そうに見つめるサシャと執事に、
「おすそ分け」
意味深長な笑みを送り、リディスは傍らの鉢植えに手を伸ばす。いくつか置かれている観賞用の鉢の中から、見事な紫の花を咲かせているものに息とともに二言三言声をかけると。
ふわっ。
花弁が、羽に変化した。
「おお?」
感嘆の声があたりに響く。魔術を間近で見るのは、はじめてなのか。
紫の花は、柔らかな羽毛を持つ鳥に変化し、リディスの手首にちょこんと乗ると、小首をかしげた。まるで、命令を待つかのように。
「こいつを、あの錬金術師に」
鳥の首に袋の紐をかける。鳥は大儀そうに『主人』を見上げ、次に袋に目を向けた。話が違う、とでも言いたげな、不満げな目つきだ。
「我儘言わない」
もふっとした胸の羽毛を指の背で撫で、じっと目を覗き込めば、やれやれと言った様子で『鳥』は飛び立った。荷物を運んでいるとは思えぬほど、身軽な動きである。窓から空へとあっという間に消えていくその姿を、サシャたちは口を開けて見つめていた。
「サシャ殿?」
「あ、ああ……お見事ですな、まるで魔法です」
「簡単な術です。王家では皆使っていますよ。たまに、伝令が来るでしょう」
「いや、実際に拝見したのは初めてでして。その、こう、う……生まれる? ところとか」
「生まれる……まあ、生まれ……たか?」
植物やものが『伝令』に変化する瞬間は、確かに術者でなければそうそう見ることもないかもしれぬ。
後で観葉植物全てを鳥に変えてみようか。リディスは愚にもつかぬことを考えて、一人、笑いを漏らした。
◆
レオンス商会で、急病人が出たのは、その、三日後である。
ある貴族から届けられた酒に毒が入っていた。そんな噂が市中を駆け回る。主人のサシャとその家族は無事なのか、取引のある貴族、商人はこぞって見舞いの使者を送ってよこすが、幸い一家は無事であったようだ。
「では、どなたが」
皆、一様に不審そうな顔をして尋ねるが、そのたびにサシャは
「お預かりしている客人が」
とだけ、答えていた。
やがて、遠方より商談に訪れていた、ネストルとその妻が見舞いに訪れる。シュレンヌに到着早々、暴漢に襲われて負傷したネストルも、傷が癒えて漸く介添え無しで移動できるようになったようだ。彼はレオンス商会の『客人』に良からぬことがおきたと聞き及んで、慌てて駆けつけたという。
「レオンスさんのお客人といえば、我らの命の恩人ではないですか」
なぜすぐに知らせてくれなかったのだ、と。医者まで引き連れたネストルは、怒りを滲ませる。ケチな割には、義理堅いところもあるのだと、サシャは吹き出しそうになるのを堪えながら、
「いや、これは申し訳ない。まだ、御身も本復されてはいらっしゃらないようですし、ご心配をおかけしてはならないと思いましてな」
苦しい言い訳をする。すると細君のリズナが、
「そんな。命の恩人たる、リディス様が苦しんでおられるのに……! そんな人でなしなこと、させないでくださいまし」
涙ながらに訴える。
彼女は一頻り恨み言を述べ終わると
「それで、リディス様はどうなさったのですか?」
涙に滲んだ目をサシャに向けた。榛の瞳が、不穏な光を宿している。サシャは一瞬肩を揺らしたが、
「それがですね」
差し入れとして送られてきたものに、毒物を仕込まれていたと答えた。
「まあ……葡萄酒に……」
「そうなのですよ。まったく、送られた方が送られた方なので、これまた、どうしたものか」
サシャが頭を抱える。リズナは、哀れみを含んだ眼差しを彼に向けた。
「それは……どなたか、高貴なるお方なのでしょうか」
たとえば、と、リズナが何人かの名を上げ始めたとき。
「わたくしから、ということでしたわね」
部屋の奥から、凛とした声が響いてきた。リズナもネストルも、弾かれたようにそちらを見やる。
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