【完結】銀月揺れる、箱庭

東沢さゆる

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28.夢の続きを

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 新緑に、銀色の髪が映える。
 まるで、淡雪が落ちたようだ、と。アグネイヤは思った。脳裏に遠き日の思い出が蘇り、「ふ」と、扇の下で笑みを刻む。

「よく、似ていらっしゃるでしょう」

 此方に気づいて振り返ったアデルが、貴婦人の礼を取る。彼女は皇帝のために道をあけ、そっと窓から離れた。アグネイヤはアデルの肩越しに、露台で風と戯れるディークハルトを見やる。初夏の日差しの下で、きらきらと輝く銀の髪。表情を映さぬ、凍てついた青き双眸。

「似合わない組み合わせね」

 白銀の貴公子と呼ばれた夫と瓜二つの甥、彼に鮮やかな陽光は似合わない。
 亡き夫の代わりに、その甥がサリカの故郷を訪れた。全ての色彩が鮮やかなるこの国で、彼の儚さはより一層際立つ。

 アシャンティの離宮の中でも、最も奥まった場所に設けられた彼の居住区域は、主人の趣味よりもその祖母リディアの趣味が尊重されているらしい。どこかしらミアルシァの香りが漂う異国風の樹木に囲まれた庭は、ディークハルトの異質さを際立たせている。この日差しの下で、彼は雪のごとく溶けて消えてしまうのではないかと思ってしまう。

「アグネイヤ陛下」

 此方に気づいたディークハルトが、会釈をする。アグネイヤも、軽く視線で応えた。
「そろそろ、こちらでの生活には慣れて?」
 問いかければ、
「それなりに」
 そっけない言葉が返る。
 それでも、その言葉に彼なりの感謝の意が込められていることに気づき、アグネイヤは小さく声を上げた。
「陛下?」
 なにか、と首を傾けるアデルに
「少しね。思い出したことがあるの」
 笑顔を落として、その場を離れる。



 あれは、いつのことだろうか。
 アデルと、初めて出会ったころであったような気がする。
 王妃ラウヴィーヌの策略で、ディグルに毒杯が渡されたとき、彼は即座にそれを見破り、廃棄した。

 意外だった。

 あれほど生に執着しない男が、毒杯を避ける。考えれば答えはすぐに分かるのだが、そのときは一瞬、珍獣を見たような気分になったものだ。
 食事もほぼとらない、酒を少々嗜むのみ。それでよく生きていける。夫は、本当に妖魔のたぐいではないのか。さすがの彼女もしばしば疑ったほどである。
 病を得た身体で、よくも三十年近く生き延びたと感心する。しかも、彼の死因は病ではない。謀殺というのだから。
(あれで普通に鍛えて食事していたら、どれだけの猛者になっていたのかしらね)
 想像すると、おかしくなる。
 ディグルに瓜二つのディークハルト、彼の姿を振り返り、
「……」
 自身の想像に吹き出せば。
「陛下。良からぬことを考えるのは、おやめください」
 すっ、と近づいてきた、妃のひとりシェラが僅かに眉をひそめる。
「なあに? シェラ。別に何も考えていないけれど?」
「いいえ。シェラにはわかります。陛下が悪だくみをなさるときのお顔です、それは」
 この妃には、かなわない。アグネイヤは、別の意味で吹き出した。
「陛下」
「別に悪いことではなくてよ? ディルクの食事を増やして、体術の時間も読書の倍に増やしたらどうかしら、と思っただけだから」
「……」
 シェラは、不審そうに目を細める。本当ですか、と、その青い瞳が問いかけていた。
「身体が弱いと聞いていたけれど、アシャンティに来てから此方、元気に過ごしているようだし。一国のあるじたるもの、自分の身は自分で守れるようにしなければ、示しがつかないのではなくて?」
「すべての君主が、陛下やルクレツィア陛下のようなかたではありませんよ」
 双頭の龍に例えられるこの双子の姉妹は、特別なのだとシェラは言う。確かにそれはそうかも知れない。シェラの従姉たるカルノリア皇帝アレクシアは、エルメイヤ三世の再来と言われる博識な文人皇帝である。剣どころか、刃物には触れたこともないだろう。エランヴィア大公も兼ねている真実のツィスカイルザも、匙より重いものは持ったことがないであろう、深窓の姫君だ。
「陛下の周りにいらっしゃる方が、特別なのです」
 母后リディア、妃ソフィア、シェラ、ルナリア。心のなかで指折り数え、
「そうねえ」
 これだけ揃えば、稀有ではないと思うけれど、と、アグネイヤは唇を尖らせる。
「逆にこれだけの剣士がそばにいるのだから、鍛えてあげないのは非情というものではなくて?」
「詭弁です、陛下」
「あなただって、剣の相手がほしいでしょう? わたしやソフィアだけじゃ、物足りないのではなくて?」
 ぴくりとシェラが反応する。もともと武官出身の彼女、後輩を鍛えたい欲求が生まれていたようだ。彼女も、ちら、と視線をディークハルトに送ると、彼の背中が僅かに震えたのが見えた。悪寒を覚えたらしい。

「陛下、もしやお身体に障りが……」

 慌てふためく、アデルの声が聞こえた。



 そもそも、と。ティルは立てた人差し指を突き出して
「妃を何人も侍らすってコト自体、おかしいんだよね」
 神聖帝国の伝統とはいえ、と。半ばボヤキに似た言葉を漏らす。
 神聖帝国はその版図を拡大するに当たり、征服した土地の領主の娘を娶り、その地の新たな領主としていった経緯がある。ゆえに、正妃である巫女姫の他に子を為すための妃を複数儲ける、という奇異な婚姻が行われていたのだ。
 一夫一婦制が基本のこのタミアラ大陸において、神聖帝国の婚姻制度は明らかに異端であり、ミアルシァからは蔑視の対象とされていた。だからであろう。神聖帝国の古代紫の瞳を、ミアルシァが忌み嫌うのは。
「後宮、っていうんだっけ? お后様の他に何人も『妃』を持つ制度があるのは、東の大陸に多い風習なんだよね。神聖帝国初代皇帝は、そのあたりの伝統を受け継いでいるのか、目下のところ研究中なわけ」
 わかる? そう言って宰相は、隣国の国王を見下ろした。

 アシャンティの離宮の一室、ディークハルトの居住区にある執務室にて。宰相ティルが、神聖帝国の歴史の講釈を行っているのを、

「間違ってはいないのでしょうけど、教育的には、あまりよろしくない指導なのではないでしょうか」

 不安げに見守る、アデルの姿があった。
 隣室からそっと覗いている状態ではあるが、なにかあれば即乱入していきそうな気配を漂わせている。
 アデルにとっては、ディークハルトは主君であり養い子でもあるのだ。通常の主従関係、親子関係よりも強い絆がそこにある。とはいえ。

「可愛いからと言って、綺麗事しか伝えないのは宜しくないと思うが」

 傍らに佇むシェラが、気難しい顔でアデルを嗜めた。
 それでも、アデルはそわそわとディークハルトとティルを見比べている。余程あの宰相が信用ならぬのか。確かに、

『じゃあ、実践してみようか』

 と、ディークハルトに何人もの女性をあてがうくらいのことは、やりそうだ。
 フィラティノアは完全なる一夫一婦制なのにね、と呟くアグネイヤに、
「陛下。そういうことではなくて!」
 アデルは、もはや泣きそうな顔で訴えた。
「そういう心配もないように、今後はローザと一緒に講義を受けたほうがいいかもしれないわね」
「ロザヴィーン殿下、ですか」
 今度は、シェラが、眉間に皺を寄せる。
「シェラは、不満なの?」
「そういうわけではありませんが。ロザヴィーン殿下よりも、どちらかといえば……」
 妃が口にした名を、アグネイヤは微笑で受け流した。
「あの子は、だめね。『彼』が離さないでしょう」
 その面影を心に描き、また別の笑みを浮かべる。

 ディークハルトにロザヴィーン。片翼の血を受けた、大切な宝物。かつて双子が共に見た夢を、現に叶えている夢を、継いでくれる兄妹。
 彼らを教え、育み、導くことが、皇帝アグネイヤ四世に課せられた役目の一つでもあるのだ。
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