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23.知ってしまった真実

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 少しお話しましょう――王配より直々に声をかけられては、断るわけにはいかない。市井育ちとはいえ、ここ数ヶ月で貴族としての教養を多少なりと身に付けた今、セシルはそれがどれほど不敬なことか知ってしまったのだ。不本意ながらセシルは頷くしかない。不穏な空気を悟ったダニエラがこちらを振りむいたが、彼女の琥珀の瞳がウィルフリートを捉えるより早く、
「さあ、では、こちらへ」
 ウィルフリート自らがセシルを案内する形で、二人はあっさりと引き離されてしまう。こうなっては、ダニエラにも為す術がない。温和な彼女にしては珍しく、強く眉を引き絞る姿が見え、対するウィルフリートの口元は、勝利の笑みに彩られていた。その笑みがとても不快なものに思え、セシルは視線に力を込める。これが、国の上に立つ人物の表情か――そもそも、ウィルフリートは一度は王冠をその頭上に戴いた身である。僅かな期間とはいえ、このように卑しき心根を持つ者を主君と仰いだのか、この国は。思うと、やるせなさが込み上げてきた。
 助けを求める思いで、今一人の守護者であるルクレツィアを見たが、残念なことに彼女は姿が見えなかった。玉座から降りて、何処へ行ったのだろう。憚りか。
 女王不在のその隙をついて、卑怯にもウィルフリートがセシルに迫って来たのだ。王配が傍にいるせいか、先程までちらちらとこちらを窺っていたはずの貴族たちは、ぴたりと”お喋り”を止め、まるでセシルなど初めから存在してはいなかったかのように、視線すらも向けようとしなくなっていた。
(どうしよう)
 頼りとなるべき女王もダニエラも、エドアルドでさえも。ウィルフリートの魔手から、セシルを救いだしてはくれない。
 ここで彼を振り払ったとしても、セシルに逃げる当てもなく。ただ従うのみの己の不甲斐なさに、セシルは嘆息したくなった。このようなとき、父であれば機転を利かせて逃れたのだろう。そういうところも、父と自分は違う。



「こういう席は、初めてなのですね」
 広間を離れ、回廊を抜け、客人用に設えられた部屋に通されたセシルは、勧められるままに席に着いた。ひんやりとした空間に、侍女がともした灯りが、ひとつ、ふたつ。ウィルフリートと自分を照らし出す。それに気付き、セシルは慌てて目を伏せた。蝋燭の炎に照らし出されれば、自分の双眸は青緑ではなくなる。
「今までは、どちらに?」
 侍女が居ても構わずに、ウィルフリートが切り出す。彼にとっては、侍女は置物の一つでしかないのだろう。侍女の方も心得ているのか、聞かぬ存ぜぬといった態度で、黙々とウィルフリートとセシルに給仕をしている。木の椀に注がれた赤葡萄酒が、ゆらりと波打ち、面にセシルの困惑した表情を映し出した。
「ヘルムート伯爵邸に、お世話になっておりました」
「そういうことではないでしょう」
 セシルの答えが、王配を苛立たせたらしい。そこが狙いでもあるが、随分単純な男だとセシルは呆れた。
「いや、そう、そうですね。正直な姫君だ」
 ウィルフリートも感じるところがあったのだろう、すぐに表情を取り繕い、微笑を浮かべる。そのわざとらしさが、セシルの神経を逆撫でした。ルクレツィアが王配を受け入れないのも、判る気がする。自分が女性であったら、このような男は真っ先に願い下げだ。
「ああ、隠さなくてもいずれ判ることですよ。女王陛下が、乳飲み子である貴方をいずこかへ隠したことは判っております。女王陛下と何処の馬の骨とも知れぬ、下賎の男との落胤たる貴方をね」
 そう思っているのであれば、勝手に思えばいい。
 セシルは冷めた心で、水面に映る自身の顔を見つめた。
「ここで貴方を呼びもどしたということは、いずれ貴方を公式に御子として認知し、王位を継承させるおつもりなのでしょう。女王陛下は」
 そのようなことはないだろう。なにより、セシルとルクレツィアは、親子ではないのだから。
 それよりも現国王の一人であるディークハルト一世、彼は存命なのだ。従兄の息子になど、王位を譲る必要も義理もない。そもそも、ディークハルト一世を王座に返り咲かせるためにセシルを使った茶番を仕組んだのだ、エドアルドは。それを考えると、目の前の男が哀れに思えてきた。
 腐った生贄の羊に喰らいついた狼。それが、ウィルフリートである。
「もう、ご存知でしょう、姫君。ご自身の、出生の秘密を」
「ええ、まあ」
 大体は、母アデルから聞いている。が、ルクレツィアの落胤としての秘密は、当然ながら聞かされてはいない。
「貴方の父上は、卑しい平民、それも、陛下直属の密偵です」
「そうなのですか」
 ルクレツィアには、想い人がいたのだ。ならば余計、ウィルフリートを寄せ付けたくはないだろう。セシルはいたく女王に同情した。
 しかし、密偵とは。もしも本当に、彼との間に子を為してしまったとしたら、それは隠さざるを得ないだろう。そう考えてセシルは、こくりと息を呑んだ。女王の落胤が、本当に存在するのではないか。自分は、その人の身代わりとして育てられたのではないか。顔立ちが女王と瓜二つなのを良いことに、初めから生贄として育てられていたのではないか、と――そんな不安が頭を擡げ始める。
(そんな)
 ディークハルトだけではない、彼の弟か妹、この世に存在してはいけない不義の子の身代わり。
 父も母も、セシルを愛しくは思わなかったのか。彼らにとって、主君の、従妹の子供は、それほどまでに大切な存在だったのだろうか。血を分けた我が子よりも。
 ざ、と、血が音を立てて引いていくのが判った。掌が冷たい。セシルは唇を噛んだ。そんなことはない、と感情は否定していても、心の何処かで両親を糾弾し始める自分が居る。
(父上、母上)
 手の中で、衣裳がくしゃりと丸められた。
「セシル……姫。貴方の父上は、それはもう、愚かで無様な男でしたよ。不敬にも、一国の君主たる婦人を辱め、その胎に自身の胤を植え付けてしまった。本来であれば罪を悔いるべきなのに、子を為してもなお、陛下との愛欲に耽り続けた。このままでは不義の子が幾人できるか判らない、それくらい、陛下を求め続けていたのですよ」
 ウィルフリートの声が、脳の中を素通りしていく。
 それが何だというのだ、この男は。
 幼子に男女の営みを聞かせるなど、何処まで品のない人物なのだろう。これでも貴族か、王族かと罵りたくなる。こんな人物を戴いている限り、この国の未来は暗いだろう。不本意とはいえ、このような者を夫として侍らしているルクレツィア一世、彼女の不甲斐なさにも腹が立つ。
「ですので、我らは罰を下しました。件の下衆に。再び陛下が身重になられた、そのときを待って」
 ふ、と。ウィルフリートの口元に酷薄な笑みが宿る。セシルは上目遣いに彼を見上げた。女王の情人、彼は殺されたのだ。ピンときた。
「しかし、邪魔が入りましてね。これがまた、いつも煩く蠅のようにやって来る……鬱陶しい侍女頭、あの婦人さえいなければ……ああ、結果、あの婦人を先に始末したことが、功を奏したのですね」
「婦人?」
 その言葉が、心に刺さる。
 婦人。
 何故だろう。心臓が、いつになく激しく波打ち始める。
「それは、もしかして」
 エルナ、と。セシルはその名を口にした。父の愛称。エルネスタの名を捨て、エレオノーレを名乗っていた父が、それでも決別できずに自身の通称としていた呼び名。
「おや、ご存じだったのですか、あの婦人を」
 ウィルフリートの声が、幾重にも頭の中に木霊した。
「エルナ、を。エルナを、殺められたのですか? 殺めたのですか、あなたが?」
 眩暈に似た感覚を押さえ、真直ぐにウィルフリートを見据える。焔が自身の真実の色を映し出すのも構わずに、セシルは身を乗り出した。意外な反応にウィルフリートは一瞬、身を反らせたが、すぐに余裕を取り戻したか
「ええ。始末いたしました」
 莞爾として応じる。
「あ……」
 刹那、セシルの中で何かが砕ける音がした。
 父上、と。唇が僅かに震えはしたものの、それが声として出されることはなかった。
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