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22.崩れる

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 やはり、想像をしていた通りであった。
 周囲からの視線を受けて、セシルは扇の下で溜息をつく。

 ――まあ、ほんとうに、よく似ていらっしゃること。
 ――これは、隠しようがないですな。

 ざわりざわりと、木々のざわめきにも似た囁きが、其処此処に広がっていく。セシルが王宮広間に足を踏み入れた途端、それは始まり、漣は消えることなく次なる波紋を呼び寄せる。
「気になさらぬように」
 傍らを行くダニエラが、笑みを向けてくる。ふわりと優しい、春の陽だまりを思わせる笑みだ。エドアルドが細君を”陽だまりの女神”と呼ぶ気持ちがよく判る。彼女が傍にいてくれるだけで、落ち着く。安心できるのだ。セシルは頷き、人々の席を縫うようにして国主たるルクレツィア一世の前に進み出た。
「よく、来てくれましたね」
 自分と同じ顔がそこにある。
 思いながら、セシルは深く首を垂れていた。脇でダニエラが挨拶を述べ、女王より面を上げるよう許可が下りたとき、セシルは躊躇った。先日と同様に。何故か、ルクレツィアを見ることが憚られるのだ。ルクレツィアと自分、二人が同じ空間に居ること、これがそもそもの間違いなのではないかと思う。自分は、国王の前に立てる人間ではない。委縮してしまう気持ちを察してか、
「初めての王宮は、緊張するでしょう。ダニエラに色々教えてもらいなさい」
 ルクレツィアが直々に声をかけて来た。
 それに対して、先程とはまた別のざわめきが起こる。
「陛下は、こちらのご令嬢に随分と心を砕いていらっしゃるようですね」
 間近から、男性の声が聞こえた。甘く、深みのある女性受けの好さそうな声だ。セシルは反射的に顔を上げ、不覚にもその人物と視線を交わしてしまう。女王の隣に席を設けられた男性、王配たるウィルフリートの存在に、今初めて気付いた。
「あ」
 と声を上げそうになるのを押さえ、セシルは
「勿体ない事です」
 言って再び頭を下げる。ぼそぼそとくぐもった、みっともない喋り方だと思う。もう少し、堂々と出来ないのか――父が居れば、きっとそう言って来ただろう。
「面を上げよ、セシル――姫?」
 ウィルフリートから声をかけられる。セシルは一度固く目を閉じ、観念して顔を上げた。二度目に交わされた視線は、先程よりも棘がない。が、疑惑が確信に変わった、そのような勝利者の色を宿している。
「陛下の御子と言われても頷けるほど、よく似ていらっしゃいますね」
 彼の言葉は、セシルにではなくルクレツィアに向けられていた。不義の子を見つけた、その喜びに浸っているのだろう。彼はルクレツィアの反応を楽しんでいるようであったが、期待に反してルクレツィアは眉一つ動かさなかった。
「ほんとうに」
 笑顔にも余裕が感じられる。当然だ。セシルは”女王の娘”ではない。彼女の”従兄の息子”だ。勝手に騙されている、思いこんでいるのは周囲だ。それを考えると、セシルの中に奇妙な喜びが生まれた。王宮に侍る貴族・高官たちを欺いている、そのことがなんだか楽しい。ふと隣を見れば、ダニエラも同じ気持ちなのだろう。軽く口角を上げ、セシルに目配せを送って来た。


 楽師たちが音楽を奏で、給仕らが料理を運んでくると、人々は好きに場所を移動して、其々の話題に花を咲かせ始めた。自身の領地のこと、王宮での生活のこと、子女の縁談、市井のそれと規模が違うだけでさして変わりのない内容に加え、セシルの方へとちらちら視線が注がれ、それに関する話題が更に声を潜めて人の口に上っていくのだ。さすがにあからさまにセシルの元にやって来る者はいない。遠巻きにセシルとダニエラの様子を窺っているだけである。ダニエラはセシルを伴い、主だった貴婦人と軽く挨拶を交わしながら、
「さあ、少しはお召し上がりくださいませ。夜は長いのですよ」
 給仕を呼びとめ、上品に刻まれた鴨肉や木苺を使った焼き菓子などをセシルに勧めた。セシルはそれを受け取り、幾つか口に運んだが、いかんせん他人の視線が気になって仕方がない。これほどの人々に注目されたことなどないのだ。セシルが指一本動かすたびにざわめきが起こり、視線が向けられ、一歩歩こうものなら凝視される。自分は見世物ではないのだと言いたいが、そのようなことを言えば、更に反応が大きくなるだけだ。
「少し、表の空気を吸いたいのですが」
 ダニエラに訴えると、
「そうですね」
 露台に出ましょう、と、彼女も賛成してくれた。
 しかし、二人が露台に向かって歩きだしたとき、
「ヘルムート伯爵夫人」
 ダニエラを呼びとめる者がいた。
「まあ、バイツァー伯爵」
 ダニエラの眉が僅かに顰められる。彼女が快く思っていない相手だろうことは、容易に判断がつく。それに、
(バイツァー伯?)
 その名にセシルは心当たりがあった。
 ウィルフリートの腹心である。その男が声をかけて来たのだ。何かある――セシルも身構えた。
「ご無沙汰しております、伯爵夫人。いえ、ダニエラ姫。セグのことで少しお話がございますが……宜しいでしょうか?」
「セグの?」
 祖国の名を出され、ダニエラの表情が更に曇る。セシルは気を利かせて、少しダニエラから離れた。それがいけなかったのかもしれない。
「きゃっ」
 小さな声が、背後で聞こえた。慌てて振り返ったセシルの目に飛び込んできたのは、葡萄酒で衣裳の裾を汚してしまった令嬢である。セシルがぶつかった――かもしれぬせいで、酒を溢したのだ。果物のシミは、すぐに落とさねばならない。セシルは
「水を」
 給仕に声をかける。すぐさま差し出された杯の水を自身の袖に溢し、それで令嬢の裾を軽く叩いた。
「あとは、家に帰ってからシミ抜きをした方がいいですよ」
 言うと、セシルの手際の良さに呆気にとられていた令嬢は、我に返った様子で
「はい」
 小さく頷いた。
 大きく見開かれた眼は、吸い込まれそうな青だった。そこにアデルやディルクを重ね、セシルは一瞬息を止める。ティノア人と呼ばれる人々、周囲を見渡せば、全て此処に侍るのは銀髪青眼。異なる色を持つのは、女王と自分、それにダニエラしかいない。改めて認識した刹那、強烈な孤独感に襲われた。
(私は)
 異物だ。異邦人だ。ここに居ては、いけないのだ。
 幼いころから何度も繰り返し思って来たこと。それがセシルの心をじわじわと侵し始める。

「早速、お友達が出来た模様ですね。セシル姫」

 聞き覚えのある甘い声が間近で聞こえた。令嬢が慌てて最上級の礼をし、セシルは唖然として声の主を振り仰ぐ。またしても、気づくのが遅れた。いつからそこにいたのか、王配ウィルフリートがセシルのすぐ真横に佇んでいたのである。彼はやはり澄んだ青い瞳をセシルに向けていた。そこにあるのは、異物を忌避する光りなのか。決して好意的とは言えぬ視線を受けて、セシルは強く拳を握りしめた。
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