【完結】銀月揺れる、箱庭

東沢さゆる

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15.太陽と月

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 エドアルドの屋敷は、王都郊外にあった。彼の実家であるエルンストは、ここから更に南に下ったところだという。彼の父であるエルンスト侯カミルが宰相に就いてからは、領地の繁栄もめまぐるしく、
「第二のオリア、とも呼ばれておりますよ」
 屋敷へと向かう馬車の中で、エドアルドは幾分はにかんだ笑いを浮かべながら説明した。
 エドアルドも彼の父も、そんな領地を離れて年の大半を王都で過ごす。エドアルド自身は王都の北・要衝とも言えるヘルムートを任されており、今では実家よりもそちらへ帰ることの方が多いそうだ。ゆえに、ここ数年は故郷の土を踏んでいないという。母たる侯爵夫人ロゼマリーは、そんな嫡男に不満を抱いているのだと、エドアルドはまた笑った。
「子供は、私一人ではないのですけどね」
「御兄弟は?」
「弟と妹が一人ずつおります。弟は実家に、妹はセグの大公家へ嫁いでおります」
 ふぅん、とセシルは頷いた。
 エドアルドの妹は、セグの大公妃。小国といえど一国の妃なのだ。そんな人物と、このように馬車で相対していてもよいものなのだろうか。セシルは斜向かいに座るエドアルドを上目遣いに見上げた。
 生まれてこの方、平民として育って来たセシルである。母や兄には何か秘密があるだろうとは思っていたが、よもやあれほどご大層なものだとは思ってもいなかった。それどころか、自分までが大陸最古の王家の血を引く落胤だという。話についていく自信がない。
 エドアルドは、対等というよりもセシルをまるで主君のように扱っている。そこもまた、心苦しさを助長させるのだ。彼はセシルがミアルシァの血を引くから、ではなく、彼が敬愛するルクレツィア一世に瓜二つであるからこのような態度をとるのだ。そう思うと、また幾許かの寂しさが込み上げてくる。
 セシルは父の”形見”と言われる剣を強く抱きしめた。馬車の揺れに耐えるように、また、自身の心の揺れを軽減するように。
「私の妻は、セグ大公の身内です」
 エドアルドの令室ダニエラは、前セグ大公の姪に当たる姫君だったという。エドアルドの家は、二重にセグとの縁を持っていることになる。
「では、セグに何か事があれば、閣下は……」
「セグは、中立を謳う国です。他国より侵略をうけることも、他国に侵略をするようなこともありません」
 説明に、セシルは首を傾げる。そんなものだろうか。
 現に、母から聞いたところによれば、昔セグがフィラティノアの内乱に乗じてに侵攻したことがあるという。その際に、エルンスト侯爵が仲介に入り、ルクレツィア一世を女王として立てて事なきを得たらしい。その辺りの経緯を問うと、エドアルドの表情が変わった。
「それは、アデル殿から?」
「父の話を聞いた折に、少しだけ聞きました」
 セシルの両親も、その事変に関わっている、そのことだけは聞かされた。それが種となり根となり、今もフィラティノアは蝕まれているのだとも。
 そのときにセグを先導していたのは、当時の女大公ソフィア。そして、彼女の腹心である、
「アロイス、というカルノリアの神官も関わっていたとか」
 一度だけ、母から聞いた名。それを口にしたとき、更にエドアルドの表情が強張った。穏やかであった青の双眸は、真冬の湖の如く凍てつき、感情を失った。まるで硝子玉を見ているようだ、と、セシルはその変化を冷静に見つめる。エドアルドも、アロイスを知っているのだろう。それは容易に想像がつく。しかし、この態度の変化が判らない。
「エドアルド卿?」
 名を呼べば、漸く彼の瞳に人らしき感情が戻ってきた。が、何か言葉を探しているのか、優秀な若き宰相らしからぬ視線の泳がせ方にセシルが不審を覚えていると、がたりと一際大きく車体が揺れて、馬車が停止した。



 会話はそこで途切れ、セシルはエドアルドに案内されるまま馬車を降りる。扉に手を添えていた近侍が深々と頭を下げるその向こうに、数人の使用人の姿が見えた。どれも身なりのきちんとした、清楚な侍女たちである。彼女らは主人の帰還に一斉に首を垂れ、彼の同行者であるセシルに対しても丁寧に礼をした。
「客人を、お部屋にご案内しなさい」
 エドアルドの一言で、セシルの身柄は侍女らに託された。三人の侍女がセシルを導き、二階へといざなう。若干気後れしながらもそれに従ったセシルは、やがてある部屋の前で足を止めた。扉が大きく開かれているその部屋の、奥には等身大の肖像画が置かれている。一瞬、父のそれを思い出したセシルだが、立ち止まり、目を凝らしてかの人を見つめた。
 そこに描かれているのは、貴婦人だった。
 白の簡易服を纏い、手に白薔薇を携えた美しい婦人。結わずに垂らされた豊かな髪は陽光と見まごうばかりの金髪で、白磁の面に埋め込まれた瞳は、鮮やかな緑だった。南方の新緑とは、このような色に違いない。セシルの瞳のように青が混じった緑とは違う。混じりけのない、綺麗な緑である。
 これが、エドアルドの令室であるダニエラ姫なのだ、と、そのときセシルは当然のように思った。しかし。

「無粋な人でしょう?」

 背後からかけられた声に、びくりと肩を震わせる。
 侍女たちが一斉に頭を下げ、するりと左右に別れた。そこに出来た道を通って現れたのは、亜麻色の髪の清楚な婦人だった。髪と同じ色の瞳が印象的な、笑顔の綺麗なひとである。美人、というよりも愛くるしいという表現の方が相応しいのではないか。セシルはまじまじと彼女を見つめていたことに気付き、無礼を詫びた。
「いいえ、わたくしに頭を下げることはございませんわ。――殿下」
 言って、くすりと女性は笑う。どことなく、母アデルを思わせる、無邪気なひとだ。セシルは親近感を覚えた。
 が。
(殿下?)
 そう、自分を呼んだということは。彼女もまた、セシルの出自を知っているのだ。
「申し遅れました。ヘルムート伯爵エドアルドの内儀、ダニエラにございます」
「あ」
 声が出なかった。このひとが、ダニエラ。先程馬車の中で聞いた、セグ大公の縁者にして、エドアルドの正室。一国の姫君であるから、もっと気位の高そうな女性を想像していたのだが、まるで違う。表情も物腰も柔らかく、おっとりとした――それこそ、いかにもお嬢様、といった苦労知らずの穏やかさが伺える。歳はエドアルドよりも四つほど上だと言われたが、とてもそうは見えない。童顔だから若く見えるのかもしれない、と思いつつ、セシルは
「では……」
 あのひとは? と、肖像画の貴婦人を振り返る。
 ダニエラとは似ても似つかぬ容姿の女性。妻ならぬ女性の肖像画を屋敷に飾るなど、あり得ない。
「エドアルドの、初恋の女性だそうですよ」
 また、ダニエラは笑う。小鳥のさえずりのように、耳に心地よい笑い声だった。
「初恋の? でも」
 エドアルドが敬愛し、密かに恋慕していたのは、女王ルクレツィア一世ではないのか。件の肖像画がルクレツィアのそれであるはずがない。何故なら、ルクレツィアは黒髪に古代紫の瞳をしているという。蝋燭の炎に映し出されたセシルの姿、それが、まさにルクレツィアと瓜二つだというのだから。
「お綺麗な方でしょう」
 セシルの戸惑いを気にもせず、ダニエラはにこやかに語りかけてきた。その表情にも声にも、嫉妬の欠片は見られない。そもそも、自分以外の女性の肖像画を屋敷に置かれて、これほど寛容に構えていられる夫人がいるものだろうか。そこからして、セシルは判らなかった。
「眩しいくらい、お綺麗な方なのですわ」
 ダニエラはうっとりと貴婦人の肖像を見つめる。まるで太陽のようだ、と。彼女は呟いた。
「その、この御婦人は、エドアルド卿の……その、」
 愛妾、という言葉を口に出すことが憚られた。
「ご側室、とか?」
 問いかけを、ダニエラは否定した。即座に。
「このかたは、エドアルドの想像の中だけに住んでいる女性なのですわ。現実には、存在しない。エドアルドの理想の御方なのです」
「想像?」
 それだけで、これほどまでに見事に絵として描き出させることが出来るものなのだろうか。セシルはダニエラと貴婦人を見比べる。言うまでもなく、ダニエラはこの貴婦人に及ばない。貴婦人の前では、霞んでしまう。エドアルドとダニエラが並んでも、やはりダニエラは彼の細君としては悪いが見劣りするくらいだ。だが、この貴婦人であれば。
 セシルは件の婦人とエドアルドが並んだところを想像した。
 凍てつく空気の中、凛と輝く月を思わせるエドアルド。そして、眩いばかりに光り輝く太陽のような婦人。この上なく似合いの一対である。けれどもその反面、作り物めいた心の通わぬ疑似夫婦を思わせてしまう。なんとなく――なんとなく、思うのだ。この金髪の婦人には、血が通っていない、と。
 なぜ、そう思ったのか。答えは程なく告げられた。
「それに、この方は……」
 ダニエラの言葉に、セシルは目を見開いた。またか、と。
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