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14.劣等感に劣等感を重ねる

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 エドアルドの再訪があったのは、その日の夕刻だった。人目を憚るように、従者一人のみをともなって現れた新宰相は、
「先触れを寄こさず、失礼致しました」
 アデルの顔を見るなり深々と頭を下げる。
「おやめ下さい、坊ちゃま」
 アデルは苦笑し、エドアルドから受け取った上着の雪を払うと、それを暖炉の近くの椅子の背にそっとかけた。ぽたぽたと床に落ちる滴が、雪の勢いを物語っている。今夜は、やけに冷える――おそらく、吹雪になるだろう。窓越しに聞こえる風の音に耳を傾けていたセシルは、
「セシル」
 母の声に顔を上げ、階段の手すり越しに階下を見下ろした。途端、エドアルドと目が合う。深い青い瞳が真直ぐにこちらを見、やがて優しく細められる。エドアルドはセシルを通して別の誰かを見ているのだ。母が自分を見るときの目によく似ている。ただ、エドアルドがセシルの中に追う面影は、母が懐かしむ人とは違う。
 エドアルドが求めている人、それは、女王ルクレツィア一世に他ならない。
 そのことを知ったとき、複雑な気分になった。自分は、いつも誰かの代わりなのだ。母にとっては父の、エドアルドにとっては、彼の――初恋の人の。
 それは、兄にとっても同じことだろう。兄も恐らくは、セシルの中にルクレツィア一世を見ているに違いない。
(でも)
 あの淡白な兄に限っては、そんなことはないかもしれない。兄は、何につけても執着しない性質である。全てを諦めきったような目をして、全てからある一定の距離を置いて生きている。母にも自分にも、おそらく実母であるルクレツィア一世にも、心を預けるようなことはしないのではないか。
 自分に対してだけ余所余所しいのではないのだ、とは思うものの、やはり寂しい。
「セシル……様には、例のことをお話になられたのですか?」
 エドアルドが母に尋ねている。母が「少しだけ」と答える声が聞こえた。その声を聞きながら、セシルは階段を降りる。ことことという靴音が響き、それに反応してかエドアルドは再び視線をこちらに向けた。彼は以前同様、セシルに対して臣下の礼をとる。その意味を考えて、セシルは戸惑った。
「閣下」
 呼びかけると、エドアルドは困ったような、情けないような顔をセシルに向けた。
「臣下に対しては、名でお呼びくださいませ」
 彼の言葉に、
「では、エドアルド卿」
 そう声をかけると、エドアルドはまた先程とは異なる奇妙な顔をしたが。仕方がない、という風に
「はい」
 返事をする。
「その、貴方は私の家臣ではありませんよね?」
「厳密に言えば、そうなります。が、貴方様は、尊きミアルシァのお血筋。わたくし等が本来、お目通りできるような御方ではありません」
「父は、籍を抜かれていると聞きましたが?」
「それでも、尊きお血筋には変わりますまい。王家に連なる方は、崇め奉るのが臣下の務めでありますゆえ」
 そのようなものだろうか。
 セシルは首を傾げた。とても自分が、一国の宰相に跪かれるような人間であるとは思えない。助けを求めるように母を見れば、母は小さく笑うだけだった。こういうとき、母はずるいと思う。無論、その狡さがあったからこそ、宮廷で生き残れたのかもしれないが。
 やがて挨拶を終えると、母はエドアルドに葡萄酒を勧めた。彼は恐縮しながら来客者の席に就き、勧められるままに熱い酒を啜る。ふ、と息をついて穏やかに目を細めた彼は、母とセシルを見比べながら何か言いにくそうに唇を震わせていたが、
「セシルを、お連れになられるのでしょう?」
 アデルの言葉に一瞬目を見開き、それから、
「申し訳ございません」
 深く首を垂れた。
「父に、また問いただされました。陛下の御子が、この国の何処かに居るのではないか、と」
「ああ……お探しになられていらっしゃるのですね、まだ」
 溜息をつくアデル。セシルは何となく、二人の言わんとしていることが判って来た。
 自分は、ルクレツィア一世に瓜二つだという。ということは、つまり。
「私を、陛下の御子として宮廷に差し出されるおつもりか?」
 単刀直入に尋ねると、エドアルドが苦しげに頷いた。以前、母が言っていたこと――ディークハルトのためにセシルをエドアルドに差し出す、それはこのことだったのだ。酷く婉曲的な表現ではあったが、エドアルドの言によれば、ルクレツィアには婚姻外の子があるらしい。ただ、それを知っているのは、ルクレツィア本人とアデル、エドアルドなどごく限られた人物だけである。女王の”不義”の子は生まれて程なく宮廷から出され、何処へともなく隠された。そこで、話は終わるはずだった。しかし。
 その子供の存在を、疑う人々が居たのだ。それが、王配であるウィルフリート、彼の側近たるバイツァー伯爵、そして、先の宰相エルンスト侯爵カミル。彼らは、子の生誕当時に傍に仕えていたエドアルドを責め、御子の存在とその行方を問い詰めていたのだそうだ。
 セシルはその御子と数ヶ月違いで生を受けた。

 一時的なこととはいえ、不義の子の身代わりとして、セシルは王宮に引き出されるのだ。

 それが、どういう意味を持つのか。セシルとて、判らぬほど愚かではない。
「大切な、エレオノーレ殿下のお血筋を失うことになるかもしれません」
「そんなことにはさせないでしょう? そうならないために、坊ちゃまが頑張ってくださるのではないですか?」
 問いかけるアデルは、何処となく小悪魔めいて見えた。この二人の間には、何やら余人の知ることのできぬ信頼関係があるらしい。
「いらしたのが坊ちゃまだからこそ、セシルを託す気になったのです。これが侯爵様だったりしたら……」
「どうされるおつもりでしたか、アデル殿?」
「返り討ちにします!」
 強く言い切るアデルを、エドアルドは唖然と見つめていた。セシルは、母らしいとくすくす笑い出す。母はおっとりとした外見によらず、こうした強い面も持っているのだ。
 エドアルドが、市井から子を引き取って育てている。そうした噂が流れるだけでよい。エドアルドの屋敷と訪れた者が、件の子供を見て、

 ――ルクレツィア陛下に似ていらっしゃる。

 そう思うだけでよいのだ。
 人々の目は、セシルに向けられる。セシルの存在が、王配や先代宰相の耳に届く前に、アデルはディルクを連れて王都を出る。それが、アデルの書いた筋書きである。
「ウィルフリート様の真の狙いは、ディークハルト陛下のお命ですから」
 ディークハルトを弑し、ルクレツィアとの間に子を為し、その子を王太子とする。その野望を、ウィルフリートは捨ててはいないのだ。ディークハルトが生きている限り、ルクレツィアはウィルフリートを受け容れることはない。だが、その希望を断ち切ってしまえば、彼女は靡くだろう。そんな風に考えているのだ、彼らは。
「女の心は、そのように単純なものではございませんけどね」
 長く父の面影を胸に歩んできた母が言うと、それなりの重みを感じる。セシルは暫くの間、宮廷内の目を引きつければよい――時が来れば、その素性を明かせば良いのだと、母もエドアルドも口を揃えて言うのだが。
「そんなこと」
 これこそ、上手くいくのかどうなのか。答えを知る者はいない。
 第一、ディークハルトを邪魔に思っている輩のことである、女王の不義の子を生かしておくわけがないだろう。当然、セシルも命を狙われることになる。
「それは、このエドアルドが一命を以てお守りしますゆえ」
 安心して欲しい。
 力強く言われるものの、若干の不安はある。第一、エドアルドが日がな一日セシルの護衛をしてくれるわけでもないのだ。彼は、歴とした一国の宰相である。たった一人に構っている時間などない。
「これを、貴方に」
 いつの間にか食堂から消えていた母が、なにやら細長い包みを携えて戻ってきた。彼女はそれを一度強く抱き締めると、そっと包みを開く。中から現れたのは、一振りの長剣だった。決して豪奢ではない、けれども上質なものだと一目で判る。セシルは両手で受け取ってはみたものの、その重さに僅かによろめいた。片側からエドアルドが支えてくれなければ、そのまま床に尻もちをついてしまったことだろう。重い。意外に、重い。母はよくこんなものを軽々と運ぶことが出来ると、詰まらぬ処で感心する。
「父上の、剣です」
 にこりと笑う母。セシルは促されるまま、剣を鞘走らせる。蝋燭の灯りを受けて鴇色に輝く刀身。そこに、文字が刻まれている。これが、父の名前だった。本名を奪われた父の、偽りの名。女性の、名だった。
「この剣が貴方を守ってくれるでしょう。その前に、これがちゃんと使えるようになるよう、稽古に励まなくてはね」
「母上」
 酷なことを言う。今まで、剣はおろか、刃物すら持ったことのない我が子に、何ということを言うのだ。
「人を殺めるためではない、自分を守るために腕を磨くのよ」
「……」
 自分の身は、自分で守れ。それが、母の言葉である。おっとりと優しいように見えて、実は酷薄でもあったのだ。このひとは。セシルは母の別の一面を垣間見たような気がした。エドアルドは元から知っていたのか、大して表情も変えずに小さく頷くだけだった。
「僭越ながら、わたくしが初めは手ほどきさせて戴きましょう」
「宰相殿が?」
「坊ちゃま?」
 これにはセシルだけではなく、母も驚いたようだった。まさか、宰相直々に――とは思わなかったのだろう。
「もしかしたら、陛下が御自ら稽古を付けてくださるかもしれません」
 にやりと笑う、エドアルド。そんな彼は何処となく悪童めいて見え、セシルは少しだけ彼を身近に感じた。
 それでも、自分の身を守れるようになるまでは、エドアルドや彼の家臣の世話になることには変わりはない。こんなことなら、護身術を僅かでも習っておくべきだったと、セシルは強く後悔した。使えない――ただ、”敵”の目をごまかすためだけにしか役に立たぬ自分。半端な利用価値しかない自分に、セシルは嫌気がさして来た。
 それだけではない。尊き王室の生まれだと言いながら、存在自体を傀儡のように使おうとする人々に対して、若干の怒りも生まれてくる。母は我が子が可愛くはないのだろうか。我が子よりも、主君と崇めた人物の方が大切なのだろうか。ディークハルトと自分、二人を天秤にかける母に対し、セシルは淡い恨みと悲しみを抱いた。
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