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第二章 輝ける乙女
岐路3
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ジェリオはゆっくりと身を起こした。同時に、彼の手に囲われているサリカも、半身を起こすことになる。自然、彼の胸に頬を寄せることになった彼女は、ジェリオの肩から手を離し、傷に障らぬよう控えめに彼の背に回した。彼に中途半端に煽られた身体が、まだ、火照っている。その情欲を帯びた熱を感じて、ジェリオも欲情してしまうのではないか。心の奥に怯えが走ったが、彼から離れることは出来なかった。
矛盾している、と思う。
彼に抱きしめられることは嬉しかったが、
彼に抱かれるのは、怖かった。
所謂、『抱く』という行為がどのようなものか解ってからは、更に恐怖が増してきた。彼の一部が自分の中に入ってくる――想像をしただけで、恐怖で気がおかしくなりそうだった。自分以外の、誰かの身体を受け入れる。そんなことが、可能なのだろうか。可能だとして、――ジェリオがそれを望んでいるとして。でも、自分はやりたくない。汚らわしいとか恥ずかしいとかではなく、本当に。純粋に、怖い。
「結構スキモノだな」
吐き捨てられた言葉に、サリカは顔を上げる。視線の先に、彼のむき出しの肩があり、そこにくっきりと爪痕が残っていた。皮を裂き、肉を抉った痕。血の滲み出したその部分は、非常に痛々しく見える。これが自分がやったことだと思うと、ジェリオの行為はどうであれ、申し訳ない気がした。
「よっぽど感じてたのか? やっぱ、ここが弱いんだな」
ジェリオの指先が、つぅ、と背骨を辿る。それだけで彼女はびくりと身を固くした。
「いや」
「――って。かなり、よがっていただろ?」
あれは、芝居か? 彼が意地悪く尋ねる。
「そんな、男を喜ばせる芝居が出来る風には見えないけどな」
当たり前だ。演技であのようなことをするものか。出来るものか。サリカは、熟れた果実の如く赤く染まった顔を、彼からそむけた。
「なぜ」
「――ん?」
「なぜ、僕を抱こうとするんだ?」
「あんたが、いいって言ったからだろ?」
ジェリオは嘯く。サリカは、激しくかぶりを振って、
「違う。そうじゃなくて」
なぜ、征服したがるのか。屈服させたがるのか。それが、男性の本能なのか。
遠まわしに尋ねる。
「こうしていたいだけなのに。ただ、抱きしめられていたいだけなのに。それだけじゃ、だめなのか?」
言ってしまってから、更に紅くなる。これではまるで、告白したも同然ではないか。自分が彼を憎からず思っていると、そう宣言したに他ならない。
「さあな」
溜息だろうか。ジェリオの細い息が、髪にかかる。
「そいつは、息子に訊いてくれ」
「息子?」
ジェリオの、息子。
「子供がいたのか?」
サリカの驚きに、ジェリオは呆気に取られた様子だった。彼は、まじまじとサリカを見つめていたが、やがて諦めたように肩を落とす。何か言いたそうに唇が動くけれども、巧く言葉にならないらしい。
「でも、まえに、メリダがおまえは独り身だって」
ぱふ、と唇を彼の掌が塞いだ。微かに血の味がするのは、争った際に出来た傷口が開いたからなのだろう。
「常識で考えろ。俺はまだ、二十一だ。ガキがいたとして、幾つだよ、いいとこ五つか六つだろう? そんなちびっこい奴に、ムツゴトの何を訊けって言うんだ?」
「……」
でも、と、更に言葉を発しようとするのを、
「ああ、だから、子供はいない。いや、そういうことじゃなくて」
強引に遮り、ジェリオはいつになく難しい顔で考え込んでしまう。
なんて言えばいいんだ、と、本気で頭を抱え込んでいる模様である。
「ほんと、おまえさんは色々萎えさせてくれるよな」
呟いてから彼自身、ハッとしたように目を見開いた。
「あれ?」
「ジェリオ、おまえ……」
記憶が、戻ったのだろうか。
自分の年齢をはっきり言い、メリダの名にも反応した。加えて、今の台詞。それらがごく自然に出てきたということは、カイラの――ドゥランディアの術が解けかけている証拠かもしれない。
「思い出してきたのか?」
期待を込めた問いは、しかし、あっさりと否定される。
「いや。なんかこう、時々……」
脳裏に閃くものがあるのだと彼は言う。無意識のうちに口にしてしまう言葉が殆どで、我に返れば何故そんなことを口走ったのか、理由は綺麗に霧散してしまう。手が届きそうでいて届かない、まるで天空の星を求めているようだとジェリオは嘆く。
「なんか、あんたと話していると、色々思い出せそうな気もするんだよな」
眉を寄せ、ひとりごちてから。彼はふと気づいたように
「でも、なんでだ? なんで、あんた、俺の記憶が飛んでることを知っている?」
素朴な疑問を口にした。
「そもそも、あんたとの関係はどんなもんだったんだ? さっき言っていた、フィラティノアの刺客とかなんとか。ありゃ、ほんとなのか?」
「一度に色々訊くな」
サリカのほうも、情報の整理をするのに精一杯なのだ。ジェリオの記憶が何処まで操作されているのか。サリカのことをどう認識しているのか。それ以外のこと―― 一般的な常識は、拭い去られてはいないのか。
そもそも、半裸の男性に抱きしめられながら考えることではないが、それでも彼の手を振り解くことは出来ず、間近でジェリオの顔を見上げながら想像をめぐらせてしまう。
「さっき、エルハルトに言ったことは全て真実だ。嘘偽りはない。神にかけて――巫女姫の前で誓ってもいい」
「じゃあ、あんたとの関係は?」
「刺客と獲物。それだけだ」
じゃあ、と。ジェリオは目を細めた。
「なんで」
ジェリオの唇が、頬を辿る。その軌跡が首筋まで下りていき、彼はサリカの髪の中に顔を埋めた。
「なんで、『抱いてもいい』なんて言ったんだ?」
再開された愛撫に、サリカは身を固くする。
「本当は、怖いくせに。震えている――さっきも、いまも」
頚動脈の乱れを、唇で感じているのか。彼は更に強く彼女を抱きしめる。
「よがっていたのに、逃げている――典型的な、おぼこだな」
本当に全てを捧げても良いと思ったわけではあるまい。ジェリオの問いかけに、サリカは頷くこともかぶりを振ることも出来ないでいた。
あれは、ジェリオの苦しげな姿を見てしまったから。彼を苦悶から解放するためなら、犠牲となっても良いと思った。もとより、生贄の娘、この身は人に捧げるためにあるのだ。アグネイヤを抱くことで、ジェリオを獣の呪縛から解くことが出来るのであれば――そう思うのは、欺瞞だろうか。奇麗事に過ぎないのか。
「ドゥランディアの呪縛を、解けるかもしれないと思ったから」
隠し事は、苦手だった。昔も今も。誰に対しても。ことに、マリサやイリア、そしてジェリオには。隠してもすぐに、ばれてしまう気がして。
解呪のために身体を許す覚悟をした、素直に答えると、ジェリオの動きが止まった。
「なんだって?」
矛盾している、と思う。
彼に抱きしめられることは嬉しかったが、
彼に抱かれるのは、怖かった。
所謂、『抱く』という行為がどのようなものか解ってからは、更に恐怖が増してきた。彼の一部が自分の中に入ってくる――想像をしただけで、恐怖で気がおかしくなりそうだった。自分以外の、誰かの身体を受け入れる。そんなことが、可能なのだろうか。可能だとして、――ジェリオがそれを望んでいるとして。でも、自分はやりたくない。汚らわしいとか恥ずかしいとかではなく、本当に。純粋に、怖い。
「結構スキモノだな」
吐き捨てられた言葉に、サリカは顔を上げる。視線の先に、彼のむき出しの肩があり、そこにくっきりと爪痕が残っていた。皮を裂き、肉を抉った痕。血の滲み出したその部分は、非常に痛々しく見える。これが自分がやったことだと思うと、ジェリオの行為はどうであれ、申し訳ない気がした。
「よっぽど感じてたのか? やっぱ、ここが弱いんだな」
ジェリオの指先が、つぅ、と背骨を辿る。それだけで彼女はびくりと身を固くした。
「いや」
「――って。かなり、よがっていただろ?」
あれは、芝居か? 彼が意地悪く尋ねる。
「そんな、男を喜ばせる芝居が出来る風には見えないけどな」
当たり前だ。演技であのようなことをするものか。出来るものか。サリカは、熟れた果実の如く赤く染まった顔を、彼からそむけた。
「なぜ」
「――ん?」
「なぜ、僕を抱こうとするんだ?」
「あんたが、いいって言ったからだろ?」
ジェリオは嘯く。サリカは、激しくかぶりを振って、
「違う。そうじゃなくて」
なぜ、征服したがるのか。屈服させたがるのか。それが、男性の本能なのか。
遠まわしに尋ねる。
「こうしていたいだけなのに。ただ、抱きしめられていたいだけなのに。それだけじゃ、だめなのか?」
言ってしまってから、更に紅くなる。これではまるで、告白したも同然ではないか。自分が彼を憎からず思っていると、そう宣言したに他ならない。
「さあな」
溜息だろうか。ジェリオの細い息が、髪にかかる。
「そいつは、息子に訊いてくれ」
「息子?」
ジェリオの、息子。
「子供がいたのか?」
サリカの驚きに、ジェリオは呆気に取られた様子だった。彼は、まじまじとサリカを見つめていたが、やがて諦めたように肩を落とす。何か言いたそうに唇が動くけれども、巧く言葉にならないらしい。
「でも、まえに、メリダがおまえは独り身だって」
ぱふ、と唇を彼の掌が塞いだ。微かに血の味がするのは、争った際に出来た傷口が開いたからなのだろう。
「常識で考えろ。俺はまだ、二十一だ。ガキがいたとして、幾つだよ、いいとこ五つか六つだろう? そんなちびっこい奴に、ムツゴトの何を訊けって言うんだ?」
「……」
でも、と、更に言葉を発しようとするのを、
「ああ、だから、子供はいない。いや、そういうことじゃなくて」
強引に遮り、ジェリオはいつになく難しい顔で考え込んでしまう。
なんて言えばいいんだ、と、本気で頭を抱え込んでいる模様である。
「ほんと、おまえさんは色々萎えさせてくれるよな」
呟いてから彼自身、ハッとしたように目を見開いた。
「あれ?」
「ジェリオ、おまえ……」
記憶が、戻ったのだろうか。
自分の年齢をはっきり言い、メリダの名にも反応した。加えて、今の台詞。それらがごく自然に出てきたということは、カイラの――ドゥランディアの術が解けかけている証拠かもしれない。
「思い出してきたのか?」
期待を込めた問いは、しかし、あっさりと否定される。
「いや。なんかこう、時々……」
脳裏に閃くものがあるのだと彼は言う。無意識のうちに口にしてしまう言葉が殆どで、我に返れば何故そんなことを口走ったのか、理由は綺麗に霧散してしまう。手が届きそうでいて届かない、まるで天空の星を求めているようだとジェリオは嘆く。
「なんか、あんたと話していると、色々思い出せそうな気もするんだよな」
眉を寄せ、ひとりごちてから。彼はふと気づいたように
「でも、なんでだ? なんで、あんた、俺の記憶が飛んでることを知っている?」
素朴な疑問を口にした。
「そもそも、あんたとの関係はどんなもんだったんだ? さっき言っていた、フィラティノアの刺客とかなんとか。ありゃ、ほんとなのか?」
「一度に色々訊くな」
サリカのほうも、情報の整理をするのに精一杯なのだ。ジェリオの記憶が何処まで操作されているのか。サリカのことをどう認識しているのか。それ以外のこと―― 一般的な常識は、拭い去られてはいないのか。
そもそも、半裸の男性に抱きしめられながら考えることではないが、それでも彼の手を振り解くことは出来ず、間近でジェリオの顔を見上げながら想像をめぐらせてしまう。
「さっき、エルハルトに言ったことは全て真実だ。嘘偽りはない。神にかけて――巫女姫の前で誓ってもいい」
「じゃあ、あんたとの関係は?」
「刺客と獲物。それだけだ」
じゃあ、と。ジェリオは目を細めた。
「なんで」
ジェリオの唇が、頬を辿る。その軌跡が首筋まで下りていき、彼はサリカの髪の中に顔を埋めた。
「なんで、『抱いてもいい』なんて言ったんだ?」
再開された愛撫に、サリカは身を固くする。
「本当は、怖いくせに。震えている――さっきも、いまも」
頚動脈の乱れを、唇で感じているのか。彼は更に強く彼女を抱きしめる。
「よがっていたのに、逃げている――典型的な、おぼこだな」
本当に全てを捧げても良いと思ったわけではあるまい。ジェリオの問いかけに、サリカは頷くこともかぶりを振ることも出来ないでいた。
あれは、ジェリオの苦しげな姿を見てしまったから。彼を苦悶から解放するためなら、犠牲となっても良いと思った。もとより、生贄の娘、この身は人に捧げるためにあるのだ。アグネイヤを抱くことで、ジェリオを獣の呪縛から解くことが出来るのであれば――そう思うのは、欺瞞だろうか。奇麗事に過ぎないのか。
「ドゥランディアの呪縛を、解けるかもしれないと思ったから」
隠し事は、苦手だった。昔も今も。誰に対しても。ことに、マリサやイリア、そしてジェリオには。隠してもすぐに、ばれてしまう気がして。
解呪のために身体を許す覚悟をした、素直に答えると、ジェリオの動きが止まった。
「なんだって?」
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