アグネイヤIV世

東沢さゆる

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第二章 輝ける乙女

后妃4

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 ルーラたちが通されたのは、比較的広い部屋であった。
 洞窟の形状を巧く活かして、座敷牢のようなものを作り、そこに『商品』を監禁できるようにしている。二人も当然、その中に閉じ込められるはずであったが。
「何をするの」
 リオラの悲鳴に、ルーラは背後を振り返る。赤毛の男が、徐にリオラを抱きしめ、その首筋に唇を這わせたのだ。これには彼女も驚いたであろう。貴族の家に生まれ、行儀見習いとして王宮に上がり、世の裏側など何も見ずに生きてきた『お嬢さん』である。よもや自分がこのような目にあうなど、想像すらしていなかっただろう。
「やめなさい、やめて」
 衣を裂くような悲鳴を聞きながら、ルーラの心は冷めていた。
「おまえは、怖くないのか?」
 今一人の赤毛が、興味深そうにルーラを見つめる。彼にしてみれば、肝の据わった女だと思っているのかもしれない。ルーラのゆるぎない青の瞳を覗き込み、赤毛の男は僅かに眉を顰めた。
「彼女がどうなろうと、興味がないようだが?」
「……」
 実際、興味などない。リオラが汚されようと、売られようと、心は少しも痛まない。ルーラにとって、リオラはそれだけの価値もない。視線でそう告げると、男は目を細める。ルーラの真意を測りかねているのか。それとも、薄気味の悪い女と認識したのか。
「いや、ルーラ様、ルーラ様」
 悲痛な叫びを残して、リオラが引き摺られていく。洞窟内に響く声に刺激を受けたのだろう、あちらこちらから盗賊が顔を出し、好奇の視線をリオラに向ける。砂糖に群がる蟻の如く、リオラに興味を持つ男達が増えるのを目の当たりにして、ルーラは口元をゆがめた。野蛮なる輩の欲望は、際限がない。捕らえた蝶を嬲りながら屠る蟷螂の如く、仔羊を弄ぶ狼の如く。嗜虐心と情欲を満たしきるまで、獲物を放すことはないだろう。
「おまえは、怖くないのか?」
 赤毛の男の問いに、ルーラは微笑で答える。尤も彼女の微笑を認識できるのは、王太子夫妻くらいなものであるが。
「自分の身くらい、自分で守れる」
 抑揚のない声で応じれば、赤毛の男は「面白い」と鼻で笑った。皆がリオラに眼を向けるなか、彼だけはルーラの腕を掴み、別室へと足を向ける。思わぬ形で上玉が手に入り、彼も浮かれているに違いない。掌に触れる感触が、女性のそれではないことに、赤毛の盗賊は気づいていないようだ。人間とは、どこまでも愚かしいもの――ルーラは心の中で、彼に冷笑を浴びせる。


 連れ込まれた先は、やはり牢にも似たやや広めの部屋であった。格子の向こうに乱れた敷布が置いてある。ここで捕らえられた者たちがどのような目にあっていたか。容易に想像できる光景であった。
「いい、女だな」
 赤毛の盗賊は、ルーラの顔を覗き込み、満足げに微笑む。美形揃いといわれるフィラティノアの女性の中でも、ルーラほどの美貌を持つものは、そうそう存在するものではない。ゆえにルーラは珍重され、神殿に引き取られた。オルネラの神殿にて、裏巫女として養育された。旅人を――旅人の中でも特に、賓客をもてなすものとして。
「……」
 冷めた目で自分を見るルーラを、どう思ったのか。怯えもせず、騒ぎもしない女を、不思議に思わなかったのか――盗賊は警戒することもなく、ルーラの縄を解いた。彼女の剣客ぶりを見せ付けられてなお、剣がなければ男である自分に力ではかなうまいと愚かな過信をしているに違いない。その過信が、命取りになることも知らずに。
 来い、と腕を引き寄せられたルーラは、素直に盗賊の胸に倒れこんだ。ディグルとは違う、無骨で厚い胸板に、かつての記憶が蘇る。僅かに顔をしかめたルーラの表情を写し取ったかのように、盗賊の顔色もまた、変わった。
「――? おまえ、まさか」
 全身で、彼は感じてしまったのだろう。いま、腕の中にある身体が、女性のそれではないことに。柔らかく、まろみを帯びたイキモノではない、自身と同じ骨ばり、牙を持つ『狩る側』のイキモノだということに。
「気づくのが、遅かったな」
 冷ややかにルーラは言い放つ。盗賊は驚愕に目を見開いたが、揶揄するように口元を歪めた。
「女装の男か」
 軟弱な――言いかけた唇が、そのままの形で固まった。ルーラの手が僅かに動き、盗賊の首に絡まり

「……!!」

 そして。
 洞窟の中に、陰に篭った嫌な音が響いた。

 揺らめく蝋燭の明かりに映し出された、二つの影。そのひとつが、くたりとくずおれ、床に落ちる。糸の切れた人形、その表現こそ相応しい呆気ない最期であった。ルーラは足元に転がる骸を一瞥すると、何の感慨も残さずに踵を返す。
(妃殿下)
 彼女の心を占めるのは、他でもない。最愛の人の存在であった。


 気配を殺し、廊下にあたる部分に足を踏み出せば、そこには誰もいなかった。皆、リオラの元に詰めているのだろうか。リオラも流石に貴族の娘、洗練された姿に、日に当たらぬ白磁の肌、柔らかに波打つ月光の雫を思わせる髪を持っている。辺境の盗賊どもにしてみれば、この上ない極上の獲物だろう。きつい印象を与えるルーラよりも、寧ろリオラのほうが男性受けはするようである。ことに、怯える娘は、彼らの狩猟本能をかきたてる。
 いざとなれば、リオラは切り捨てる。
 ルーラはひたすら王太子妃の姿だけを捜し求めた。彼女はまだ、あの『頭』なる少年の元にいるのだろう。彼は、マリサにかなり興味を持っている――ということは、部下に下げ渡す気はないはずだ。あの少年の腕がどれほどにしろ、マリサは自身の身が守れぬほどのか弱い娘ではない。寧ろ、自身に危険が迫ったと確信した瞬間、冷酷なる断罪者に変貌する恐れがある。
 剣を振るうときの、マリサの嬉々とした表情。
 あれは、戦乙女の顔だ。
 否、戦場を駆ける冥府の乙女のかおだ。
(妃殿下)
 けれども、その愉悦に満ちた瞳が美しいと思う。慈悲など知らぬと言い切ってしまう、マリサが愛しいと思う。
 彼女のためならば、どれほどの人間を犠牲にしても構わない。
 誰が苦しんでも、泣いても構わない。
 マリサを生かすためであるなら、自身こそ非情となろう。
 人気の絶えた洞窟内を進みながら、ルーラはただひたすらそれだけを思った。マリサを救出し、ここを出る。馬を奪い、近くの領主のもとに駆け込めば、保護してくれるだろう。あとは、王宮に使者を送るだけである。最早一刻の猶予もならない。早くマリサを救わねば――ルーラが、更に足を早めたときである。
「だれ?」
 通り過ぎた洞窟、その傍らにぽっかりと開いた横穴の向こうからか細い声が聞こえた。女性の――少女の声である。自分たちのほかにも捕らえられた娘がいたのだ。ルーラはそう判断し、無視して先に進もうとしたのだが。
「いかないで」
 お願い、と切なる声を背に受けて、ルーラは足を止めた。捕らえられた娘にしては、様子がおかしい。ルーラは不審に思いつつ引き帰し、声の聞こえた横穴の入り口を覗き込んだ。そこは、首領の部屋と同じくらい広い空間となっており、中に衝立があるのが見えた。声の主はその向こうにいるのだろう。ということは、かなり破格の待遇となっている。もしや、首領の愛人の類ではないだろうか。と、考えてから、ルーラは自嘲した。盗賊の首領といえど、彼はまだ小倅である。どう見ても、マリサと同い年くらいにしか見えぬ彼が、女を囲うだろうか。
「ごめんなさい。あかり、きえそうだから」
 油を継ぎ足して欲しいと、声が告げる。
 ルーラを盗賊の一人と勘違いしているのだ。
「……」
 静かに音を立てぬよう、中へと踏み込む。獣の皮を帳代わりに使用した衝立の向こうには、夜具が一式置かれていた。ということは、やはり首領・ティルの愛妾なのか――思ったせつな、ルーラは、その部屋の主と眼が合った。夜具の上にちょこんと座り込んでいる、小さな人影。少女というよりも、子供といったほうが相応しい、十歳にも満たぬ幼い子供。彼女は大きな濃紺の瞳をくりくりと動かしながら、じっとこちらを見つめていた。
「だれ?」
 それは、こちらの台詞である。
 ルーラはしばし無言で少女を見ていた。紺というよりも、瑠璃といったほうが良いのだろうか。黒髪に瑠璃の瞳は、巫女姫の証。だが、少女は瑠璃とも言い切れぬ深い青の瞳に、銀というよりも白髪に近い艶のない白い髪だった。何かの衝撃で、髪の色を失ってしまったのではないかと、ルーラは推測したのだが。
「だれ?」
 もう一度、少女が尋ねた。ルーラは、すっかり毒気を抜かれてしまい、
「ルーラ」
 短く自身の愛称を答える。
「るーら」
 少女は口の中で繰り返し、名の意味を咀嚼するように眼を細めてから
「リィル」
 自身の胸を指差した。リィル、というのが彼女の名前なのだろう。ルーラが「リィル」と呼びかけると、彼女は嬉しそうに笑った。
 しかし、この少女は何者なのだろう。
 ルーラはますます不審に思う。あのティルという盗賊の首領といい、このリィルといい。それぞれに、神聖帝国ゆかりの瞳を具えている。無論、ふたりとも完全な『帝国の色』とは言えぬ、微妙に赤味が強かったり、青が濃かったりする『まがいもの』めいた色合いなのであるが。それでも、これは何かの符号なのではないか。この盗賊団は、只者ではない。ただの、辺境を荒らしまわるならず者ではない。
 ルーラは声もなく白髪の娘を見つめた。少女は何を思うのか。屈託ない笑みをルーラに向けて、
「リィル」
 再び自身の名を繰り返したのである。
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