アグネイヤIV世

東沢さゆる

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第一章 さすらいの皇女

双子5

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 扉を叩くと、誰何の声が聞こえた。
「わたし」
 短く答えれば、中でなにものかが蠢く気配がして、勢いよく扉が開かれた。
「妃殿下」
 部屋の主は、廊下に佇む王太子妃を見て、目を見開く。
 寝起きそのままの化粧をしていない顔は、すこしやつれているように見えたが、ルーラの美貌が損なわれることはなかった。彼女は驚きのままそこに立ちすくんでいたが、漸く我に返ったのであろう。こちらへ、と王太子妃を室内に促してから、はっと気付いたように。
「なぜ、こちらに?」
 今更のように問いかける。
「わたしのような下賎のものの部屋に、妃殿下がお運びになられるなど。許されることではありません」
 窘めるように言うが、言葉に力が篭っていない。ルーラはなにを慌てているのか。部屋着の上に軽く肩掛けショールを羽織っただけのマリサの姿を、正視できないようである。まるで、初恋の人を前にした少年のようだ、と。女中頭のような年配の女性であれば、笑うに違いない。
「ルーラは、わたしとサリカの見分けが付くのね」
 クラウディアマリサは、くすりと笑う。ルーラは半ば憮然とした表情で、「当然です」とだけ答える。
「いとこも見分けが付かなかったのに。凄いわ、ルーラ。どこが違うの、わたしと、あの子と」
 問いかけに、ルーラは眉を寄せた。
「全て、と答えてよろしければ?」
「全て?」
「顔と声は確かに同じです。でも、魂が違う。妃殿下とあの者――アグネイヤ殿下は、魂の色からして異なります」
「本当に、そう思うの?」
「――ご不快ですか?」
 怒っているのか。ルーラの視線が険しくなる。なぜ、そんなことを問うのだ、と青い双眸が逆に詰問している。マリサは、ふと息をつき小さくかぶりを振った。違う、とだけ喉の奥で呟いて。彼女は長椅子の上に身を落とす。そして、ひとこと。
「そうね。わたしは、サリカにはなれないのだわ」
 溜息と共に漏らした。
「妃殿下?」
 不審そうに彼女を見下ろすルーラであったが。
「――いま、熱い香茶をお持ちします」
 言い置いて、部屋を出て行った。一人残されたマリサは、ぼんやりと天井を見上げる。涙が出ているのか。景色が徐々に歪んで見えた。
 姿かたちは同じでも、心の中はまるで違う。自分は、常に覇気を持って動かねば前に進めぬ質なのに。サリカは、冷静に物事を見て着実に進むことが出来る。人のことを考えすぎて、自身を犠牲にしてしまいがちな『姉』を守るのは、自分の役目だと幼い頃から思っていたのに。
「どうされました、妃殿下?」
 香茶の香りが漂う盆を手にしたルーラが、いつの間にか傍らに佇んでいた。マリサは、なんでもない、とかぶりを振り、彼女の持参した碗に手を伸ばす。乳がたっぷりと注がれた、クラウディア気に入りの茶である。酒も加えてくれたのだろうか、芳醇な香りが鼻をつく。マリサは両手で杯を持ち、少しずつ茶を喉の奥へと流し込んだ。
「――とね」
「妃殿下?」
「そろそろ、戻らないとね。ディグルが怒りそうだわ。あなたを独り占めしてしまったから」
 長い休暇は、終わりを告げる。
 『クラウディア』がここを発つとき、『アグネイヤ』もまた、アヤルカスへと帰還するだろう。ここで別れたら、次に逢うのはいつの日か。アグネイヤの戴冠式か、それともクラウディアの婚礼の日か。そのどちらも無理と思われる今は――これが、生涯の訣別となるのか。

 ――機会は、いつでも作れる。

 片翼は、そう言った。彼女の出した結論、根本的なところは掴めても、実際どのような行動に出るのか。詳細は語られなかった。語ろうとしたところに、邪魔が入った。小間使いが、やってきたのだ。
(わたしなら)
 自分ならば、どう動く?
 マリサは、自己に、自己の中に眠る片翼の魂の欠片に、問いかける。
 自分が、故国にあった場合。不幸にも片翼の暗殺計画を耳にしてしまった場合。やはり、サリカと同じ行動をとったであろう。何かと口実をつけて、片翼のもとに出向いて。彼女の本心を確認して。

 ――あなたは、皇帝になりたいの?

 サリカも、同じ事を聞きたかったのだろう。けれども、聞かなかった。マリサの態度と、周囲の態度で、もう片翼は異国の王太子妃となってしまったのだと。実感したからだろう。声なき問いは、魂に響いたが。あえて、マリサはそれへの答えを口にしなかった。

 ――否。

 頂点に立ちたいのであれば、故国だろうが異国だろうが関係はない。夫が国王となるのを待ち、即位の際に共同統治者となればよいのだ。王妃ではなく、女王の称号を得れば、名実共にフィラティノアの支配者となれる。
 それまで、危うい均衡を保てばよいのだ。
 皇帝も王太子妃も、それぞれのために刺客を返り討ちにする覚悟があればよい。どこの国の王族も同じようなもので、常に継承権を持つものは命の危険に晒される。それは、双子に限ったことではない。全て割り切って、前に進むことを考えれば、これ以上のものはないだろう。
 片翼には、負い目があった。自分のせいでマリサが重傷を負って。背に、生涯消えぬ醜い傷跡を残すことになって。自責の念と、自らがマリサを危険な場所へと追いやってしまったことへの後悔が、彼女にゆがみを生じさせた。
「ルーラ」
 呼びかければ、静かに傍らに佇んでいた銀髪の寵姫は、僅かに睫毛を揺らした。
「先刻の質問。わたしとサリカ、どう違うの?」
「――雰囲気です。妃殿下」
 妃殿下は、凛としていらっしゃる。ルーラは一言だけ答えた。
 マリサは、その言葉がひどくおかしくて。危うく茶を吹き出してしまうところであった。凛としている、凛としている――確かに、昔から言われてきた言葉だ。ただし、それは。
「わたしたちは、いとこも見分けられなかった、と言ったわよね」
「御意」
「じゃあ、誰が他に見分けることが出来たと思う?」
「皇后陛下ですか?」
「そうね。母親だもの。他に、絶対にわたしたちを間違えることがなかったのは」
 マリサは、遠い目をした。想いを過去に飛ばす。心に残る面影は、今も薄れることはなく。皮肉めいた笑みを刻む口元が、心を見透かす灰の瞳が。はっきりと脳裏に浮かび上がる。
「剣の師よ。彼は、絶対に間違えなかった」
 どこで剣を習ったのか――以前ルーラに尋ねられたことがあった。そのときは、「内緒」と答えたが。今ならば、言ってもよいような気がする。双子に剣を教えた、古き血筋の青年のことを。魂の深淵に孤独の影を持つ彼のことを。話してもよいのかも知れぬ。
「彼は、サリカは学者、わたしは武芸者になればよかったと言っていたわ」
「――武芸者、ですか?」
 ルーラは目を丸くする。他者から見れば、僅かな変化であろうが。マリサは、それが目を丸くした――かなり驚いたのだと察しが着く。
「武術の腕も、学問の成績も、その日の状態でね。どっちも似たり寄ったりだったんだけど。わたしのほうが若干体が弱かったから。鍛えるために、諸国を巡って修行をしたほうがいいと言っていたのよ」
「諸国めぐり」
「結局、逆になったみたい。サリカは刺客と渡り合いつつ、ここまで一人でやってきたし。わたしは、読書三昧になったみたいだし」
 マリサは、残りの香茶を飲み干し、杯を卓子に置いた。
「でも、変よね。見分けが付かない割りに、みなわたしのことを皇帝にふさわしいというのだわ。あなたが、皇帝になればよいのだと。途中で二人が入れ替わっているのも気付かないのにね。――そんなお馬鹿なひとたちを見て、サリカと二人でいつも笑っていたのだけれども」
 サリカは、あの言葉を真に受けていたのだ。自分は、皇帝には相応しくない。皇帝となるべきは、片翼なのだと。どこかで、自己暗示をかけてしまっていたような気がする。
「フィラティノアは、運が悪いわ」
 ぽつりと漏らした呟きに、ルーラは不審そうに目を細める。マリサは小悪魔的な微笑を浮かべて、彼女を上目遣いに見た。
「はずれを引き当てた、ってこと」
「妃殿下?」
 もの言いたげなルーラの視線を避けるように、つと、彼女から顔を背けて。マリサは、小さく呟いた。

「よかった。嫁いできたのが、わたしで」

 それは、以前にも漏らした本音。けれども、この意味をルーラは汲むことが出来るのか。それは、まだ無理であろうと。考えて、マリサは、くすりと笑う。
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