上 下
107 / 113
第10夜 模擬試験(後編)

第1話 鳥の月鬼

しおりを挟む
 土煙が舞うなか、咳き込んだ声が響いた。喉の奥が煙たくなり、苦しくなる。緋鞠は払うように大きく手を振った。
 水を被ったみたいな圧力を感じたが、巻き上げられた土煙が視界を覆っただけ。だんだん煙が収まり、周囲の景色が見えてくる。
 緋鞠は目の前に広がる光景に、目を見開いた。
 緋鞠と湊士がいる場所を残して、地面の草花は倒れ、木々には焼けた跡のような波線が刻まれていた。
 緋鞠は、はっと我に返ると、地面に手をついている湊士を覗き込む。

「湊士! 大丈夫!?」
「おう! 平気平気。びっくりしたな、大丈夫か?」

 その手には引月が嵌められている。突然襲いかかってきた波に向けて、湊士が封月を使って守ってくれたのだ。
 湊士は元気そうににかっと笑う。それを見て、緋鞠はほっと胸を撫で下ろした。

「うん、ありがとう。助かったよ」
「にしてもなんだったんだ?」

 津波のように襲いかかって来たそれは、通りすぎるとすぐに消えていった。一瞬、月鬼の気配と似ていた気がしたけれど。

「わからない。でも、また何か起きてるのかも。すぐにみんなと合流しよう」
「そうだな」

 緋鞠は契約印に意識を集中させ、念話を試みる。しかし、応答がない。

「なんで……」
「どうした?」
「銀狼が出てくれないの。こんなこと、一度もないのに」

 まさか、何かあったのだろうか。
 鬼狩試験のときを思い出し、不安がよぎる。緋鞠は手をぎゅっと握りしめた。

「湊士、居場所は大体わかるから一緒に来てくれる?」
「ああ、任せとけ!」

 非常事態でも、いつもの笑顔で応えてくれる湊士を見て、少し安心した。

「よし、それじゃあ」

 ──パキッ。

 枝が折れる音に弾かれるように顔を上げた。音の方へ顔を向けると、そこにいたのは救急箱を持った、丸々とした瞳が特徴的な戦闘服の女生徒だった。茶色の髪をお団子に縛っており、上半身をすっぽりと包む黒いケープには、『治』の文字が入っている。
 二人を見つけると、強ばった表情がほっと緩む。

「よかったぁ! 君たち一年生だよね? 怪我はない?」
「はい、あなたは?」
「私は二年の救護班、和音おと。ここら辺の監視を頼まれてたんだ」

 和音と名乗った先輩は、すぐにポケットからトランシーバーを取り出すとスイッチを押す。

「こちらポイント中央の三。生徒二人を発見。どうしますか?」

 緋鞠は湊士の袖を引くと、少ししゃがんでもらった。こそこそ、と耳打ちする。

「どうする? このままだと避難させられるかも」
「えー、俺行かねぇぞ。さすがに主を置いていけない」
「だよね。私も皆が心配だし」

 二人でうん、と頷き合い、和音に話すタイミングを窺う。
 そのとき、ぞわっと嫌な気配を感じとる。背筋を這うような気持ち悪い空気に、湊士も顔をしかめた。緋鞠は無言で月姫を具現化させると、周囲に目を配る。ピッとスイッチを切り、和音がこちらを向いた。

「ごめんね、待たせて。それ……」

 言葉が掻き消え、和音が一瞬で目の前から消える。弾かれたように顔を上げると、紅い月に照らされた赤黒い鳥が羽ばたいていた。その鋭い爪には、和音が捕まれている。

「鳥の月鬼!?」

 人を掴んで飛べるほど大きく、鋭い嘴に先が尖った羽。体全体が宝石のようにきらめいていた。
 だが、驚いている暇はない。首をあげ、羽を広げようとしていた。このままでは連れ去られてしまう。しかし、あまりにも高さが高い。これでは強化しても、届かないかもしれない。
 焦る緋鞠の肩に、ぽんっと手を置かれた。振り返ると、湊士が空を見上げていた。

「緋鞠、上の救出と止めは任せた!」

 そういって、封月を発動させる。脈打つような力の波動を感じた。

「行け! じゃねぇと重力に巻き込んじまうぞ!」

 緋鞠は頷き、駆け出す。一瞬で刀から筆に変えると、文字を素早く書く。『軽』、『飛』の文字が足に馴染み、紅く淡い光に包まれた。
 羽のように軽くなった足で地面を蹴りあげた。
 それと同時に、湊士も月魄術を発動させる。

「下限の一・重力丸じゅうりょくがん

 右手に手のひらサイズの黒い玉が現れる。ピリッピリッと火花のように光る。それを地面に向けて殴り付けた。

 ──ドンッ! 

 稲妻が地面を走るように弾ける。そこからくり貫かれるように半径三メートルほど、地面がひび割れた。木々の枝が、葉が少しずつ湊士へと引っ張られていく。
 月鬼はギョロっと視線を下に向け、羽ばたこうとした。しかし、湊士の重力に捕まって動けない。

(今だ──!)

 緋鞠は大きく筆を回転させる。

「下限の二・巴螺旋」

 逆巻く水飛沫の勢いにのって、一気に距離を詰めた。

「先輩!」

 緋鞠に気づいた和音が、必死に手を伸ばした。その手を掴み、彼女の腕を掴んでいる鉤爪をざっと筆先で撫でる。

 ──ギィィァア!!

 鼓膜が破れるかと思うほど、甲高い音に平衡感覚を失う。だけど、投げ出された空中で掴んだ手だけは離さないようにぐっと堪えた。
 和音はぐらぐらする頭で、必死に封月を呼んだ。

響月きょうげつ!」

 片手に現れる小さな木箱。パカッと開くと、美しい音色が響いた。

「下限の五・治癒ちゆ音巻ねまき

 螺旋が回り、優しく癒されるような音色が響く。オルゴールからパステルカラーの楽譜が巻物のように伸びて、二人を包んだ。
 耳の痛みが消え、ぐらぐらする意識がもとに戻る。緋鞠はぐるっと身をよじると、自分を下に和音を抱え、地面に着地する。

「ふぅ……怪我はありませんか!?」

 こくこくと頷く和音を見て、ほっと息をつく。彼女を少し離れた木の根もとに降ろした。

「そこで待ってて、警戒は怠らないでください!」

 緋鞠が駆け出すと、ちょうど湊士が釣糸を引っ張るように、月鬼に向かって手を引く。

「せいやあ!」

 勢いよく地面に叩きつけられ、紅い欠片が飛び散った。そこを逃さず、緋鞠は瞬時に月姫を刀に変える。
 ダンッと地面を蹴り、先程見えた鬼石──胸の中心に向かって刃を振り上げた。

 ──パキンッ! 

 胸に深々と突き刺さり、石が砕ける音が聞こえた。キラキラとした粒子が空に舞い散り、姿が消える。
 すぐに立ち上がると、周囲の安全を確認する。今のところ、月鬼はあれ一体だけのようだ。しかし、一応月姫を握りしめたまま和音の元へ集まった。

「二人とも怪我はない?」
「はい、私は大丈夫です」
「俺も」
「よかった。二人とも強いんだね。ごめんね、足手まといになっちゃって。あたしはこの通り、治療系の封月だから戦闘は苦手で」

 申し訳なさそうに謝る和音に、緋鞠はそんなことない、とすぐに否定する。

「先輩がいなきゃ、今頃私は地面に激突してました。助けてくださってありがとうございます! すごい封月ですね。先輩がいれば何度でも闘えそう!」

 キラキラと尊敬の眼差しを向ける緋鞠に、和音はぽっと頬を染めた。

「おぅ……可愛い後輩ゲットだぜ」

   よしよしと緋鞠の頭を撫で、癒されている。緋鞠もにこにことそれを受けていた。

「それよりどうすんだ? 俺らは仲間を探しにいっていいのか?」

 湊士が早く早く、と急かすように聞く。和音はうーんと少し悩むような素振りを見せると、わかったと頷いた。

「なら、あたしも付いていくよ」
「いいんですか?」
「さっき聞いたら後輩たちを探して避難させろって言われたからね。君たちがいれば捜索も進むし、助かるし。その代わり、治療は任せなさい!」
「ありがとうございます!」

 頼りになるサポートも加わり、三人は合流すべく森のなかを走り出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました

フルーツパフェ
大衆娯楽
 とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。  曰く、全校生徒はパンツを履くこと。  生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?  史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。

【R18】もう一度セックスに溺れて

ちゅー
恋愛
-------------------------------------- 「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」 過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。 -------------------------------------- 結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

[R18] 激しめエロつめあわせ♡

ねねこ
恋愛
短編のエロを色々と。 激しくて濃厚なの多め♡ 苦手な人はお気をつけくださいませ♡

若妻の穴を堪能する夫の話

かめのこたろう
現代文学
内容は題名の通りです。

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

処理中です...