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第9夜 模擬試験(前編)
第9話 苦しさの正体
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緋鞠は両手で顔を覆って、ぎゅっと目を固く閉じていた。びゅうびゅう吹きずさむ風の音と、飛び移る度にぐらぐらと感じる振動が、まだ移動していることを教えてくれる。
「お、ここでいっか」
そんな呟きが聞こえたかと思えば、突然急降下した。まっ暗闇で体が落ちていく感覚に、ひぃっと喉の奥が鳴った。ドンッと地面に降り立った音が聞こえて、恐る恐る指の隙間を覗き見る。
見えた地面に、詰めていた息を大きく吐いた。思わずホロリと涙がこぼれ落ちる。
「ん? なんだ、これぐらいで疲れたのか?」
「疲れるも何も乱暴すぎ! めっちゃくちゃ怖かったじゃないの!!」
ボカボカと少し強めに湊士の背中を叩いた。いつも銀狼と空を飛んでいるとはいえ、これは怖い。どれだけ銀狼が気を遣ってくれていたのかがよくわかった。
(今度、目一杯褒めてあげよう)
そう心に決めて拳をぐっと握ると、そっと地面に下ろされる。やっと地面に足がついて、ほっとした。しかし、そうすると沸き上がるのは怒りである。
緋鞠は腕を組むと、こんな突拍子もない連れ去りを行った湊士を睨みつけた。
「で、いったい何の用よ。今は試験中、しかも私たちは競争相手でしょう! どうしてこんなことしたの!」
「ほら、約束したじゃん」
約束? 果て、そんなことしただろうか。
思わず、きょとんとした顔をしてしまった。しかし、湊士はそれを怒ることなく笑顔で待っている。その一転の曇りもないきれいな眼に、今度はだんだん罪悪感が湧いてきた。
(え? 本当に? 約束したっけ!?)
どうしよう、本気で思い出せない。
緋鞠は観念して、パンっと手を合わせて顔を俯ける。
「ごめん。思い出せなかった……!」
「えー! 手合わせするって言ったじゃねぇか!」
「そっちかい!!」
驚いて見ると、湊士は頬を膨らませて怒る。
「楽しみにしてたのに!」
「別に今じゃなくても! ほら、別の日にしよう!」
今は試験中だし、ただでさえ足を引っ張っているのだ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。しかし、いくら湊士の予定に合わせると言っても、やだの一点張り。
「わかった! なら試験が終わったらすぐ付き合うから!」
「やだ! 今する!」
「わがままか!!」
さすがにわがままが過ぎる。来栖に今すぐ言いつけたいところだが、痺れを切らしたのか湊士が動いた。
「おまえがこないなら、こっちから行くぜ!」
気合いを入れるように、ダンッ! と足を踏み出す。ボクシングのように手を構えると、名を呼んだ。
「来い、引月!」
湊士の両手に、指輪のような装飾が施された武器──ナックルが嵌められた。まさか、封月を使おうとするなんて……。
緋鞠はその本気さに驚いて、湊士を見る。薄水色の瞳は、やる気に満ちていた。おそらくこの様子だと、もう引く気はないだろう。
緋鞠は頭痛のしそうな額を擦ると、仕方なく武器を手にした。
「月姫、いこうか」
筆からすぐに刀に変え、構える。
「悪いけど、そんなに長くやるつもりないよ」
「いいぜ! さあ、来い!」
緋鞠はすぅっと目を細めると、強く踏み込んだ。上段の素早い振り下ろし。ひゅっと風が切られる音に、湊士は口角を上げると、真っ正面から受け止める。
鈍い金属がぶつかる音。押し込もうとするが、それ以上は力の差で無理だった。なら、刀を横へと振り抜こうとするが、ガチリと掴まれたようにびくとも動かない。見ると、指を守るように覆われた溝にがっちりと嵌まっていた。
(なっ……!)
これでは押すのも、流すのも無理だ。緋鞠はゾッとするような寒気に、さっとしゃがむ。頭上を拳が通りすぎた。
緋鞠は後方に跳んで距離を取ろうとするも、湊士はそれについてきた。それも当然だ、あんな近接武器を振るうには近づくしかないのだから。
緋鞠は口元を苦しげに歪ませ、追い払うように刀を振る。それを拳で受け流しながら、湊士は片眉を上げた。
「おい、こんなもんか!」
「違う! だけど……」
怪我をさせてしまうかもしれない。そんな不安から、本気を出せなかった。さっきだって周りが見えなくなり、剣舞を止めてもらうのに翼に怪我をさせてしまいそうになった。
(仲間を傷つけたくない……!)
どうしても防御に徹してしまう緋鞠を見て、湊士ははっと鼻で笑った。何がおかしいのか。
「おまえのことだから、怪我させたら悪いとか思ってんだろ。だけどなぁ……」
その顔にはっきりとした怒りが浮かんでいた。初めて湊士が怒ったところを見て、緋鞠は驚いた。
「おまえの攻撃で、俺を簡単に傷つけられると思うな! 馬鹿にすんなよ!」
「馬鹿にしてない!!」
「なら本気で来いよ!!」
湊士の叫ぶ声に、ビリビリと電流のようなものが走った。怒ったように眉をつり上げているのに、瞳には寂しさが滲んでいた。
「わかんだよ! おまえは無意識で自分が皆を守らなきゃいけないと思ってる。けどな、お前レベルなんかごろごろいんだよ! それなのに、何傲ってんだ! 気なんか遣ってる暇はない、本気でやれ!!」
緋鞠はぎゅっと刀を持つ手を握りしめる。
なによ、なんなのよ……。
むくむくと沸き上がったのは、心苦しさではない。それは──。
「やってるよ!!」
全身でありったけ叫んだ。そして戦術も何もない、ただ感情をぶつけるように刀を振り下ろす。
「馬鹿にしてない! 傲ってなんかない! 気なんか遣ってない!」
型もぐちゃぐちゃで、意味もなく振るい続ける。湊士はそれを真っ正面から受け続けた。
「だけど、本気でやればやるほど、周りが見えなくなる。月鬼しか見えなくなる。ただ、倒そうとする意識だけが強くなる!」
それでも、何十、何百、何千と振るってきた剣舞は見にしみていて、自然と型に嵌まっていく。だんだん速度が上がっていき、風の刃も増えていった。湊士も捌ききるのが難しくなっていく。
「私だって協力したいよ! でも、でもどうしたらいいかわかんないんだもん! 一緒に闘ってくれる人なんかいなかった、銀狼だって私と同じところにいられなかった!」
分かってる。自分は人で、彼は妖怪だ。
どうしたって、埋まらない距離があるのは当然のことだった。だから、今度は。仲間ができたら、一緒に距離を縮めていきたい、その方法がわかるはずだって、そう思ってた。
なのに、ますます皆と離れていく。遠くに行ってしまう。
「私、私は──」
手から刀がこぼれ落ちる。それと共に、今まで蓋をして見ないふりをしてきた寂しさが溢れだした。
「どうしたらいいの……」
緋鞠は涙で濡れた顔を手で覆い隠した。
「お、ここでいっか」
そんな呟きが聞こえたかと思えば、突然急降下した。まっ暗闇で体が落ちていく感覚に、ひぃっと喉の奥が鳴った。ドンッと地面に降り立った音が聞こえて、恐る恐る指の隙間を覗き見る。
見えた地面に、詰めていた息を大きく吐いた。思わずホロリと涙がこぼれ落ちる。
「ん? なんだ、これぐらいで疲れたのか?」
「疲れるも何も乱暴すぎ! めっちゃくちゃ怖かったじゃないの!!」
ボカボカと少し強めに湊士の背中を叩いた。いつも銀狼と空を飛んでいるとはいえ、これは怖い。どれだけ銀狼が気を遣ってくれていたのかがよくわかった。
(今度、目一杯褒めてあげよう)
そう心に決めて拳をぐっと握ると、そっと地面に下ろされる。やっと地面に足がついて、ほっとした。しかし、そうすると沸き上がるのは怒りである。
緋鞠は腕を組むと、こんな突拍子もない連れ去りを行った湊士を睨みつけた。
「で、いったい何の用よ。今は試験中、しかも私たちは競争相手でしょう! どうしてこんなことしたの!」
「ほら、約束したじゃん」
約束? 果て、そんなことしただろうか。
思わず、きょとんとした顔をしてしまった。しかし、湊士はそれを怒ることなく笑顔で待っている。その一転の曇りもないきれいな眼に、今度はだんだん罪悪感が湧いてきた。
(え? 本当に? 約束したっけ!?)
どうしよう、本気で思い出せない。
緋鞠は観念して、パンっと手を合わせて顔を俯ける。
「ごめん。思い出せなかった……!」
「えー! 手合わせするって言ったじゃねぇか!」
「そっちかい!!」
驚いて見ると、湊士は頬を膨らませて怒る。
「楽しみにしてたのに!」
「別に今じゃなくても! ほら、別の日にしよう!」
今は試験中だし、ただでさえ足を引っ張っているのだ。これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。しかし、いくら湊士の予定に合わせると言っても、やだの一点張り。
「わかった! なら試験が終わったらすぐ付き合うから!」
「やだ! 今する!」
「わがままか!!」
さすがにわがままが過ぎる。来栖に今すぐ言いつけたいところだが、痺れを切らしたのか湊士が動いた。
「おまえがこないなら、こっちから行くぜ!」
気合いを入れるように、ダンッ! と足を踏み出す。ボクシングのように手を構えると、名を呼んだ。
「来い、引月!」
湊士の両手に、指輪のような装飾が施された武器──ナックルが嵌められた。まさか、封月を使おうとするなんて……。
緋鞠はその本気さに驚いて、湊士を見る。薄水色の瞳は、やる気に満ちていた。おそらくこの様子だと、もう引く気はないだろう。
緋鞠は頭痛のしそうな額を擦ると、仕方なく武器を手にした。
「月姫、いこうか」
筆からすぐに刀に変え、構える。
「悪いけど、そんなに長くやるつもりないよ」
「いいぜ! さあ、来い!」
緋鞠はすぅっと目を細めると、強く踏み込んだ。上段の素早い振り下ろし。ひゅっと風が切られる音に、湊士は口角を上げると、真っ正面から受け止める。
鈍い金属がぶつかる音。押し込もうとするが、それ以上は力の差で無理だった。なら、刀を横へと振り抜こうとするが、ガチリと掴まれたようにびくとも動かない。見ると、指を守るように覆われた溝にがっちりと嵌まっていた。
(なっ……!)
これでは押すのも、流すのも無理だ。緋鞠はゾッとするような寒気に、さっとしゃがむ。頭上を拳が通りすぎた。
緋鞠は後方に跳んで距離を取ろうとするも、湊士はそれについてきた。それも当然だ、あんな近接武器を振るうには近づくしかないのだから。
緋鞠は口元を苦しげに歪ませ、追い払うように刀を振る。それを拳で受け流しながら、湊士は片眉を上げた。
「おい、こんなもんか!」
「違う! だけど……」
怪我をさせてしまうかもしれない。そんな不安から、本気を出せなかった。さっきだって周りが見えなくなり、剣舞を止めてもらうのに翼に怪我をさせてしまいそうになった。
(仲間を傷つけたくない……!)
どうしても防御に徹してしまう緋鞠を見て、湊士ははっと鼻で笑った。何がおかしいのか。
「おまえのことだから、怪我させたら悪いとか思ってんだろ。だけどなぁ……」
その顔にはっきりとした怒りが浮かんでいた。初めて湊士が怒ったところを見て、緋鞠は驚いた。
「おまえの攻撃で、俺を簡単に傷つけられると思うな! 馬鹿にすんなよ!」
「馬鹿にしてない!!」
「なら本気で来いよ!!」
湊士の叫ぶ声に、ビリビリと電流のようなものが走った。怒ったように眉をつり上げているのに、瞳には寂しさが滲んでいた。
「わかんだよ! おまえは無意識で自分が皆を守らなきゃいけないと思ってる。けどな、お前レベルなんかごろごろいんだよ! それなのに、何傲ってんだ! 気なんか遣ってる暇はない、本気でやれ!!」
緋鞠はぎゅっと刀を持つ手を握りしめる。
なによ、なんなのよ……。
むくむくと沸き上がったのは、心苦しさではない。それは──。
「やってるよ!!」
全身でありったけ叫んだ。そして戦術も何もない、ただ感情をぶつけるように刀を振り下ろす。
「馬鹿にしてない! 傲ってなんかない! 気なんか遣ってない!」
型もぐちゃぐちゃで、意味もなく振るい続ける。湊士はそれを真っ正面から受け続けた。
「だけど、本気でやればやるほど、周りが見えなくなる。月鬼しか見えなくなる。ただ、倒そうとする意識だけが強くなる!」
それでも、何十、何百、何千と振るってきた剣舞は見にしみていて、自然と型に嵌まっていく。だんだん速度が上がっていき、風の刃も増えていった。湊士も捌ききるのが難しくなっていく。
「私だって協力したいよ! でも、でもどうしたらいいかわかんないんだもん! 一緒に闘ってくれる人なんかいなかった、銀狼だって私と同じところにいられなかった!」
分かってる。自分は人で、彼は妖怪だ。
どうしたって、埋まらない距離があるのは当然のことだった。だから、今度は。仲間ができたら、一緒に距離を縮めていきたい、その方法がわかるはずだって、そう思ってた。
なのに、ますます皆と離れていく。遠くに行ってしまう。
「私、私は──」
手から刀がこぼれ落ちる。それと共に、今まで蓋をして見ないふりをしてきた寂しさが溢れだした。
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