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第7夜 忘却の地下牢

第17話 大事なら

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 しかし、現実はそう甘くはなかった。

 暴れまわる霊力の奔流。自分のものではないものに対する拒絶反応。内側から喰い破られるのではないかと錯覚するほどの激痛。一瞬で神経が引きちぎられたように、手足が使い物にならなくなった。

 ぐらりと視界が反転し、平衡感覚を失う。糸が切れたマリオネットのように地面に転がった。けれど、痛みは引くどころかさらに増していく。

(ずっとこんな激痛に襲われてたのか……!)

 ごほっと咳き込むと、鉄の味が口に広がる。地面に紅い斑点が描かれた。
 おそらく、緋鞠の霊力に押し負けたのだろう。息苦しさから、肺がやられた可能性が高い。ということは、今感覚を共有している銀狼も傷ついているはずだ。

 すぐに、どうにかしなければ──。

 だが、次に翼を襲ったのは記憶だった。
 神社、屋敷、合戦、戦争──。さまざまな時代の情景が、フィルムをなぞる写映機のように。また、早送りで映し出される。およそ脳が処理する許容量を越える、見たことのない膨大な景色。記憶の濁流に、頭が割れそうになった。

「ああああああ!!」

 これが感覚共有が危険とされる所以だった。
 自身が主導権を握れば、相手が持つ情報を必要なだけ抜き取ることができる。しかし、それは術師の力量が相手を上回ることが前提とされる。
 また、人間は一人に対して膨大な情報量を有する。それを処理するのに手一杯であるにも関わらず、もう一人分。しかも、何百年と存在する妖怪だ。その全ての情報を身一つに受けることは自殺行為に等しかった。

 痛みと映像で、脳が焼ききれそうになる。朦朧とする意識は、記憶の波に溺れていった。上も、下も。周り全てがさまざまな映像が流れ、そこに意識がゆっくりと落ちていく。

 ──ああ、俺は。……いや、何が、だ?

 波に呑まれて、意識を見失う。ざぁっと目の前には、砂嵐が広がった。
   もう、何もわからない。何もかも、どうでもよくなって……。
   そのまま真っ暗な闇に塗りつぶされようと、目を閉じた。

 ──?

 何かが聞こえる。なんだろうか。

 ────。

 微睡むには、うるさい。どうして、こんなにも気になるのか。
 そっと目を開く。見えたのは、おそらくこの記憶の持ち主がした、後悔の景色。
 そう思ったのは、目の前に蹲っている彼が泣いていたからだろう。地面に倒れている、幼い子供。その瞳に光りはなく、動かない。

『どうして、俺はいつも間に合わない。どうして、いつも』
『「俺ばっかり」』

 声が重なった。
 そうだ、いつもそうだ。
 いつも守りたいのに、大事にしたいのに──。

 そう思ったときにはもう、目の前で失う。見ていなかったわけではない。手を伸ばさなかったわけではない。それなのに、いつも自分だけ取り残される。

 どうせなら、いっそのこと。自分も連れていってくれれば……。
 悲しみは闇となり、その姿を呑み込もうとした。

 ──けど、そうはならなかった。

 どこから来たのか。優しい光が、闇をそっと払い去っていく。まるで、涙を拭うように。

 瞬きをした瞬間、いつの間に現れたのか。じーっとこちらを見る、どこか見覚えのある少女の姿があった。くりくりとした紅い瞳が、不思議そうに見上げていた。そうして、にぱっと表情を輝かせる。

「ぎんろー!」

 横をすり抜けて、飛びついた先。狼の姿をした彼に、嬉しそうに抱きついていた。ぎゅーっと抱き締められている彼の表情には、悲しみの色が消え去っていた。

 ああ、そうか──。

 翼はバチッと目を開いた。危うく意識が消え去るところだった。勢いよく動いたせいで、息が詰まる。

「げほっ、ごほっ!」

 パシャリと溜まった血液が吐き出された。息苦しくて、血の味で気持ち悪い。けど、まだ気を失うわけにはいかない。
 心臓辺りをかきむしるように掴むと、地面をゆっくりと這う。風の壁ギリギリに近寄り、できるだけ息を吸った。
 きりきりと肺が痛み、また血が空洞を埋めようとする。しかし、そんなのに負けていられない。腹に力を込めて、上半身を起こす。

「銀狼、聞こえてんだろ! この力どうにか抑えろよ!」

 壁に向かって叫んだ。聞こえているはずだ。じゃないと、俺も意識が戻るはずがない。

「じゃないと……」

 苦しくなって、また咳をした。けど、一息に言わないと伝わらない。地面を引っ掻いて、血が滲んだとしても前を向き続ける。

「緋鞠の傍にいれなくなるぞ!! もう、失くしたくないだろ!」

 ずっと、悲しみに沈んでいた。何十年も、何百年も。俺だったら耐えられないだろう、長い年月を。
 ……やっと、見つけたくせに。

「大事なら、傍にいて、手離すなよ!!」

 息が切れて、地面に伏せる。意識が混濁して、視界がチカチカした。もう、話せる力は残っていそうにない。
 溜まった血を吐き出しながら、祈るように視線をあげる。

 あの全てを破壊するような紅い風。揺らぐことのなさそうな、強固なる竜巻が少しずつ弱まっていく。内側を削るように流れていた霊力も、少しずつ流れが穏やかになってきた。自分のものではないもうひとつの力が、あの激流を上手く塞き止めているようだった。
 やっと、銀狼の意識が戻ったようだ。
 けれど、まだ本調子ではないのか。時々、押し負けそうになる。翼は、残りの力を振り絞って自分の霊力を集中させる。脳内に流れてくる力のイメージ。銀色の力に向かって力を貸した。
 暴れ狂う紅い力は銀と金、二つの力によって混じり合う。ゆっくりと宥めるように覆われると、静かに空気に溶けていった。

 翼は真っ黒な天井を見上げながら、ほっと息をつく。
   これで、もう大丈夫だろう。人を不幸にしかできない呪術でも、少しは助けになれた。そのことに、充足感を感じる。
   ……少し、疲れた。
   瞳を閉じると、疲れが重くのし掛かってくる。先ほど見た映像の残像が、まだ残っていた。

   そういえば、銀色の記憶に映っていたあの少女。どこかで見た覚えがある。

   確か、あれは──。


 風が収まり、京奈は埃にむせかえった。いきなり暴発して吹き飛ばされたときは驚いたけど、風が消失したということはもう大丈夫だろう。

「つーくん! 大丈夫ー?」

 土煙が残るなか、きょろきょろと後輩の姿を探す。いたら返事してくれると助かるのだが。もしかしたら大怪我したとか……。

「いや、つーくんに限ってないか」

 私より優秀な後輩だ。そんなことになるはずがない。きっと大丈──。

 足元に、血が散らばっていた。それを視線で追っていくと、だんだん血液の量が増えていって……。

「……つーくん?」

 視線の先、血を流して倒れていたのは翼だった。

「つーくん!!」

 急いで駆け寄ると、気を失っていた。吐血したのか、口元は血で染まっていた。目立った外傷はないのに出血の痕がひどく、呼吸と心臓の音はどちらも弱々しい。

 すぐに霊符を取り出し、治療を開始する。澪特製の治癒力を強める霊符だ。これを使えば、一時的には凌げる。

(すぐに澪に診てもらわなきゃ……!)

 霊符にかざす手を離さず、もう片方の手で式神を作る。焦りか、恐怖か。手元が震えて上手く書けない。

 こんな風に山ほど仲間は失ってきた。血だらけで、動かなくなって、冷たくなっていって。それが、私も、あの人も耐えられなくて……。

   強くなりたいって、いろんな武術や医術を教わっても、こぼれ落ちていく命の数は変わらないの?

   ──また、失うの?

希望を失ってた子が、やっと前を向いて。やっと友達が、知りたいと思う子ができたのに。

「お願い……死なないで!!」

 涙で視界がぐしゃぐしゃになって、焦りが心を蝕んでいく。必死に手をかざしながら、霊符に霊力を流し続けた。
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