迦具夜姫異聞~紅の鬼狩姫~

あおい彗星(仮)

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第7夜 忘却の地下牢

第15話 変化する心

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 ──一刻前。

 人間を遥かに凌駕するほど大きな体。鋭い牙と爪。満月を思わせる瞳は輝きを失い、暗く影を落としていた。だが、口から漏れるうなり声から、意識はあることがわかる。

 見たことがない銀狼の姿に、驚きと得たいの知れない恐怖が翼を支配した。多くの月鬼や妖怪に相対してきたが、ここまで身が凍るような、刃を心臓に突き立てられるような殺気を放つ者に出会ったことはない。
 いつもの穏やかな姿を知っているからだろうか、一層そう感じた。

「……銀狼?」

 小さく呼び掛けてみると、尖った耳がピクリと動く。銀色の瞳が翼の方へと向けられる。
 金の瞳に翼の姿が映ると、ギラリと鋭く睨みつけた。

 ──アオォォォォーン!!

 ビリビリと電流が走るように地下牢全体が揺れた。聞こえた咆哮が脳を揺らし、立っていられなくなる。石畳の上に倒れ、耳を抑えようとするが、少しも動けない。

(麻痺の術か──!)

 呪いの類いは耐性がついているはずなのに、指先さえも動かない。おそらく呪術ではなく、属性術だろう。
 自身の未熟さに反吐が出る。
 どうにか動こうともがいていると、視界の端で紅く銀色に輝く風が集束していくのが見えた。
 先ほど隊員を弾き飛ばした風。あんなものを喰らったらただではすまされない。それに、さっき気絶させた隊員もまだ目覚めていなかった。

(三人も傷つけた、なんてなったら確実に封印指定だ──!)

 翼は心臓辺りに意識を集中させ、自身の霊力を練り上げる。相手の霊力が麻痺の原因なら、自身の霊力で相殺させればいい。
 が、思ったよりも力が強すぎる。張り巡らされた霊力の流れにまで麻痺が及んでいた。解くのに相当時間がかかる。

 そのとき、銀狼が突進の形を取り始めた。

「動けよ……」

 まだ麻痺の鎖が残り、霊力は塞き止められた配管のように流れない。無理やり押し込もうとしても、同様だった。けれど──。

「動けっていってんだよ!!」
「うん、まっかせてー!」

 この場にそぐわない、明るく能天気な声。
 ぐいっと体が宙に浮き、地面から離れる。人を片手で持てるほどの怪力、場を明るくするほどの溌剌さ。思い当たるのは一人しかいない。

「京奈!?」

 少し顔を上げれば、にっこりと人懐こそうな笑顔が翼に向けられた。もう片方の手には、女性隊員も抱えられている。
 ほっとしたのもつかの間、こちらに向かってうなり声を上げ、銀狼が突進してきた。

「おい、こっち来るぞ!」
「つーくん、お口閉じないと舌噛むよー?」

 そう言われて、ぐっと口を引き結んだ。それを見て、京奈は頷くと銀狼を見据える。
 大きな風の塊となり、台風よりも激しい激流。

 一体どうするつもりなのか。

 すると、京奈は二人を掴む腕に力を込め、走り出す。少し乱暴になるが、そこはご愛敬。ダンッと思いきり地面を蹴り上げ、大きな風の奔流に向かって大きく飛んだ。
   高さが足りず、ぶつかることを想定していた翼は、思わず目を瞑ろうした。しかし、予想に反して下から強い風で巻き上げられ、綿毛のように飛ばされる。銀狼はそのまま勢いを殺せず、格子に突っ込んでいった。爆発したかのような激音と、悲鳴を上げるようにひしゃげていく格子。
 京奈は軽く着地すると、懐から霊符を取り出す。翼の背に貼り付けて、手の平を添えた。

オン

 じんわりと、熱が伝わるように力が流れていく。麻痺の纏わり付く感覚がなくなり、急いで体を起こした。すぐに札に手を伸ばす翼を、京奈は制す。

「ストップストップ! 落ち着いて!」
「だが、まだあいつは」
「捕まえといたよ」

 そういって手で示された方向を見れば、銀狼はまるで蜘蛛の巣にかかったように、術で作られた網が張り巡らされていた。じたばたともがくが、網は余計に張りつき、絡まっていく。あれなら、しばらく持つだろう。

「牢に入る前に格子に術をかけといたの。あの様子だと、何をやっても怪我させちゃうし。それより、何があったの?」

 翼は簡単に説明すると、京奈はあちゃあと困った顔をした。

「うーん、それじゃあこれは霊力の暴走によるものかな。まりまり調子悪かったみたいだし、繋がりから考えると……」

 ぶつぶつと呟く用語は翼の知らないものばかりだった。何を言っているのかわからないことから、だんだん不安が募る。

「つまり?」
「まりまりが霊力の調律をしないかぎりギンちゃんは暴走が止まらないかも」
「じゃあいつ収まるかわからないのか!?」

 今にも網を引きちぎりそうな状態で、さらに誰かを傷つけないように押さえつけておかなければならないというのか。
 あの尋常ならぬ怪力と術の強さをずっと相手取らなければいけないとなると、さすがに二人では骨が折れる。

「まりまりの所にみーおと零が向かったから大丈夫だとは思うんだけど。いつ他の人が来て封印しようとするかもしれないし」 
「そいつらを倒しても、背後から襲われたら意味がないか」
「つーくんはやっちゃダメだよ!? これ以上悪いことしたら地下牢に入れるってあーちゃんに言われてるんだから!」
「今現在入ってるが?」
「屁理屈いわなーい!」

 怒ってぽこぽこ叩いてくるの京奈を無視し、いい方法がないか考える。
 暴走が緋鞠との繋がりから起こっているものだとすれば、それを断つのが一番話は早い。しかし、勝手に契約を壊すことは術師としてご法度だ。それに……またあいつを傷つけかねない。

 いろいろと、考えてはみるものの正直自身の知識だけでは難しい。京奈に助言を求めようと顔を向ければ、なぜかにこにこと笑顔でこちらを見ていた。
 そんなに楽観視できる状況じゃないはずだが。

「……随分余裕があるんだな」

 思わず渋い顔をする翼を見て、京奈は慌てて弁解する。

「え? や、違うよ!? ギンちゃんのことちゃんと考えてるよ! でも、さ。なんか嬉しいなぁって」
「何が?」
「つーくんがちゃんと私たちに頼ってくれて、まりまりやギンちゃんのこと助けようとしてることがね」

 京奈がいつも見ていた翼は、しかめっ面で眉間にシワを寄せて。いつも何かに怒っているような表情だった。私たちのために家事手伝いはしてくれるけど、なんだか、心ここに有らずといった様子であった。

「ほら、つーくんあんまり人のこと気にしなかったし。なんていうか、月鬼さえ狩れてれば、他なんてどうでもいいって感じが強かったから」

 それが、式神を飛ばしてまで頼ってくれて、一生懸命目の前の相手に向き合っている。そのことが、京奈には堪らなく嬉しかった。

「絶対にギンちゃんを助けようね!」

 陽だまりのように笑う京奈を見て、翼は少し落ち着きを取り戻した。
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