迦具夜姫異聞～紅の鬼狩姫～

あおい彗星(仮)

文字の大きさ

大中小

17 / 113

第3夜鬼狩試験

第1話試験開始

しおりを挟む

　太陽は闇に沈み、中天に浮かぶ月が地上を銀色に照らしていた。
　まだ月鬼が出る刻ではない。

　月明かりだけが頼りの星命学園の校舎の中で、何度も深呼吸しながら緋鞠ひまりは気持ちを落ち着かせていた。

　                                                   ～◇～

　一時間前。
　唖雅沙あがさに送ってもらった宿泊施設で、夜に行われる鬼狩り試験に備えていた。

　残っていた半紙で短冊を作り、試験用の霊符を準備する。
　霊符は自身の霊力を筆に乗せて作る。作れるのは術者の力量次第で、緋鞠が一日で作れるのはおよそ十五枚である。

　霊符の効果が持続するのは、およそ十分。
　どの効果をどの程度用意するべきか──。

　筆ペンを咥えて悩んでいると、緑茶の良い香りが漂って来た。

「緋鞠。ほら、茶と握り飯だ」
「わあっ、気が利く！　銀、ありがとう！！」

　人型に変化した銀狼から、おにぎりの乗った皿と湯呑み茶わんを受け取る。

「美味しい！　中身は昆布だ！」

　おにぎりは唖雅沙が持たせてくれたものだった。

『所持金がないだと！？　貴様は育ち盛りなのだから、三食しっかり食べないと駄目じゃないか！！』

　「まったくけしからん！」と、ぷりぷり怒りながらも手際よくおにぎり作ってくれた。なんだか唖雅沙には、一日中面倒を見てもらって申し訳ない気持ちだ。

「よっし！　頑張ろう！！」

　髪を後頭部の高い位置でひとつに結んで、緋鞠はテーブルに向かった。
　短冊一枚に素早く、丁寧に書き込む。書き損じなどしたらもったいない。

　──強さ、早さ、鋭さ。あと必要なのは……。

　十五枚すべてを書き終え、緋鞠はほっと息を吐く。
　墨が乾くのを待っている間、試験内容が書かれた書類に目を通しておく。

　試験時間は二十三時から深夜一時までの約二時間。
　夢繋ぎの術を用いて霊体のみ、星命学園に転移。

　なお、その際にはベッドで睡眠状態にあること。
　武器および霊符の持ち込みは可。それらを携帯して眠ること。
　しかし、随行者は認めない。

　この文言を見てしまってから、銀狼になんとなく落ち着きがない。背後を窺うと、部屋をうろうろしている。これでは緋鞠の試験中も回遊魚のようにずっと歩き続けるに違いない。

　緋鞠は立ち上がった。

「ぎーんっ！」

　呼びかけると、ようやく動きを止めた。緋鞠を見る目は珍しく不安げに揺れていた。緋鞠は笑ってやれやれと首を振ると、腕を伸ばして銀狼を抱きしめた。

「私は大丈夫だよ」
「……ああ、そうだな」
「私が眠っている間、本体を頼んだよ」
「ああ、約束する」

　緋鞠の背中に銀狼の手が回された。
　昔、私が引きとめたときとはまったく逆だ。

　緋鞠は小さな手を必死に伸ばし、銀狼に行かないでと懇願した。
　幼い緋鞠の願いを聞いてくれた銀狼は、成長した今もそばにいてくれる。一緒に闘ってくれる。

　銀狼相棒を試験に連れて行けないことはショックだったが、同時にほっとしている自分もいた。

　本格的に力を手に入れるということは、銀狼にも今まで以上の闘いを強いることになる。
　大切な相棒だからこそ、銀狼が傷つくのを見るのは嫌だった。力を手にして、銀狼も守れるくらいに強くなりたい。

     (だから今日は、一人で頑張らなきゃ！)

　窓から銀色に輝く月を見上げる。

　──大丈夫、大丈夫……。私は、一人でもやれる。

　校内にチャイムが鳴り響いた。
　いよいよ試験開始だ。

　ぐっと拳を握りしめると、緋鞠は廊下を駆け出した。

　星命学園には東側に鬼狩科の棟、西側に妖怪科の棟があり、上空から見下ろせばアルファベットのHのように建っていた。
　ひとまず東棟と西棟の間を繋ぐ渡り廊下へと出た緋鞠は、東棟から陣と鬼石を探すことにする。

　校舎は今の時代にはめずらしい木造建築で出来ており、物珍しくてついついあちこちに目が向けてしまう。しばらくして、最初の教室が見えた。引き戸をそっと開き中に入る。

「ん～ないなあ……」

　教室内は普通の学校とさほど変わりなかった。机の中、椅子の下、それこそごみ箱の中に至るまで。くまなく確認したが、何も見つからない。

　次も、その次も。
　すべての教室を確認したが、陣はもちろんのこと、鬼石すら見つからない。

　時折、鋼がぶつかる音が遠くから聞こえてくる。

　他の受験者だろうか。暗闇に一人でいるのは心細い気がして、誰でもいいから会いたい気もするけれど……。

     昼間に闘った少年のことが脳裏に浮かぶ。世の中には、ああいう話が通じない奴もいるわけで。霊符が十五枚と少ない中、他の受験者と衝突にならない可能性がないわけではない。
　緋鞠は気配を消して、探索に集中することにした。教室を出て暫くすると、まるで砂の上を歩いているような違和感を感じる。下を見ると、紅い欠片が落ちていることに気が付いた。

「何これ？」

　硝子が割れたような欠片を手に取ってみる。手のひらに意識を集中させると、欠片からわずかに霊力を感じた。それにこの色。

　──見覚えがあるような、ないような……。

　うーん、と考えてみても分からない。ちらりと、壁にかけられている丸時計を見上げる。

　時刻は二十三時三十分。

「ここまで誰にも会わないとは……」

　物音がする場所を意識的に避けているとはいえ、校舎内を探している受験者もいるはずだ。それなのに、人の影すら見かけない。あまりの静けさに、緋鞠だけが世界から取り残された気分になった。

　心細さを振り払うように、緋鞠はぶんぶんと首を振る。

「次は左側に行ってみよう」

　立ち止まったらなにかに捕まってしまいそうな気がして、緋鞠はひたすら走った。

しおりを挟む