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case4.母は誰が助く
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「それで、相変わらず息子はなかなか外に出てくれなくて。やっぱり、ご飯とお風呂、トイレの時以外は部屋から出ようともしないんです。どこかに出掛けようと声を掛けたりもするんですけど…」
「どんな反応をされるんです?」
「『行かない』の一言で終わりです。それで部屋にこもってしまいます。」
「部屋ではやはりゲームを?」
「はい、多分。部屋には入れさせてもらえないので、何をやってるかは分かりませんけど、昔から好きでしたから。」
「どんなゲームをしているか、話してくれたりしませんか?」
「聞いたことはありますけど、無視されました。」
「そうですか…旦那さんはどうです?息子さんについて、どういう態度を取りますか?」
「最初こそ怒ったりして、喧嘩になったりもしたんですけど、もうお互いに話さなくなりました。顔も合わせません。」
「なるほど。ではお母さんだけが気に掛けてらっしゃると。大変ですね。」
「は、はい…」
嶋田佳菜子。
四十二歳女性。夫と息子一人の三人暮らし。夫は銀行勤務、自分は出版会社の派遣社員、息子は中学生。
悩みは、息子の引きこもり。中学三年生になるが、一年生の秋ごろから教室に居心地の悪さを感じ、しばらく保健室登校の後、不登校。それが一年半ほど続いている。原因は定かではないが、イジメに近いものがあったとされる。それについて関係者を特定することは無かった。現在は学校から特別な課題を出され、それを外部の支援機構を介して提出しているが、進捗は芳しくない。カウンセラーが何度か自宅訪問に来たこともあるが、本人は拒否。両親と少し話をしただけで終了。学校に復帰する目途が立っていない状況にある。進学・就職の意思も未確認。
夫婦間では諦めの雰囲気が漂う。夫は最初のうちは怒鳴ったり部屋に踏み込んだりして外に連れ出そうとしていたが、今は無関心を決め込んでいる。経済的には問題無いので、自分からアクションを起こすまで待つ姿勢だ。
自分は母親として大きな責任があると感じている。何より健康面が心配であり、学校よりも先に病院やクリニックに行かせようとしているが、拒否。その他遠出や旅行、最近の話題を持ち掛けて何とか心を開いてもらおうと苦心するも、振るわず。
以上の顛末で精神的に不調になり、精神科を受診しつつ、ここに来るようになった。
「それで、ご自身はどうです?」
「え?」
「お仕事、休みがちになっているのでは?そうでなくとも、早引けが増えたりとか。趣味の時間とか、取れてます?」
「え、ええ、まぁ…学校の先生やフリースクールの人とよくお話するので…それと、何とか訪問して診ていただける精神科の先生がいないか探しています。前のカウンセラーの方はもうダメなんですけど…」
ハッ
嶋田の顔が上がる。
「先生、」
嫌だ。
「もしよろしければ、家に来て、診ていただくこと、だったりは…?」
「申し訳ありません。うちではそういった訪問サービスは行っておりませんので、どうかご了承ください。」
「そう、ですか…いや、そうですよね、すみません、すみません…」
馬鹿馬鹿しい。
まぁ足を運んでやる分、特別料金を吹っかけても良いかも、と思ったが、面倒臭い。ここを離れてわざわざ診てやる義理も無い。
何様のつもりなんだか、お前ら。
もういいや。さっさと済まそう。
「それで、どうされます?気分、抜きますか?」
「…はい、はい。お願いします。」
水晶を右手に、左手を自由に。
「それじゃあ、目を閉じて。」
スッ
スウウウウウウウウウウウ
おーおーおー、出るわ出るわ。
かなりの靄が出てくる。色もより灰に近い。
なかなか大きな悩みだ。やはりお腹を痛めて産んだ我が子が心配か。中学三年生、エスカレーターの義務教育も終わる。ここからは自分の意思で進まないといけない。だが、その荒波に向かう前に二の足を踏んでいる。
じれったいよなぁ?他所の子とどうしても比べちゃうよなぁ?ニュースで表彰される学生を見ると、胸がキュッってなるんじゃないかぁ?そんな息子に文句の一つでも言ってやりたいよなぁ?
でも言えないなぁ?母としての矜持、大事だもんなぁ?自分も見捨てたら、息子、本当に独りぼっちになるもんなぁ?自分がめげずに支えてあげれば、いつかきっと応えてくれるって信じてなぁ?
そんなの、息子は知らんぞ。特に何とも思っちゃいない。
もう自覚していいだろ。息子はあんたに本心を話さない。信用する相手に選んでくれなかった。誰も信じられないから、自分の世界にいるしかない。
とっくに見捨てられてんだよ、こっちがな。
スゥ
ようやく靄が出なくなってきた。ボウリング大くらい、ここ一番の大きさだ。
「はい、いいでしょう。」
「…あ、はい、ありがとうございます。」
嶋田の背筋が、ちょっと伸びる。目が、ちょっとパッチリする。
「どうです?楽になりましたか?」
「はい、不安や心配が尽きなくてつらかったんですけど、それが無くなったみたいで、スッキリしました。何とかやっていけそうです。」
健気だねぇ、つくづく。
「分かりました。また何かありましたらどうぞ。お大事に。」
会計八千円。
『嶋田佳菜子』
『四十代前半女性』
『息子の引きこもり、学校の不誠実な対応、夫の無理解』
この件に関しては、学校と夫も問題だ。
不登校への対応はしているものの、原因調査に精力的でなかった。いじめらしいいじめではなかったからだろうが、害被害の関係性も明らかにしなかったのはマズい。結局は被害者の受け取り様なのだから、客観的にどうあれ、誰があの息子に何をしたのか、息子はどう思ったのか、これからどうするのかまで決めるべきだった。
学校は進んで面倒ごとに首を突っ込んではくれないらしい。
彼女と夫とのコミュニケーション不足もあるだろう。自分は息子のためにこう考えていて、そのためにこうしようと思うという意思を伝えた方が良い気がする。全面的な協力は得られないとしても、長い目で見れば多少は心が動かされたかもしれない。
しかし、どこか夫への遠慮がある。話を聞く限り夫は強気な性格で、まさにビジネスマンといった感じ。勤めている銀行は大きいし、確か部長だったか。仕事ができるのだろう。
で、仕事で重い責任を負いながら家に帰ったら、息子が甘えて引きこもっていると。
で、それで怒って『もう知らん』状態になると。
気持ちは分からなくもないが。
それで彼女はそんな夫にも配慮して、あまり強く言わず、自分の仕事も趣味も犠牲にして、なんとか自分だけの力で息子を復活させようとしているわけだ。殊勝殊勝。
これからも彼女は孤軍奮闘、倒すべき相手も分からないまま、暗闇の中を彷徨い続けるのだろう。いつか救世主が現れるのを信じて。
自分の足が痩せ細っているのにも気付かずに。
ふぅー
息を吐く。
今晩はさっぱりしたものが食べたいな。あまり味が濃くないものを。
蕎麦でいいか。
平和に晩飯のメニューを考える昼下がりだった。
「どんな反応をされるんです?」
「『行かない』の一言で終わりです。それで部屋にこもってしまいます。」
「部屋ではやはりゲームを?」
「はい、多分。部屋には入れさせてもらえないので、何をやってるかは分かりませんけど、昔から好きでしたから。」
「どんなゲームをしているか、話してくれたりしませんか?」
「聞いたことはありますけど、無視されました。」
「そうですか…旦那さんはどうです?息子さんについて、どういう態度を取りますか?」
「最初こそ怒ったりして、喧嘩になったりもしたんですけど、もうお互いに話さなくなりました。顔も合わせません。」
「なるほど。ではお母さんだけが気に掛けてらっしゃると。大変ですね。」
「は、はい…」
嶋田佳菜子。
四十二歳女性。夫と息子一人の三人暮らし。夫は銀行勤務、自分は出版会社の派遣社員、息子は中学生。
悩みは、息子の引きこもり。中学三年生になるが、一年生の秋ごろから教室に居心地の悪さを感じ、しばらく保健室登校の後、不登校。それが一年半ほど続いている。原因は定かではないが、イジメに近いものがあったとされる。それについて関係者を特定することは無かった。現在は学校から特別な課題を出され、それを外部の支援機構を介して提出しているが、進捗は芳しくない。カウンセラーが何度か自宅訪問に来たこともあるが、本人は拒否。両親と少し話をしただけで終了。学校に復帰する目途が立っていない状況にある。進学・就職の意思も未確認。
夫婦間では諦めの雰囲気が漂う。夫は最初のうちは怒鳴ったり部屋に踏み込んだりして外に連れ出そうとしていたが、今は無関心を決め込んでいる。経済的には問題無いので、自分からアクションを起こすまで待つ姿勢だ。
自分は母親として大きな責任があると感じている。何より健康面が心配であり、学校よりも先に病院やクリニックに行かせようとしているが、拒否。その他遠出や旅行、最近の話題を持ち掛けて何とか心を開いてもらおうと苦心するも、振るわず。
以上の顛末で精神的に不調になり、精神科を受診しつつ、ここに来るようになった。
「それで、ご自身はどうです?」
「え?」
「お仕事、休みがちになっているのでは?そうでなくとも、早引けが増えたりとか。趣味の時間とか、取れてます?」
「え、ええ、まぁ…学校の先生やフリースクールの人とよくお話するので…それと、何とか訪問して診ていただける精神科の先生がいないか探しています。前のカウンセラーの方はもうダメなんですけど…」
ハッ
嶋田の顔が上がる。
「先生、」
嫌だ。
「もしよろしければ、家に来て、診ていただくこと、だったりは…?」
「申し訳ありません。うちではそういった訪問サービスは行っておりませんので、どうかご了承ください。」
「そう、ですか…いや、そうですよね、すみません、すみません…」
馬鹿馬鹿しい。
まぁ足を運んでやる分、特別料金を吹っかけても良いかも、と思ったが、面倒臭い。ここを離れてわざわざ診てやる義理も無い。
何様のつもりなんだか、お前ら。
もういいや。さっさと済まそう。
「それで、どうされます?気分、抜きますか?」
「…はい、はい。お願いします。」
水晶を右手に、左手を自由に。
「それじゃあ、目を閉じて。」
スッ
スウウウウウウウウウウウ
おーおーおー、出るわ出るわ。
かなりの靄が出てくる。色もより灰に近い。
なかなか大きな悩みだ。やはりお腹を痛めて産んだ我が子が心配か。中学三年生、エスカレーターの義務教育も終わる。ここからは自分の意思で進まないといけない。だが、その荒波に向かう前に二の足を踏んでいる。
じれったいよなぁ?他所の子とどうしても比べちゃうよなぁ?ニュースで表彰される学生を見ると、胸がキュッってなるんじゃないかぁ?そんな息子に文句の一つでも言ってやりたいよなぁ?
でも言えないなぁ?母としての矜持、大事だもんなぁ?自分も見捨てたら、息子、本当に独りぼっちになるもんなぁ?自分がめげずに支えてあげれば、いつかきっと応えてくれるって信じてなぁ?
そんなの、息子は知らんぞ。特に何とも思っちゃいない。
もう自覚していいだろ。息子はあんたに本心を話さない。信用する相手に選んでくれなかった。誰も信じられないから、自分の世界にいるしかない。
とっくに見捨てられてんだよ、こっちがな。
スゥ
ようやく靄が出なくなってきた。ボウリング大くらい、ここ一番の大きさだ。
「はい、いいでしょう。」
「…あ、はい、ありがとうございます。」
嶋田の背筋が、ちょっと伸びる。目が、ちょっとパッチリする。
「どうです?楽になりましたか?」
「はい、不安や心配が尽きなくてつらかったんですけど、それが無くなったみたいで、スッキリしました。何とかやっていけそうです。」
健気だねぇ、つくづく。
「分かりました。また何かありましたらどうぞ。お大事に。」
会計八千円。
『嶋田佳菜子』
『四十代前半女性』
『息子の引きこもり、学校の不誠実な対応、夫の無理解』
この件に関しては、学校と夫も問題だ。
不登校への対応はしているものの、原因調査に精力的でなかった。いじめらしいいじめではなかったからだろうが、害被害の関係性も明らかにしなかったのはマズい。結局は被害者の受け取り様なのだから、客観的にどうあれ、誰があの息子に何をしたのか、息子はどう思ったのか、これからどうするのかまで決めるべきだった。
学校は進んで面倒ごとに首を突っ込んではくれないらしい。
彼女と夫とのコミュニケーション不足もあるだろう。自分は息子のためにこう考えていて、そのためにこうしようと思うという意思を伝えた方が良い気がする。全面的な協力は得られないとしても、長い目で見れば多少は心が動かされたかもしれない。
しかし、どこか夫への遠慮がある。話を聞く限り夫は強気な性格で、まさにビジネスマンといった感じ。勤めている銀行は大きいし、確か部長だったか。仕事ができるのだろう。
で、仕事で重い責任を負いながら家に帰ったら、息子が甘えて引きこもっていると。
で、それで怒って『もう知らん』状態になると。
気持ちは分からなくもないが。
それで彼女はそんな夫にも配慮して、あまり強く言わず、自分の仕事も趣味も犠牲にして、なんとか自分だけの力で息子を復活させようとしているわけだ。殊勝殊勝。
これからも彼女は孤軍奮闘、倒すべき相手も分からないまま、暗闇の中を彷徨い続けるのだろう。いつか救世主が現れるのを信じて。
自分の足が痩せ細っているのにも気付かずに。
ふぅー
息を吐く。
今晩はさっぱりしたものが食べたいな。あまり味が濃くないものを。
蕎麦でいいか。
平和に晩飯のメニューを考える昼下がりだった。
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