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赤い魔物
新たな名前
しおりを挟む凍りついた湖に手を当て氷を溶かしていく。以前まで、魔法なんて一度も使ったこともなかったはずなのだが、本能的に魔法の扱い方が分かる。魔力を解除し、干渉の受けなくなった湖は段々と元の姿に戻っていく。今まで気にする余裕がなかったのだが、あちこちからミラの魔力の反応が感じられる。どうしてミラの魔力が散らばっているのだろうか?暴走している最中の記憶は薄っすらとは残っている。だが、その中の記憶では既に周りは今と同じ状態だった。考えてもよくわからないので、一旦切り上げる。
溶かし終えたミラは自分の身体の匂いを嗅いで確かめる。臭うことはなかったが、念のため湖に入って身体を清めることにした。
衣服を消してペンダントはつけたまま湖に入る。
(このペンダントから何か癒しのようなものを感じる。このペンダントがまだ何かわからないけど、唯一残ったお母様から貰った大切な首飾り…)
身を沈めたミラは、首から下がっているペンダントを優しく抱き込むようにして握る。
湖から上がりしばらく歩くミラの目の前に雪狼の集団が現れる。
(あの目は!)
やってくる魔物の存在に気づいたミラは背を向けて走りだした。
(重い…このままじゃ追いつかれる…)
必死に走るミラの足は初めて見る魔物の姿に竦んだのか非常に重く感じる。無我夢中で走るミラだったが、ついてくる足音はあっても何故か一向に襲ってくる気配がない。そのことを不審に思ったミラは足を止めて後ろを振り返る。
すると、ミラの行動に合わせて雪狼たちの動きも止まった。ミラの足が止まったにも関わらず、やはり襲う気配がない。それどころか腰を床に降ろしてリラックスすらしている。
(どういうこと?)
雪狼達にまるで敵意と言うものを感じず、ミラのことを母親を見るような目で見つめてくる雪狼たちに対してますます訳が分からなくなった。
とりあえず襲われなさそうなので試しに近付いて毛皮を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。すると、それをうらやましそうに見つめていた他の雪狼たちが次々とミラの周りに集まってくる。
段々と楽しくなってきたミラは雪狼達を一通り撫でてやることにした。
「…暖かい」
雪狼たちの毛皮は冷たくひんやりとしているはずなのに、ミラには温かいと感じられた。
(眠ってた…)
いつの間にか眠っていたらしいミラは、周りで横になっている雪狼達に心の中で別れを言ってその場を離れた。
ようやく見飽きた風景を抜けると、視界には燦々と辺りを照らしている日の光と緑の風景が広がっていた。先ほどいた場所では太陽はあったが、目の前に広がる緑は存在していなかった。その中にはちらほらと色合いの違う花々が見える。
視線を下に向けてみると、ミラの足元には白いいくつもの小さな花弁が上に向かって伸びている花を見つけた。小さい頃、屋敷で読んだ本の中にこれと同じ絵柄のものがあったのを思い出した。名前は確か――
「シロツメクサ」
シロツメクサを眺めていたミラは、あることを思いつき微笑を浮かべた。その場でしゃがみ込み、人差し指をチョンっと出してシロツメクサに触れる。すると、触れたところから徐々に凍り付いていく。
完全に凍ったところで、指ではじくと呆気なく粉々に砕け散る。
「決めた…今から私の名前は“シロ”」
氷の破片がパラパラと地面に落下していく様子を見ながらぽつりと呟いた。
既に一度死んでいるシロは、ミラハイト・フィナマールと言う名前を今日で捨てることにした。新しく“シロ”と言う名前に変えて。
名前を変更したのはちゃんとした理由がある。
国からして見れば、殺したはずの人間が実は生きていると都合が悪いはず。
それに、フィナマールなどの性は貴族しか持つことが許されていない。平民には姓がなく名前だけだ。その中で、名前を変えずにそのままいると見つかる危険性が高まる。それなら一層のこと名前を変えるほうが良い。
「…魔力が上手く練れない」
地面に散らばる氷の破片を見ながらそう思った。
シロの中に大きな魔力の塊があるのは感じているが、少量しか流れてこない。
意識して使おうとしても殆ど使うことが出来なくて、先ほどのように花を徐々にしか凍らせることが出来なかった。
シロは掌の上に拳程の小さな氷を作り出して形を変えたり動かしたりしてみる。
地面から直接氷を生やすことや触れた箇所から一瞬で凍らせるような大きなことは今はできないが、この程度の規模なら問題なく使えそうだ。それに、作り出した小さな氷同士をくっつけて予め大きくしておけば、いざというときに使えるかもしれない。
屋敷からほとんど出る機会がなかったため周辺の地理はわからないけれど、とりあえず人の住んでいる街を探したい。そう思ったシロは再び緑の広がる景色の中を歩き始めた。
普段目にしない風景を見て最初は楽しんでいたのだが、歩き始めて数時間が経ち、同じ景色を何時間も見れば流石に飽きが来てしまう。
夜が来て、眠くはないのだが一応眠っておくことにした。川辺の水を利用して凍らせて寝床を作る。外敵から身を守るために空気穴を残して隙間を無くし、分厚めに壁を作った。
重い瞼を開けると、既に日が落ちかかっていた。何時間寝ていたのだろうか。外の様子を視るに十時間以上は寝ていたと思う。
ゆっくりと起き上がりシロは、寝ぼけた頭のまま氷の壁を元に戻した。すると、水を凍らせて出来た壁が液状に戻り、水が重力に引かれてシロの頭に降り注いだ。
「……つめた」
突然の冷水を頭から被ったおかげで、眠気は一気に吹き飛んだ。
眠気は消えたのはいいけど、朝から災難に見舞われて気分がよろしくない。寝起きの悪い自業自得なせいなのだが、濡れたままなのはどうも落ち着かない。
かといって濡れた髪を乾かす手段がないので、しょうがなく濡れたままの状態で歩き始めた。
時々吹きつける暖かな風によってようやく乾いてきた時、複数の蹄の音が森林の中から聞こえてきた。
いくつもの馬に乗った人影が飛び出し、とあっと言う間にシロの周りを取り囲んだ。遅れて荷台を引く馬に乗った男も現れ、離れた場所で停止する。
正面にいる顔を隠している男がじろりとシロの顔をねめまわす。
「へっへっへ。こんなガキ一人に大した値段はつかねえなと思ったが、中々上物じゃねえの」
品定めするかのように眺める男の視線に、恐怖をよりも気持ち悪さや苛立ちなどの嫌悪感が勝った。
目の前にいる男たちの言動や格好からどう見ても盗賊や人攫いの類だろう。
「さっき道で拾った少女といい、今日はついてるぜ」
「なぁ、ちょっとくらい味見してもいいか?」
「馬鹿野郎、傷物にするつもりか?こっちはだめだ。やるならあっちの拾ったほうにしろ」
「ちぇっ、わーったよ」
男たちの会話を聞いて俯くシロの口元に、ヒンヤリとした笑みが浮かぶ心の奥底からドロリとしたものが滲み出てくる。だが、前とは違って暴走はない。この程度なら制御は出来る。それに――
――こういった人間達は殺してもかまわないよね?
魔力の流れが勢いを増したのを感じ、その魔力を冷気に変換させる。シロの身体から少しずつ冷気が発せられ、辺りに流れ出ていく。
「さっさとこいつを荷台につめてずらかるぞ…あ?」
「ふふふっ…」
「何で笑ってやがるんだこいつ。この状況でおかしくなっちまったか?まあいい、連れていくか」
視線を下げてクスクスと笑い出したシロに一瞬眉を顰めるも、気を取り直して近づいて来る。
シロの腕を掴んで引っ張った瞬間、男は違和感に気づいた。
妙に右腕が軽くて先が冷たいなと感じて後ろを振り返ると、片目を紅く染めた少女と、地に落ちる凍った腕があった。
「あ?」
左腕と比較して右腕が短いことに気づいた男が間抜けな声を漏らした。
一歩遅れて、その腕が自分のものだと気づいた男の瞳の色が恐怖に染まり、絶叫を上げる。
「ひっ、ぎゃああああああ!う、腕が!俺の腕がああああ!た、助けてくれ!は、早くこいつ殺せえええ!」
少女の腕を握った男の腕が凍り付いて地に落ちる瞬間を呆然と見ていた仲間達だったが、男の叫び声を聞いて我に返る。
一斉に剣や短剣などを引き抜いて少女を殺しにかかる。
もう少しで少女に刃が届くといったところで、不意に冷気を感じ、その場にピタリと静止した。
ジワリと流れ出るものを感じた男は視線を下に向ける。見れば、男のお腹を巨大な氷柱が貫通していた。他の仲間たちも同じように体を氷に貫かれていた。
その中心で佇む少女を見て、とんだ藪蛇をつついてしまったと後悔しながら男の意識は途切れた。
流れる魔力の量が増えているのを感じたシロは、とびかかってくる男たちに向かって魔力を地面に流し氷の針を作り出した。
勢いを殺しきれなかった男たちは皆、生えてきた氷が身体を突き刺さる。腕が千切れてその場で尻もちをついて悲鳴を上げていた男も背中から貫かれて血を流している。男達は死んではいないようだが、複数の氷柱に身体を貫かれて血を流しているので、放っておいてもそのうち死ぬはずだ。
「助けてくれぇ」と耳に届く声を無視しながら、残った一人に視線を向ける。
「残りはあなただけね」
「く、来るな化け物!」
残った馬車を操作していた男に近付いていく。
シロが近づいて来るのがわかり、逃げ出そうとする男の足元を固めて動けなくする。
「ねえ、ちょっと聞きたいんだけどい「な、なんでもする!だから殺さないでくれ!」」
「ふ~ん、何でもと言った?ならシロの質問に答えてくれない?ここから一番近い街に行きたいんだけど、どっちへ行けばいいのか教えてくれない?ちゃんと教えてくれたら生かしてあげる」
「ほ、ほんとうだな?本当に殺さないのか?」
「五月蠅い、さっさと答えて。じゃないと殺す」
「ひっ」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ男の下半身を凍らせて黙らせる。周りを凍らせただけなので男は無事だ。ぶるぶると寒さによって震え、紫に変色していく唇を開く。
「こ、ここから一番近い街は、北西にあるフレアダート王国のシャングリラだ。こ、これでいいだろう?喋ったんだから早く俺を解放してくれ!」
この男が嘘をついている可能性も高いが、この状況で嘘を付くことはほとんどないだろう。
このまま用済みとなった男を殺すことも考えたが、氷を溶かして解放する。
自由になった途端、男は慌てて無事な馬を捕まえて森の中へと逃げていった。
「……はぁ」
男が完全に見えなくなったところで、息を吐いて深呼吸をし、昂ぶった感情が収える。ドロリとした感情が奥へ引っ込んだことで、魔力の流れも元に戻る。
(昂ぶる前に抑えないと…)
制御することは出来たが、やはり意識が持っていかれそうになる。
男から街の場所を聞き出してここにはもうここにいる必要もないので、歩き出そうとしたのだが、横の荷台から何か物音がする。
そういえば、先ほど男が口にした言葉の中に、道で少女を拾ったと言っていたのを思い出す。
少しだけ気になったシロは荷台の天幕を開いて覗いてみると、中にいたのは、暗がりでよく見えないけど口と手足をぐるぐるにされて倒れている少女だった。
「んー、んー!」
少女は、シロの姿を見た途端に騒ぎ始める。よく見ると、少女の側には何か小さく蠢くものを存在している。
暗闇に蠢くものを警戒しながら、姿を確認するために天幕に触れて凍らせる。
天幕はシロが触れたところから徐々に凍っていき、数秒で全て凍り付く。
凍りついた天幕を握ると、そこから一気にパラパラと崩れていく。
日の光が差し込み、ようやく蠢くものの姿を確認することが出来た。
その正体は、少女の臀部から生えていたフサフサの尻尾だった。そこだけではなく、フサフサな二つの耳が頭の横からではなく上から生えていた。
(魔物!?…じゃない?)
人ではない容姿に一瞬、魔物という考えが頭を過るが少女の瞳は綺麗な浅葱色だった。魔物の目が赤いのが特徴だということはシロも知っている。
臀部から生えている尻尾や髪の色は黄よりもにぶい明るい橙色で、蘇比色のような感じだ。
獣の容姿を持つ人間など見たことがない。唯一、妖精種と呼ばれる人間じゃない種族が存在しているのは知っているが、目の前の少女は当てはまらない。
「ちょっと大人しくしてて」
「う゛~!」
言葉の意味が通じたのか、暴れることはなくなったが、シロから目を離さずに鼻息を荒くしてうなり声を上げて警戒している。
シロは獣少女のことを無視して、まずは口を縛っているロープに触れる。
肌に冷気を感じた獣少女が、冷たかったのか身体をビクッっとさせる。
全部凍り付いたところで壊して口を解放する。手足のロープも同様にして凍らせてから壊した。自由になった途端、獣少女は人間離れした跳躍を見せてシロから距離を取った。
クルリと綺麗な着地で地に降り立った獣少女は、警戒心を剥き出しにして威嚇をする。そんな獣少女に対して、両手を上に挙げて何もしないという行為を示す。
少女のような外見をしているが、身体能力が先ほど目にしたように尋常じゃないくらい高いようだ。もし、襲い掛かられたりしたら魔力が制限されている今のシロじゃすぐに殺されてしまいそうだ。とは言ったものの、死ぬ心配は全くしていない。何故なら、目の前の獣少女からは全く殺気が感じられないから。 生き返ってからは、人の害意や殺気に敏感に反応することができるようになった。目の前の少女からはそれを感じないので、初めて見るシロを警戒しているだけだ。
「……敵?あの人間たちは?」
「敵でも味方でもない。縛られてたから助けただけ。あの連中は私が殺した」
「…ありがとう」
シロを攫おうとして襲ってきたあの連中は一人を除いて皆殺しになっている。獣少女の質問が終わったようなので、今度はシロの方から質問を投げかけてみる。
「お前の名前は」
「…?名前、わからない」
「わからない?それじゃあ、あなたはどこから来たの?」
「どこから……わからない……気づいたら、ここ…に、ぃた」
「え、ちょっ…」
突然ふらふらとし出したと思ったら、気を失ってその場に倒れてしまった。突然倒れた獣少女を前に、シロは毒気を抜かれた気分になった。
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