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24日目⑧
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アイリーンさんに玄関まで見送られて、私は集合住宅の階段を降りる。そして、外に出れば、レオナードが居た。
てっきり馬車の中で待っていると思いきや、彼は馬車の外で待っていた。公爵家のお坊ちゃまとしたら、これは如何なものかと思うけれど、彼らしいと言えば彼らしい。
レオナードは馬車の扉に背を預け、腕を組んでじっと俯いている。けれ、トントンと、つま先で地面を叩いているその姿は、苛ついているようにも、不安そうにも見えた。
そんな彼に私はなんと言葉をかければ良いのだろう。…………いや、答えはわかっている。お待たせと言って、いつも通りに接すれば良いだけだ。
でも、どう頑張っても今の私にはそれができそうにない。っていうか、いつも通りという態度がどうだったかも思い出せない。とはいえ、どんな態度でいれば良いのかもわからない。
そんなことをぐるぐると考えていれば、胸に抱えている本を掴む手に力が籠る。そして、本がミシッっというか、ぎしっという悲鳴を上げた途端、レオナードが私に気付いた。
「ミリア嬢、遅かったから心配した」
「………………」
弾かれたようにこちらに向かってきたレオナードだったけれど、私が無言でいれば、眉を下げながら申し訳なさそうに口を開いた。
「もしかして怒っているのか?いや、多分、絶対に間違いなくそうなのだろう。………あ、ああ、わかっている。私が取った行動は、君の怒りを買うことだった。約束通り私は、君の怒りを甘んじて受け止めるつもりだ。ただ一つ言わせて欲しいことが───」
「レオナード」
名を呼ぶことで、言葉を遮った私に、レオナードはすっと表情を消した。
そんな絵に描いたような無表情になった彼に向かって、私は、ぽつりとこう言った。
「馬車に戻りましょう」
「………………ああ、そうだな」
レオナードがそう言って頷く前に、私は馬車に向かって、てくてくと歩き出す。
でも、先頭切って歩いていたけれど、あっという間に追いつかれ、馬車の扉は彼の手で開けられた。
私達が乗り込んだ途端、馬車は静かに走り出した。そして、住宅街を抜けロフィ家なのか、私の家なのかわからないけれど、貴族の邸宅がある方向へと向かう………と思ったけれど、その途中で不意に停まった。
「何があったか、話してくれないか?」
向かいの席に腰かけているレオナードは馬車が停まったのを待ち構えていたかのようにそう言った。
そしてその言葉で、どうやら事前に彼がそう御者に指示を出していたのだろうと予測する。それはきっと、私とアイリーンさんの会話の内容を知りたいから。
「………別に、特に話すことはないわ」
気持ちの整理ができていない私は、つっけんどんな口調になってしまう。そんな私の複雑な気持ちなど知らないレオナードは、眉間に皺を寄せながら再び口を開いた。
「………ミリア嬢、今、自分がどんな顔をしているのかわかっているのか?」
「………いつも通り、よ」
「そんなわけないだろう」
あっさりと私の言葉を否定したレオナードは、呆れたようにため息を付いた。
そしてもう一度、何があったのか?と、同じ問いを繰り返す。…………そう、そうだよね。レオナードにとったら、アイリーンさんのことは何でも知りたいはず。なら、伝えられることを選んで、彼に伝えよう。
「アイリーンさんからお見舞いのお礼と言って、本を貰ったわ。素敵な人だった。綺麗な人だったわ。私の為に淹れてくれたお茶は、とても美味しかった。それと────」
「そんなことは聞いてないっ」
急に厳しい口調で私の言葉を遮ったレオナードに、驚きよりも怒りの方が先行する。
知りたいことを言えない私の気持ちなんて、レオナードは、わかってくれない。もちろん私だって知って欲しくない。でも伝えたいから、精一杯、こうして伝えようとしているのに。
そう思ったら、私は抱えていた感情が爆発してしまった。
「じゃあ、なにが聞きたいのよっ。遠回しな言い方は、うんざりよっ。ちゃんと言って、レオナード」
胸倉を掴む勢いでそう叫べば、レオナードは怯むどころか、すっと目を細める。そして、一旦立ち上がると、私の前に跪き、低い声でこう言った。
「なら、はっきり言おう。…………ミリア嬢、何で君は泣いているんだ?」
「え?」
レオナードの言っている意味がわからない。彼はもしかして、こんな状態なのに、夢でも見ているのだろうか。ヤバイ、ただちに確認しなくては。そして時と場合によったら、直ちに叩き起こさなくては。
「ねえレオナード。…………私、泣いているの?」
「ああ、泣いている」
そう言って、レオナードは手を伸ばして私の頬に触れた。そして、親指の腹でそっと撫でる。すぐに手を離したレオナードの指先は濡れていて、確かに自分が泣いていたことを知る。
ヤバいのは私の方だった。…………どうしよう。私の涙腺、おかしくなっちゃった。
レオナードの指先を見つめ、オロオロとする私に、彼は再び問うてきた。
「もう一度聞く。ミリア嬢、何があったんだ?話してくれ」
「うるさいっ、うるさいっ。馬鹿!!」
最後の罵りはさすがにレオナードも、むっとした表情をした。でも、私は謝らない。ただ、ありのままの感情を吐露することができない私は、ぎゅっと彼の上着を握りしめて、小さな嘘を付いた。
「あれよ、アレ。シェ、シェフティエのスウィーツが食べれなくって、悔しくて悲しいだけよっ」
「…………そうか。それは悪かった」
そう言って神妙な顔になったレオナードは素直に謝罪の言葉を紡ぐ。けれど、すぐに堪らないといった感じで私をその胸に掻き抱いた。
「つまらないことを言わせてしまってすまなかった。…………わかっている。君は、私の代わりに泣いてくれていることを。………ありがとう、ミリア嬢」
くぐもったレオナードの声が暗闇の中で響く。その声音はどこまでも優しく、そして切ないものだった。
レオナードは馬鹿だ。なんで自分の感情を後回しにして、私を気遣うのだろう。私の涙は、この人の言う通り、実ることがなかった彼の恋に向けてのものだけれど、それは私が勝手に泣いているだけなのに。
ぶっちゃけ私は、レオナードがこの短期間で駆け落ちできるなんて思っていなかった。
でも、時間をかければきっと、レオナードの恋は実るものだと思っていた。誤解を生みやすい彼の性格をわかってくれれば、絶対に想いは届くと信じていた。…………今日、アイリーンさんに会うまでは。
でも、私は何も言わない。だって、息もできない程強く抱きしめられて苦しくて、とてもじゃないけれど、どいてと言葉を発することも、離れてともがくこともできなかったから。
………というのは嘘。
ただ、泣き顔を見られたくなかっただけ。それと、言葉にできないこの気持ちを涙と一緒に流したかったから。
残り数日。レオナードと笑顔で過ごすために。
てっきり馬車の中で待っていると思いきや、彼は馬車の外で待っていた。公爵家のお坊ちゃまとしたら、これは如何なものかと思うけれど、彼らしいと言えば彼らしい。
レオナードは馬車の扉に背を預け、腕を組んでじっと俯いている。けれ、トントンと、つま先で地面を叩いているその姿は、苛ついているようにも、不安そうにも見えた。
そんな彼に私はなんと言葉をかければ良いのだろう。…………いや、答えはわかっている。お待たせと言って、いつも通りに接すれば良いだけだ。
でも、どう頑張っても今の私にはそれができそうにない。っていうか、いつも通りという態度がどうだったかも思い出せない。とはいえ、どんな態度でいれば良いのかもわからない。
そんなことをぐるぐると考えていれば、胸に抱えている本を掴む手に力が籠る。そして、本がミシッっというか、ぎしっという悲鳴を上げた途端、レオナードが私に気付いた。
「ミリア嬢、遅かったから心配した」
「………………」
弾かれたようにこちらに向かってきたレオナードだったけれど、私が無言でいれば、眉を下げながら申し訳なさそうに口を開いた。
「もしかして怒っているのか?いや、多分、絶対に間違いなくそうなのだろう。………あ、ああ、わかっている。私が取った行動は、君の怒りを買うことだった。約束通り私は、君の怒りを甘んじて受け止めるつもりだ。ただ一つ言わせて欲しいことが───」
「レオナード」
名を呼ぶことで、言葉を遮った私に、レオナードはすっと表情を消した。
そんな絵に描いたような無表情になった彼に向かって、私は、ぽつりとこう言った。
「馬車に戻りましょう」
「………………ああ、そうだな」
レオナードがそう言って頷く前に、私は馬車に向かって、てくてくと歩き出す。
でも、先頭切って歩いていたけれど、あっという間に追いつかれ、馬車の扉は彼の手で開けられた。
私達が乗り込んだ途端、馬車は静かに走り出した。そして、住宅街を抜けロフィ家なのか、私の家なのかわからないけれど、貴族の邸宅がある方向へと向かう………と思ったけれど、その途中で不意に停まった。
「何があったか、話してくれないか?」
向かいの席に腰かけているレオナードは馬車が停まったのを待ち構えていたかのようにそう言った。
そしてその言葉で、どうやら事前に彼がそう御者に指示を出していたのだろうと予測する。それはきっと、私とアイリーンさんの会話の内容を知りたいから。
「………別に、特に話すことはないわ」
気持ちの整理ができていない私は、つっけんどんな口調になってしまう。そんな私の複雑な気持ちなど知らないレオナードは、眉間に皺を寄せながら再び口を開いた。
「………ミリア嬢、今、自分がどんな顔をしているのかわかっているのか?」
「………いつも通り、よ」
「そんなわけないだろう」
あっさりと私の言葉を否定したレオナードは、呆れたようにため息を付いた。
そしてもう一度、何があったのか?と、同じ問いを繰り返す。…………そう、そうだよね。レオナードにとったら、アイリーンさんのことは何でも知りたいはず。なら、伝えられることを選んで、彼に伝えよう。
「アイリーンさんからお見舞いのお礼と言って、本を貰ったわ。素敵な人だった。綺麗な人だったわ。私の為に淹れてくれたお茶は、とても美味しかった。それと────」
「そんなことは聞いてないっ」
急に厳しい口調で私の言葉を遮ったレオナードに、驚きよりも怒りの方が先行する。
知りたいことを言えない私の気持ちなんて、レオナードは、わかってくれない。もちろん私だって知って欲しくない。でも伝えたいから、精一杯、こうして伝えようとしているのに。
そう思ったら、私は抱えていた感情が爆発してしまった。
「じゃあ、なにが聞きたいのよっ。遠回しな言い方は、うんざりよっ。ちゃんと言って、レオナード」
胸倉を掴む勢いでそう叫べば、レオナードは怯むどころか、すっと目を細める。そして、一旦立ち上がると、私の前に跪き、低い声でこう言った。
「なら、はっきり言おう。…………ミリア嬢、何で君は泣いているんだ?」
「え?」
レオナードの言っている意味がわからない。彼はもしかして、こんな状態なのに、夢でも見ているのだろうか。ヤバイ、ただちに確認しなくては。そして時と場合によったら、直ちに叩き起こさなくては。
「ねえレオナード。…………私、泣いているの?」
「ああ、泣いている」
そう言って、レオナードは手を伸ばして私の頬に触れた。そして、親指の腹でそっと撫でる。すぐに手を離したレオナードの指先は濡れていて、確かに自分が泣いていたことを知る。
ヤバいのは私の方だった。…………どうしよう。私の涙腺、おかしくなっちゃった。
レオナードの指先を見つめ、オロオロとする私に、彼は再び問うてきた。
「もう一度聞く。ミリア嬢、何があったんだ?話してくれ」
「うるさいっ、うるさいっ。馬鹿!!」
最後の罵りはさすがにレオナードも、むっとした表情をした。でも、私は謝らない。ただ、ありのままの感情を吐露することができない私は、ぎゅっと彼の上着を握りしめて、小さな嘘を付いた。
「あれよ、アレ。シェ、シェフティエのスウィーツが食べれなくって、悔しくて悲しいだけよっ」
「…………そうか。それは悪かった」
そう言って神妙な顔になったレオナードは素直に謝罪の言葉を紡ぐ。けれど、すぐに堪らないといった感じで私をその胸に掻き抱いた。
「つまらないことを言わせてしまってすまなかった。…………わかっている。君は、私の代わりに泣いてくれていることを。………ありがとう、ミリア嬢」
くぐもったレオナードの声が暗闇の中で響く。その声音はどこまでも優しく、そして切ないものだった。
レオナードは馬鹿だ。なんで自分の感情を後回しにして、私を気遣うのだろう。私の涙は、この人の言う通り、実ることがなかった彼の恋に向けてのものだけれど、それは私が勝手に泣いているだけなのに。
ぶっちゃけ私は、レオナードがこの短期間で駆け落ちできるなんて思っていなかった。
でも、時間をかければきっと、レオナードの恋は実るものだと思っていた。誤解を生みやすい彼の性格をわかってくれれば、絶対に想いは届くと信じていた。…………今日、アイリーンさんに会うまでは。
でも、私は何も言わない。だって、息もできない程強く抱きしめられて苦しくて、とてもじゃないけれど、どいてと言葉を発することも、離れてともがくこともできなかったから。
………というのは嘘。
ただ、泣き顔を見られたくなかっただけ。それと、言葉にできないこの気持ちを涙と一緒に流したかったから。
残り数日。レオナードと笑顔で過ごすために。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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