これは未来に続く婚約破棄

茂栖 もす

文字の大きさ
上 下
100 / 114

24日目⑦

しおりを挟む
 レオナードに向けて悪態を付いていた私だったけれど、いつのまにかヒートアップして気付けば彼に渾身の力で、廻し蹴りをお見舞いしていた。そして『この愚か者っ。今すぐ生まれ直して来いっ』と罵倒していた。

 ………もちろんそれは全て脳内でのこと。ただその思考は留まることを知らず、今度は私自らレオナードを生まれ直すべく鉄槌を下そうとした。けれど、それは再び着席したアイリーンさんの声で未遂に終わった。
 
「────急に席を外して失礼しました。………あの、えっと………ミリアさま、お話してもよろしいでしょうか?」
「…………え?あ?は、はいっ」
 
 恐る恐るというよりも、怖々といった感じのアイリーンさんの声で、自分が鬼の形相になっていたことを知る。

 慌てて取って付けたような笑みを浮かべて、アイリーンさんに、どうぞどうぞと話の続きを促せば、彼女は手にしていた本を2冊、私に差し出した。

「あの?………これは………」

 条件反射で受け取ってしまったけれど、これまでの話から、本を差し出されるという流れは予測できなかったので思わず首を傾げてしまう。

 そしてこれをどうして良いのかわからず、中途半端に持ち上げたままの私の手を、アイリーンさんはそっと押した。

「受け取ってください。多分役に立つと思います」
「…………はぁ」

 何の?そんな疑問を抱えながら、曖昧な返事をして受け取った本の表紙を見る。そのタイトルは、どうやら旅行記のようだった。残りの一つは何だろう。けれど、それを確認する前にアイリーンさんが教えてくれた。

「あなたが渡航しようとしている国の旅行記と、辞書ですよ」
「………………っ」

 驚きのあまり息を呑む。

 そして、様々な感情が浮かび上がったけれど、大混乱を起こした私は、何一つ言葉にできず、ぱくぱくと餌を求めるフナのように口を動かすことしかできない。そんな私に、アイリーンさんはふわりと笑った。

「実はね、家庭教師を引退したら、ここに行こうと思っていたんです。でも結局、実行には移せませんでしたけれど。知識だけしかありませんが、あなたが行こうと思っているその国は、とても素敵なところですよ。………少し古いものですが、言語なんてそう大幅に変わるものじゃないから、きっとこの辞書は役に立つと思います。それと旅行記は、あの国の文化や風習が書かれているものですから、良かったら参考にして下さい」

 流れるようなアイリーンさんの言葉は、全て私にとって驚くことばかりだ。

 そしてまた気付いてしまう。アイリーンさんは私とレオナードの関係を知っているし、私達の目論見すらも知っているのだ………多分。なのに、それを咎めることも、叱ることもせず、ただ私の未来を応援してくれている。沢山の人を騙して、自分勝手なことをしようとしているのに。

 ああ、全てにおいて、この人は規格外の大人だ。そんな雲の上の人に向かって、私はこんなありきたりな言葉しか出てこない。

「……………あの、あ、ありがとうございます」
「いいえ、お礼なんていらないです、ミリアさま。これは、お見舞いのお礼なんですから」 
「え?」

 茶目っ気のある口調に、いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げる。そうすれば、にっこりと少女のように笑うアイリーンさんと目が合った。

「今日、私があなたをお招きしたのは、これを渡したかったからなんです。……………まぁ、何だかんだと本題に入るのが遅くなってしまいましたが。改めて、お見舞いの品、とても嬉しかったです。ありがとうございました。…………ふふっ。バスケットに入ったプレゼントなんて何年ぶりかしら?ピンク色のリボンも可愛かったし、シロップもとっても美味しかったわ。それに、素敵なリネンもありがとう」
「いえ、そんな…………」

 勿体ない言葉に、慌てて首を横に振る。

 それに、この言葉を受け取るのは、私ではなく、レオナードのはずなのに。そんな気持ちも込めて、更に強く首を横に振れば、アイリーンさんはその全てを打ち消すように、ゆっくりと首を横に振った。 

「本当に、嬉しかったわ。風邪なんて、厄介なものでしかないと思っていたけれど、こんな素敵な贈り物を貰えるなら、たまには悪くないものですね。………本当は、ここにあるものは、ほとんど処分して故郷に戻ろうと思っていたんです。でも、あなたからの贈り物は、故郷に持って帰ります」
「………………」

 ほとんどを処分して故郷に帰る。

 そう紡いだアイリーンさんのその言葉の中には、きっとレオナードとの思い出も処分すると伝えたかったのだろう。

 その言葉を聞いて、アイリーンさんがきれいさっぱり、これっぽちもレオナードに未練がないことを悟ってしまった。

 …………もう少しだけ、待っててあげて下さい。あの人に猶予を与えてください。

 そんな言葉が喉までせり上がった。でも、それを口にしてはいけないことを私はわかっている。

 だから私は、きゅっと、本を胸に抱きしめて、沢山の言葉を飲み込んだ。そして、私が口にできる唯一の言葉、ありがとうだけを、もう一度口にして、アイリーンさんに深く頭を下げた。




 その後は、この長い話を締めくくるように、アイリーンさんは。お茶のお代わりを淹れますねと言って静かに席を立った。

 一人になった私は、無性に泣きたいような、叫びだしたくなるような衝動にかられ、気持ちを散らそうと貰ったばかりの辞書を手に取った。そして、パラパラとページをめくる。何気なく手を止めた先に飛び込んだ文字はとても皮肉なものだった。

 物事を明らかにして、真実を見極める。これは諦めるの語源………らしい。

 もし仮にこの辞書の書いてある通りだとすれば、レオナードは、この一か月、自分の恋の終止符を打つために悪戦苦闘していたということになる。

 そして私は彼の恋を終わらす手伝いをずっとしていたことになる。

 最悪だ…………。私もレオナードも何一つこんなことを望んでいなかったのに。真実はいつだって正しいけれど、優しくはない。
しおりを挟む
初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
感想 44

あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

悪役令嬢のビフォーアフター

すけさん
恋愛
婚約者に断罪され修道院に行く途中に山賊に襲われた悪役令嬢だが、何故か死ぬことはなく、気がつくと断罪から3年前の自分に逆行していた。 腹黒ヒロインと戦う逆行の転生悪役令嬢カナ! とりあえずダイエットしなきゃ! そんな中、 あれ?婚約者も何か昔と態度が違う気がするんだけど・・・ そんな私に新たに出会いが!! 婚約者さん何気に嫉妬してない?

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

側近女性は迷わない

中田カナ
恋愛
第二王子殿下の側近の中でただ1人の女性である私は、思いがけず自分の陰口を耳にしてしまった。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

【完結】消された第二王女は隣国の王妃に熱望される

風子
恋愛
ブルボマーナ国の第二王女アリアンは絶世の美女だった。 しかし側妃の娘だと嫌われて、正妃とその娘の第一王女から虐げられていた。 そんな時、隣国から王太子がやって来た。 王太子ヴィルドルフは、アリアンの美しさに一目惚れをしてしまう。 すぐに婚約を結び、結婚の準備を進める為に帰国したヴィルドルフに、突然の婚約解消の連絡が入る。 アリアンが王宮を追放され、修道院に送られたと知らされた。 そして、新しい婚約者に第一王女のローズが決まったと聞かされるのである。 アリアンを諦めきれないヴィルドルフは、お忍びでアリアンを探しにブルボマーナに乗り込んだ。 そしてある夜、2人は運命の再会を果たすのである。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

処理中です...