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24日目⑤
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無地のカップを持ち上げて、お茶を一口飲んだアイリーンさんは、静かに自分の半生を語りだした。
それは壮絶というか、デンジャラスというか、まぁ…………波乱万丈という言葉がぴったりの内容だった。
かいつまんで説明すると、アイリーンさんの故郷は、ここよりもっと北に位置するそこそこ大きな街。そして冬になると、辺り一面が銀世界になるらしい。
そこでアイリーンさんは、裕福な商家の長女として生まれ育ち、そして年頃になると親が決めた男と婚約をした。父親が婚約を決めたのは、その男の遠縁に貴族がいたからだ。
けれど、その男は最低最悪のゴミのような人間だったようだ。
閉鎖的な土地柄のせいか、男尊女卑は当たり前。亭主関白上等。そしてアイリーンさんの実家のお金で散財しまくり、挙句の果てには、婚約中でもガンガン浮気を繰り返し、結婚後には愛人を迎えると豪語する男だった。
正直、私はその話を聞いた時に、そんな頭の線がねじ切れた男が存在するのか確認してしまった。しかも、2回も。アイリーンさんは嫌な顔はしなかったけれど、『本当にいるんです』と言った時の顔は、迫力満点で彼女が語ることは嘘偽りないと、しっかり理解することができた。
そんな最低男と婚約したアイリーンさんは、貴族令嬢ではないけれど裕福な家庭で育ったため、淑女の教育を受けていた。そしてその教えを素直に守り、必死に耐えた。そう、涙を流しながら歯を食いしばりながら必死に耐えた。耐えて、耐えて、耐え忍んで───そして、キレた。
この辺りの説明はだいぶ端折られてしまったけれど、婚約者をぶん殴り、髪を掴んで引きずり回し、今まで受けた屈辱を鉄拳制裁という形で少々返済して、家を飛び出したそうだ。
家出といっても、あれ程のことをしたのだから勘当のようなもの。頼る人なといないアイリーンさんは、最初は修道院に入るつもりだったらしい。でも、父親が勝手に決めた縁談で、かつ、最低な婚約者に振り回された挙句に自分の人生を神に祈ることだけに捧げるなんて、冗談じゃない。そう、思ったそうだ。
そしてアイリーンさんは、気合いだけでこの街に来た。貴族がひしめき合う王都で、自分のこれまで培った知識を生かして、働き始めたのだ。
最初は小間物屋の売り子。それから帳簿を任されるようになって、近所の子供に読み書きを教えるようになり、それが評判となって、ロフィ家の家庭教師となったそうだ。
…………そこで私はふと思った。ロフィ家、公爵家のわりに、雇用基準が随分と柔軟性に富んでいるな、と。
でも、その疑問は口にすべきではないことはわかっているので、不意に浮かんだそれは、闇に葬ることにした。
さて、話を元に戻すけれど、それからアイリーンさんは、優秀な家庭教師として、ご子息二人を時には優しく、時には厳しく教育し、次男坊が寄宿学校に入学したのを期に引退して、ここで隠居生活を始めたそうだ。
そんな風にさっくりと話してくれたアイリーンさんの半生の中で、レオナードはほとんど出てこなかった。きっとレオナードが自分の半生を語ったら、そのほとんどがアイリーンさんのことなのに。
それを不公平と思ってはいけない。交わった人に対して、どこに重きを置くかは、人それぞれなのだから。
そんなことをぼんやりと考えながら、じっとアイリーンさんの話に耳を傾ける。そしてこの話もそろそろ終わりを迎えようとしていた。
「実はね、両親からは何度も手紙が届いていたんです。何も心配しなくて良い。戻ってこい、と。でも、なかなか決心がつかなくて…………。生まれ育った故郷より、この街で過ごした期間の方が長いせいで、ずるずると居座ってしまいました。でも、そろそろ帰るべき時が来たようです。ふふっ、それに年寄りには、この街は少し騒がしすぎますからね」
最後は、おどけた口調でそんなことを言うアイリーンさんだったけれど、ふぅっと小さく息を付いて、お茶を口に含んだ。溜息は付いたけれど、背筋は凛と伸びたままで。
その姿は誰がどう見たって、老いている様子はない。わざとそう言っているのだ。きっとアイリーンさんが故郷に戻る決心をしたのは、この街が騒がしいからでもなく、彼女の年齢のせいでもない。
レオナードと距離を取るためなのだ。自分に求婚してくれた教え子の未来のために、そっと自分の存在を消そうと思ったのだろう。
アイリーンさんの決断は、潔いと称されることなのかもしれない。でも私は、やっぱり、どうして?と思ってしまう。
どうしてレオナードじゃ、駄目なんだろう。彼はとても素敵な人だ。二人の間には諸々と障害があるかもしれない。でも、彼ならきっと、いや、絶対に何とかする。
だってレオナードは、アイリーンさんと結ばれる為なら、自分の身分を捨てても良いとすら言っていた。私の家のようなインチキ爵位なんかじゃない、失ったら二度と手に入れることができないものなのに。まったく執着などないといった感じで、さらりと言ってのけたのを、私はちゃんと覚えている。
「…………お茶、冷めてしまうわ。さ、飲んでください」
無言で俯く私を気遣うアイリーンさんの声音は、とても柔らかい。
その声が私なんかじゃなく、どうしてレオナードに向いてくれないのだろう。まったく世の中は、理不尽なことだらけだ。
そんなことを思いながら、私は少し冷めてしまったお茶を、一気に飲み干した。
それは壮絶というか、デンジャラスというか、まぁ…………波乱万丈という言葉がぴったりの内容だった。
かいつまんで説明すると、アイリーンさんの故郷は、ここよりもっと北に位置するそこそこ大きな街。そして冬になると、辺り一面が銀世界になるらしい。
そこでアイリーンさんは、裕福な商家の長女として生まれ育ち、そして年頃になると親が決めた男と婚約をした。父親が婚約を決めたのは、その男の遠縁に貴族がいたからだ。
けれど、その男は最低最悪のゴミのような人間だったようだ。
閉鎖的な土地柄のせいか、男尊女卑は当たり前。亭主関白上等。そしてアイリーンさんの実家のお金で散財しまくり、挙句の果てには、婚約中でもガンガン浮気を繰り返し、結婚後には愛人を迎えると豪語する男だった。
正直、私はその話を聞いた時に、そんな頭の線がねじ切れた男が存在するのか確認してしまった。しかも、2回も。アイリーンさんは嫌な顔はしなかったけれど、『本当にいるんです』と言った時の顔は、迫力満点で彼女が語ることは嘘偽りないと、しっかり理解することができた。
そんな最低男と婚約したアイリーンさんは、貴族令嬢ではないけれど裕福な家庭で育ったため、淑女の教育を受けていた。そしてその教えを素直に守り、必死に耐えた。そう、涙を流しながら歯を食いしばりながら必死に耐えた。耐えて、耐えて、耐え忍んで───そして、キレた。
この辺りの説明はだいぶ端折られてしまったけれど、婚約者をぶん殴り、髪を掴んで引きずり回し、今まで受けた屈辱を鉄拳制裁という形で少々返済して、家を飛び出したそうだ。
家出といっても、あれ程のことをしたのだから勘当のようなもの。頼る人なといないアイリーンさんは、最初は修道院に入るつもりだったらしい。でも、父親が勝手に決めた縁談で、かつ、最低な婚約者に振り回された挙句に自分の人生を神に祈ることだけに捧げるなんて、冗談じゃない。そう、思ったそうだ。
そしてアイリーンさんは、気合いだけでこの街に来た。貴族がひしめき合う王都で、自分のこれまで培った知識を生かして、働き始めたのだ。
最初は小間物屋の売り子。それから帳簿を任されるようになって、近所の子供に読み書きを教えるようになり、それが評判となって、ロフィ家の家庭教師となったそうだ。
…………そこで私はふと思った。ロフィ家、公爵家のわりに、雇用基準が随分と柔軟性に富んでいるな、と。
でも、その疑問は口にすべきではないことはわかっているので、不意に浮かんだそれは、闇に葬ることにした。
さて、話を元に戻すけれど、それからアイリーンさんは、優秀な家庭教師として、ご子息二人を時には優しく、時には厳しく教育し、次男坊が寄宿学校に入学したのを期に引退して、ここで隠居生活を始めたそうだ。
そんな風にさっくりと話してくれたアイリーンさんの半生の中で、レオナードはほとんど出てこなかった。きっとレオナードが自分の半生を語ったら、そのほとんどがアイリーンさんのことなのに。
それを不公平と思ってはいけない。交わった人に対して、どこに重きを置くかは、人それぞれなのだから。
そんなことをぼんやりと考えながら、じっとアイリーンさんの話に耳を傾ける。そしてこの話もそろそろ終わりを迎えようとしていた。
「実はね、両親からは何度も手紙が届いていたんです。何も心配しなくて良い。戻ってこい、と。でも、なかなか決心がつかなくて…………。生まれ育った故郷より、この街で過ごした期間の方が長いせいで、ずるずると居座ってしまいました。でも、そろそろ帰るべき時が来たようです。ふふっ、それに年寄りには、この街は少し騒がしすぎますからね」
最後は、おどけた口調でそんなことを言うアイリーンさんだったけれど、ふぅっと小さく息を付いて、お茶を口に含んだ。溜息は付いたけれど、背筋は凛と伸びたままで。
その姿は誰がどう見たって、老いている様子はない。わざとそう言っているのだ。きっとアイリーンさんが故郷に戻る決心をしたのは、この街が騒がしいからでもなく、彼女の年齢のせいでもない。
レオナードと距離を取るためなのだ。自分に求婚してくれた教え子の未来のために、そっと自分の存在を消そうと思ったのだろう。
アイリーンさんの決断は、潔いと称されることなのかもしれない。でも私は、やっぱり、どうして?と思ってしまう。
どうしてレオナードじゃ、駄目なんだろう。彼はとても素敵な人だ。二人の間には諸々と障害があるかもしれない。でも、彼ならきっと、いや、絶対に何とかする。
だってレオナードは、アイリーンさんと結ばれる為なら、自分の身分を捨てても良いとすら言っていた。私の家のようなインチキ爵位なんかじゃない、失ったら二度と手に入れることができないものなのに。まったく執着などないといった感じで、さらりと言ってのけたのを、私はちゃんと覚えている。
「…………お茶、冷めてしまうわ。さ、飲んでください」
無言で俯く私を気遣うアイリーンさんの声音は、とても柔らかい。
その声が私なんかじゃなく、どうしてレオナードに向いてくれないのだろう。まったく世の中は、理不尽なことだらけだ。
そんなことを思いながら、私は少し冷めてしまったお茶を、一気に飲み干した。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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