これは未来に続く婚約破棄

茂栖 もす

文字の大きさ
上 下
98 / 114

24日目⑤

しおりを挟む
 無地のカップを持ち上げて、お茶を一口飲んだアイリーンさんは、静かに自分の半生を語りだした。

 それは壮絶というか、デンジャラスというか、まぁ…………波乱万丈という言葉がぴったりの内容だった。

 かいつまんで説明すると、アイリーンさんの故郷は、ここよりもっと北に位置するそこそこ大きな街。そして冬になると、辺り一面が銀世界になるらしい。

 そこでアイリーンさんは、裕福な商家の長女として生まれ育ち、そして年頃になると親が決めた男と婚約をした。父親が婚約を決めたのは、その男の遠縁に貴族がいたからだ。

 けれど、その男は最低最悪のゴミのような人間だったようだ。

 閉鎖的な土地柄のせいか、男尊女卑は当たり前。亭主関白上等。そしてアイリーンさんの実家のお金で散財しまくり、挙句の果てには、婚約中でもガンガン浮気を繰り返し、結婚後には愛人を迎えると豪語する男だった。

 正直、私はその話を聞いた時に、そんな頭の線がねじ切れた男が存在するのか確認してしまった。しかも、2回も。アイリーンさんは嫌な顔はしなかったけれど、『本当にいるんです』と言った時の顔は、迫力満点で彼女が語ることは嘘偽りないと、しっかり理解することができた。

 そんな最低男と婚約したアイリーンさんは、貴族令嬢ではないけれど裕福な家庭で育ったため、淑女の教育を受けていた。そしてその教えを素直に守り、必死に耐えた。そう、涙を流しながら歯を食いしばりながら必死に耐えた。耐えて、耐えて、耐え忍んで───そして、キレた。

 この辺りの説明はだいぶ端折られてしまったけれど、婚約者をぶん殴り、髪を掴んで引きずり回し、今まで受けた屈辱を鉄拳制裁という形で少々返済して、家を飛び出したそうだ。

 家出といっても、あれ程のことをしたのだから勘当のようなもの。頼る人なといないアイリーンさんは、最初は修道院に入るつもりだったらしい。でも、父親が勝手に決めた縁談で、かつ、最低な婚約者に振り回された挙句に自分の人生を神に祈ることだけに捧げるなんて、冗談じゃない。そう、思ったそうだ。

 そしてアイリーンさんは、気合いだけでこの街に来た。貴族がひしめき合う王都で、自分のこれまで培った知識を生かして、働き始めたのだ。

 最初は小間物屋の売り子。それから帳簿を任されるようになって、近所の子供に読み書きを教えるようになり、それが評判となって、ロフィ家の家庭教師となったそうだ。

 …………そこで私はふと思った。ロフィ家、公爵家のわりに、雇用基準が随分と柔軟性に富んでいるな、と。

 でも、その疑問は口にすべきではないことはわかっているので、不意に浮かんだそれは、闇に葬ることにした。

 さて、話を元に戻すけれど、それからアイリーンさんは、優秀な家庭教師として、ご子息二人を時には優しく、時には厳しく教育し、次男坊が寄宿学校に入学したのを期に引退して、ここで隠居生活を始めたそうだ。

 そんな風にさっくりと話してくれたアイリーンさんの半生の中で、レオナードはほとんど出てこなかった。きっとレオナードが自分の半生を語ったら、そのほとんどがアイリーンさんのことなのに。 
 
 それを不公平と思ってはいけない。交わった人に対して、どこに重きを置くかは、人それぞれなのだから。

 そんなことをぼんやりと考えながら、じっとアイリーンさんの話に耳を傾ける。そしてこの話もそろそろ終わりを迎えようとしていた。

「実はね、両親からは何度も手紙が届いていたんです。何も心配しなくて良い。戻ってこい、と。でも、なかなか決心がつかなくて…………。生まれ育った故郷より、この街で過ごした期間の方が長いせいで、ずるずると居座ってしまいました。でも、そろそろ帰るべき時が来たようです。ふふっ、それに年寄りには、この街は少し騒がしすぎますからね」

 最後は、おどけた口調でそんなことを言うアイリーンさんだったけれど、ふぅっと小さく息を付いて、お茶を口に含んだ。溜息は付いたけれど、背筋は凛と伸びたままで。

 その姿は誰がどう見たって、老いている様子はない。わざとそう言っているのだ。きっとアイリーンさんが故郷に戻る決心をしたのは、この街が騒がしいからでもなく、彼女の年齢のせいでもない。

 レオナードと距離を取るためなのだ。自分に求婚してくれた教え子の未来のために、そっと自分の存在を消そうと思ったのだろう。

 アイリーンさんの決断は、潔いと称されることなのかもしれない。でも私は、やっぱり、どうして?と思ってしまう。

 どうしてレオナードじゃ、駄目なんだろう。彼はとても素敵な人だ。二人の間には諸々と障害があるかもしれない。でも、彼ならきっと、いや、絶対に何とかする。

 だってレオナードは、アイリーンさんと結ばれる為なら、自分の身分を捨てても良いとすら言っていた。私の家のようなインチキ爵位なんかじゃない、失ったら二度と手に入れることができないものなのに。まったく執着などないといった感じで、さらりと言ってのけたのを、私はちゃんと覚えている。

「…………お茶、冷めてしまうわ。さ、飲んでください」

 無言で俯く私を気遣うアイリーンさんの声音は、とても柔らかい。

 その声が私なんかじゃなく、どうしてレオナードに向いてくれないのだろう。まったく世の中は、理不尽なことだらけだ。

 そんなことを思いながら、私は少し冷めてしまったお茶を、一気に飲み干した。
しおりを挟む
初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
感想 44

あなたにおすすめの小説

五歳の時から、側にいた

田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。 それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。 グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。 前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

せっかくですもの、特別な一日を過ごしましょう。いっそ愛を失ってしまえば、女性は誰よりも優しくなれるのですよ。ご存知ありませんでしたか、閣下?

石河 翠
恋愛
夫と折り合いが悪く、嫁ぎ先で冷遇されたあげく離婚することになったイヴ。 彼女はせっかくだからと、屋敷で夫と過ごす最後の日を特別な一日にすることに決める。何かにつけてぶつかりあっていたが、最後くらいは夫の望み通りに振る舞ってみることにしたのだ。 夫の愛人のことを軽蔑していたが、男の操縦方法については学ぶところがあったのだと気がつく彼女。 一方、突然彼女を好ましく感じ始めた夫は、離婚届の提出を取り止めるよう提案するが……。 愛することを止めたがゆえに、夫のわがままにも優しく接することができるようになった妻と、そんな妻の気持ちを最後まで理解できなかった愚かな夫のお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID25290252)をお借りしております。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

あなたのおかげで吹っ切れました〜私のお金目当てならお望み通りに。ただし利子付きです

じじ
恋愛
「あんな女、金だけのためさ」 アリアナ=ゾーイはその日、初めて婚約者のハンゼ公爵の本音を知った。 金銭だけが目的の結婚。それを知った私が泣いて暮らすとでも?おあいにくさま。あなたに恋した少女は、あなたの本音を聞いた瞬間消え去ったわ。 私が金づるにしか見えないのなら、お望み通りあなたのためにお金を用意しますわ…ただし、利子付きで。

宮廷外交官の天才令嬢、王子に愛想をつかれて婚約破棄されたあげく、実家まで追放されてケダモノ男爵に読み書きを教えることになりました

悠木真帆
恋愛
子爵令嬢のシャルティナ・ルーリックは宮廷外交官として日々忙しくはたらく毎日。 クールな見た目と頭の回転の速さからついたあだ名は氷の令嬢。 婚約者である王子カイル・ドルトラードを長らくほったらかしてしまうほど仕事に没頭していた。 そんなある日の夜会でシャルティナは王子から婚約破棄を宣言されてしまう。 そしてそのとなりには見知らぬ令嬢が⋯⋯ 王子の婚約者ではなくなった途端、シャルティナは宮廷外交官の立場まで失い、見かねた父の強引な勧めで冒険者あがりの男爵のところへ行くことになる。 シャルティナは宮廷外交官の実績を活かして辣腕を振るおうと張り切るが、男爵から命じられた任務は男爵に文字の読み書きを教えることだった⋯⋯

夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども

神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」 と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。 大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。 文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

処理中です...