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24日目④
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私の目の前にいるこの婦人は、かつてのレオナードの家庭教師を務めていた女性であり、彼が長年、想いを寄せていた人でもある。
柔和な笑みと、柔らかな物腰。一房の乱れもなく結い上げた茶褐色の髪。華美な装飾品は一切無い質素なドレスに身を包んでいるのに彼女からは清廉な花のような匂い立つ美しさがあった。それは彼女の内面から滲み出てているものなのだろう。
十代のような溌溂とした輝きはない。けれど、丁寧に月日を重ね生きてきたと思わせるその容姿は、老いというよりも美しさに磨きをかけたという言葉がぴったりだった。目尻の皺も、筋の目立つ少しかさついた手も決して醜いものではなかった。
とても綺麗な女性。素直にそう思った。そして、いつか私もそうなりたい。そう思わせる女性だった。
そこでハタと気付いた。オドオドしたかと思えば、穴が開くほどアイリーンさんを見つめる自分は、ものすごく恥ずかしい態度を取っていることに。
「し、失礼しました。私、ミリア.ホーレンスと申します。今日はお招きありがとうございます」
淑女らしくドレスの裾を持ち上げて礼を取った私にアイリーンさんは、ちょっと驚いたように目を丸くしたけれど、すぐにふわりと笑ってくれた。
まさに、百聞は一見に如かず。彼女のその笑みを見て、レオナードが恋に落ちるのは無理はないと思った。そして長年想い続けるのも、拒絶されても諦めきれないのも仕方が無いと思ってしまった。
それから『立ち話もなんですから、奥へどうぞ』と促され、私は客間の椅子に腰掛ける。アイリーンさんは私を通した後、すぐにお茶を淹れるために席を外してしまった。
不躾にならぬよう、そっと部屋を見渡す。簡素…………というか、質素というか。物がほとんどないこの部屋は閑散としていて、とても寒々しい感じがした。
私がいるのは、客間と呼ばれるところなのだろう。でも、家具と呼ばれるのは、作り付けの棚と、木製の椅子が2脚とテーブルだけ。ちなみに私はその木製の椅子に腰かけている。視界の端に、少しだけ空いた出窓のレースのカーテンが映りこむ。よく見れば、水色の小花の刺繍が刺してある。それだけが、唯一、この部屋を彩るものだった。
窓から入り込んだ風がカーテンをふわりと浮き上がらせたのをきっかけに、視線を外す。そこで私は、ふと違和感に気付く。古びた花柄の壁紙は色褪せているけれど、不自然なムラがあるのだ。つい先日までそこに何かがあったかのように。
「お呼びたてしたのに、こんな部屋に通してしまって、ごめんなさいね」
不意に声を掛けられ、振り返れば、そこには二人分のお茶をトレーに乗せて苦笑を苦笑を浮かべるアイリーンさんがいた。とりあえず、そんなことはないです的な意味を込めて首を横に振る。でも、まぁ………それは、やっぱり無理があったようで、アイリーンさんはくすっと小さく笑った。
「ふふっ。気を遣ってくれてありがとうございます。でも、良いんですよ。どう見てもここは、お客様をお通しするには相応しくない場所です。言い訳ですが、ちょっと前でしたら、もう少しマシな部屋だったんですけどね。………実は、わたくし、引っ越し…………というか、ここを近々引き払おうと思っているんです」
「え?」
驚いて声を上げて見たけれど、壁紙を見た時に、なんとなくそんな予感がした。そして、そうわかったら、次に聞きたくなるのは、どこに?という問いで。けれど、それは声に出す前に、アイリーンさんお茶を出しながら答えてくれた。
「故郷に帰ろうと思っておりますの」
「…………っ」
なんでもないような口調で紡がれたその言葉に、どうリアクションしていいのかわからず、小さく息を呑む。
そんな私を一瞥したアイリーンさんは、向かいの席に腰掛け、お茶をどうぞと柔らかく微笑んだ。でも、私はお茶に口を付けることはせず、一呼吸置いて、おずおずと、こう問いかけた。
「あ、あの…………そのことは、レオナードには────」
「伝えておりません」
ついさっきの声音とは打って変わって、ぴしゃりと跳ねのけるような冷たい声だった。そして、伝えないで。絶対に言わないで。そうアイリーンさんの眼が強く私に訴える。
でも私は、はい、わかりました。などと、素直に頷けるわけがない。
だって、レオナードはこの一か月でアイリーンさんを口説くと豪語していた。なのに、肝心のその人かいなくなってしまったら、どうすることもできない。そして、私は途方に暮れるレオナードの姿なんて見たくない。
「どうして………と、聞いても良いですか?」
アイリーンさんがそこに触れて欲しくないのはわかっている。でも、レオナードに黙っていて欲しいなら、私にだってそれ相応の理由が欲しい。
そんな気持ちでじっと眼前の婦人を見つめる。
そして視線を絡ませること数秒。根負けしたのは、彼女のほうだった。
「そう………そうですね。あなたになら、お話してもいいかしら」
ポツリと呟いたアイリーンさんは、小さな声音とは裏腹に、大きな決心をしたようだった。
「…………ミリア様、よかったら少し、わたくしの昔話にお付き合いいただいてもよろしいかしら?」
「はい」
食い気味に私が頷くと同時に、アイリーンさんは、静かに語りだした。
柔和な笑みと、柔らかな物腰。一房の乱れもなく結い上げた茶褐色の髪。華美な装飾品は一切無い質素なドレスに身を包んでいるのに彼女からは清廉な花のような匂い立つ美しさがあった。それは彼女の内面から滲み出てているものなのだろう。
十代のような溌溂とした輝きはない。けれど、丁寧に月日を重ね生きてきたと思わせるその容姿は、老いというよりも美しさに磨きをかけたという言葉がぴったりだった。目尻の皺も、筋の目立つ少しかさついた手も決して醜いものではなかった。
とても綺麗な女性。素直にそう思った。そして、いつか私もそうなりたい。そう思わせる女性だった。
そこでハタと気付いた。オドオドしたかと思えば、穴が開くほどアイリーンさんを見つめる自分は、ものすごく恥ずかしい態度を取っていることに。
「し、失礼しました。私、ミリア.ホーレンスと申します。今日はお招きありがとうございます」
淑女らしくドレスの裾を持ち上げて礼を取った私にアイリーンさんは、ちょっと驚いたように目を丸くしたけれど、すぐにふわりと笑ってくれた。
まさに、百聞は一見に如かず。彼女のその笑みを見て、レオナードが恋に落ちるのは無理はないと思った。そして長年想い続けるのも、拒絶されても諦めきれないのも仕方が無いと思ってしまった。
それから『立ち話もなんですから、奥へどうぞ』と促され、私は客間の椅子に腰掛ける。アイリーンさんは私を通した後、すぐにお茶を淹れるために席を外してしまった。
不躾にならぬよう、そっと部屋を見渡す。簡素…………というか、質素というか。物がほとんどないこの部屋は閑散としていて、とても寒々しい感じがした。
私がいるのは、客間と呼ばれるところなのだろう。でも、家具と呼ばれるのは、作り付けの棚と、木製の椅子が2脚とテーブルだけ。ちなみに私はその木製の椅子に腰かけている。視界の端に、少しだけ空いた出窓のレースのカーテンが映りこむ。よく見れば、水色の小花の刺繍が刺してある。それだけが、唯一、この部屋を彩るものだった。
窓から入り込んだ風がカーテンをふわりと浮き上がらせたのをきっかけに、視線を外す。そこで私は、ふと違和感に気付く。古びた花柄の壁紙は色褪せているけれど、不自然なムラがあるのだ。つい先日までそこに何かがあったかのように。
「お呼びたてしたのに、こんな部屋に通してしまって、ごめんなさいね」
不意に声を掛けられ、振り返れば、そこには二人分のお茶をトレーに乗せて苦笑を苦笑を浮かべるアイリーンさんがいた。とりあえず、そんなことはないです的な意味を込めて首を横に振る。でも、まぁ………それは、やっぱり無理があったようで、アイリーンさんはくすっと小さく笑った。
「ふふっ。気を遣ってくれてありがとうございます。でも、良いんですよ。どう見てもここは、お客様をお通しするには相応しくない場所です。言い訳ですが、ちょっと前でしたら、もう少しマシな部屋だったんですけどね。………実は、わたくし、引っ越し…………というか、ここを近々引き払おうと思っているんです」
「え?」
驚いて声を上げて見たけれど、壁紙を見た時に、なんとなくそんな予感がした。そして、そうわかったら、次に聞きたくなるのは、どこに?という問いで。けれど、それは声に出す前に、アイリーンさんお茶を出しながら答えてくれた。
「故郷に帰ろうと思っておりますの」
「…………っ」
なんでもないような口調で紡がれたその言葉に、どうリアクションしていいのかわからず、小さく息を呑む。
そんな私を一瞥したアイリーンさんは、向かいの席に腰掛け、お茶をどうぞと柔らかく微笑んだ。でも、私はお茶に口を付けることはせず、一呼吸置いて、おずおずと、こう問いかけた。
「あ、あの…………そのことは、レオナードには────」
「伝えておりません」
ついさっきの声音とは打って変わって、ぴしゃりと跳ねのけるような冷たい声だった。そして、伝えないで。絶対に言わないで。そうアイリーンさんの眼が強く私に訴える。
でも私は、はい、わかりました。などと、素直に頷けるわけがない。
だって、レオナードはこの一か月でアイリーンさんを口説くと豪語していた。なのに、肝心のその人かいなくなってしまったら、どうすることもできない。そして、私は途方に暮れるレオナードの姿なんて見たくない。
「どうして………と、聞いても良いですか?」
アイリーンさんがそこに触れて欲しくないのはわかっている。でも、レオナードに黙っていて欲しいなら、私にだってそれ相応の理由が欲しい。
そんな気持ちでじっと眼前の婦人を見つめる。
そして視線を絡ませること数秒。根負けしたのは、彼女のほうだった。
「そう………そうですね。あなたになら、お話してもいいかしら」
ポツリと呟いたアイリーンさんは、小さな声音とは裏腹に、大きな決心をしたようだった。
「…………ミリア様、よかったら少し、わたくしの昔話にお付き合いいただいてもよろしいかしら?」
「はい」
食い気味に私が頷くと同時に、アイリーンさんは、静かに語りだした。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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