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24日目③
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声というのは、感情を乗せるもの。言葉が形なら、声は色。そしてそれは相手に何かを伝える為のもの。
楽しさを、嬉しさを、悲しさを、不機嫌さを。
でも、今レオナードが私に伝えたいことは何だろう。とても色鮮やかに何かを伝えようとしているけれど、なにぶん発した言葉は私の名だ。そんな形では、わからない。
曖昧なことは嫌。ちゃんと言葉にして。
そうレオナードに訴えようとした瞬間、馬車は静かに停まった。
「ああ、到着したか」
そう言って、中腰になったレオナードの声はいつも耳にしているそれ。さっきの声音とはまるで違った。………もしかして、私の勘違いだったのかもしれない。いや、多分そうだ。
若干、無理矢理感はあるけれど、そう自分に納得させた途端、レオナードは馬車の扉を開けて私に降りるよう促した。
言われるまま、歩道に降り立てば、そこは屋敷とは呼べない、こじんまりとした家がひしめき合う平民の住宅街だった。
「ミリア嬢、この建物の2階だ。気を付けて…………といっても、階段を上るだけだからその発言は不必要かもしれない。だが、見送る立場としてはそう言わせ────」
「ちょっと待った」
レオナードの言葉を遮って、私は恐る恐る問いかけた。
「レオナード、まさか私一人…………で?」
「ああ、そのまさかだ」
「無理。帰るっ」
「ま、待ってくれ、ミリア嬢」
くるりと踵を返した私の腕をレオナードは慌てて掴んだ。
冗談じゃない。誰が待つかっ。そんな気持ちから、彼の手を勢いよく振り払う。そしてその勢いのまま、私はレオナードに向かって叫んだ。
「嫌よ。帰るっ。絶対に帰るっ。だって私、二人っきりだなんて聞いてないものっ」
「ああ、言ってないからな」
子供のように地団太を踏む私とは正反対に、レオナードはとても落ち着いていた。いやいやいやいや、どう考えても、その態度はおかしいし、いただけない。
「だまし討ち!?」
「失敬な。失念していただけだ」
「もっと悪いっ」
渾身の力で、ツッコミを入れれば、レオナードはとてもとても狡い言葉を吐いた。
「ミリア嬢、失念していたことは謝る。すまなかった。ただミリア嬢、このまま敵前逃亡すして良いのか?」
「………うっ」
このタイミングでその言葉は姑息だ。父上の軍人の血を受け継いだことを今ほど悔いたことはなかった。くそっ。でも、そう言われたら引くに引けなくなってしまう。
「わかったわ。でも、レオナード覚えておきなさい。やられたら100倍返し、これが私のモットーよ」
「…………ああ、胸に、いや魂に刻んでおく」
そう捨て台詞を吐いた私に、レオナードは生真面目な表情で、噛み締めるように頷いた。
アイリーンさんが暮らしている集合住宅の階段を上がり、指定された部屋の呼び鈴を鳴らす。そして待つこと数秒。ガチャリと扉が開く。そうすれば、一人の女性が姿を現した────。
「ミリア様ですね。お待ちしておりました」
開けられた扉の先には、レオナードの想い人であるアイリーンさんが立っていた。
「狭い家ですが。さっ、どうぞ」
「…………はぁ。お、お邪魔します」
手のひらで部屋の中に入るよう促され、ぎこちなく足を踏み入れる。そうすれば、くすりと吐息のような笑い声が耳朶を刺す。驚いて、声のする方を見れば、アイリーンさんが苦笑を浮かべていた。
「そんな恐縮なさらないで、ミリア様。先ほどのような、元気なお姿をわたくしにも見せてください」
「………え?」
目をぱちくりとしてしまう私に、アイリーンさんは、くるりと視線を向ける。そして、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。
「あなたとレオナード様が言い争う声が、ここまで聞こえてきましたよ」
「!!!!!」
最悪だ。いや、あんな大声を出していたのだから、聞かれていても仕方がない。
そう思っていても羞恥でみるみるうちに顔が熱くなる。そんな首まで真っ赤になってしまった私を見て、アイリーンさんはくすくすと笑う。でも、表情を引き締めて、すっと居住まいを正した。
「改めまして、ミリア様。わたくしアイリーンと申します。ずっとあなたにお会いしたかったのです。ご無理をいって申し訳ありません」
綺麗な所作で腰を折ったレオナードの想い人は、私が口を開く前に、再び言葉を紡いだ。
「わたくし、あの子…………いえ、失礼。レオナードが幼少の頃から家庭教師を務めておりました」
「………………」
そっか。そうなんだ。
言葉無く食い入るようにアイリーンさんを見つめる私に、眼前の女性は不快な顔などしない。穏やかに笑みを浮かべている。目元の皺を少し深くしながら。
この人はレオナードの想い人。かつて彼の家庭教師だった人。彼とは一回り以上、年の離れた婦人。
レオナードはずっと、自分より遥かに長い年月を生きてきた女性に片思いしてきたのだった。
楽しさを、嬉しさを、悲しさを、不機嫌さを。
でも、今レオナードが私に伝えたいことは何だろう。とても色鮮やかに何かを伝えようとしているけれど、なにぶん発した言葉は私の名だ。そんな形では、わからない。
曖昧なことは嫌。ちゃんと言葉にして。
そうレオナードに訴えようとした瞬間、馬車は静かに停まった。
「ああ、到着したか」
そう言って、中腰になったレオナードの声はいつも耳にしているそれ。さっきの声音とはまるで違った。………もしかして、私の勘違いだったのかもしれない。いや、多分そうだ。
若干、無理矢理感はあるけれど、そう自分に納得させた途端、レオナードは馬車の扉を開けて私に降りるよう促した。
言われるまま、歩道に降り立てば、そこは屋敷とは呼べない、こじんまりとした家がひしめき合う平民の住宅街だった。
「ミリア嬢、この建物の2階だ。気を付けて…………といっても、階段を上るだけだからその発言は不必要かもしれない。だが、見送る立場としてはそう言わせ────」
「ちょっと待った」
レオナードの言葉を遮って、私は恐る恐る問いかけた。
「レオナード、まさか私一人…………で?」
「ああ、そのまさかだ」
「無理。帰るっ」
「ま、待ってくれ、ミリア嬢」
くるりと踵を返した私の腕をレオナードは慌てて掴んだ。
冗談じゃない。誰が待つかっ。そんな気持ちから、彼の手を勢いよく振り払う。そしてその勢いのまま、私はレオナードに向かって叫んだ。
「嫌よ。帰るっ。絶対に帰るっ。だって私、二人っきりだなんて聞いてないものっ」
「ああ、言ってないからな」
子供のように地団太を踏む私とは正反対に、レオナードはとても落ち着いていた。いやいやいやいや、どう考えても、その態度はおかしいし、いただけない。
「だまし討ち!?」
「失敬な。失念していただけだ」
「もっと悪いっ」
渾身の力で、ツッコミを入れれば、レオナードはとてもとても狡い言葉を吐いた。
「ミリア嬢、失念していたことは謝る。すまなかった。ただミリア嬢、このまま敵前逃亡すして良いのか?」
「………うっ」
このタイミングでその言葉は姑息だ。父上の軍人の血を受け継いだことを今ほど悔いたことはなかった。くそっ。でも、そう言われたら引くに引けなくなってしまう。
「わかったわ。でも、レオナード覚えておきなさい。やられたら100倍返し、これが私のモットーよ」
「…………ああ、胸に、いや魂に刻んでおく」
そう捨て台詞を吐いた私に、レオナードは生真面目な表情で、噛み締めるように頷いた。
アイリーンさんが暮らしている集合住宅の階段を上がり、指定された部屋の呼び鈴を鳴らす。そして待つこと数秒。ガチャリと扉が開く。そうすれば、一人の女性が姿を現した────。
「ミリア様ですね。お待ちしておりました」
開けられた扉の先には、レオナードの想い人であるアイリーンさんが立っていた。
「狭い家ですが。さっ、どうぞ」
「…………はぁ。お、お邪魔します」
手のひらで部屋の中に入るよう促され、ぎこちなく足を踏み入れる。そうすれば、くすりと吐息のような笑い声が耳朶を刺す。驚いて、声のする方を見れば、アイリーンさんが苦笑を浮かべていた。
「そんな恐縮なさらないで、ミリア様。先ほどのような、元気なお姿をわたくしにも見せてください」
「………え?」
目をぱちくりとしてしまう私に、アイリーンさんは、くるりと視線を向ける。そして、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべてこう言った。
「あなたとレオナード様が言い争う声が、ここまで聞こえてきましたよ」
「!!!!!」
最悪だ。いや、あんな大声を出していたのだから、聞かれていても仕方がない。
そう思っていても羞恥でみるみるうちに顔が熱くなる。そんな首まで真っ赤になってしまった私を見て、アイリーンさんはくすくすと笑う。でも、表情を引き締めて、すっと居住まいを正した。
「改めまして、ミリア様。わたくしアイリーンと申します。ずっとあなたにお会いしたかったのです。ご無理をいって申し訳ありません」
綺麗な所作で腰を折ったレオナードの想い人は、私が口を開く前に、再び言葉を紡いだ。
「わたくし、あの子…………いえ、失礼。レオナードが幼少の頃から家庭教師を務めておりました」
「………………」
そっか。そうなんだ。
言葉無く食い入るようにアイリーンさんを見つめる私に、眼前の女性は不快な顔などしない。穏やかに笑みを浮かべている。目元の皺を少し深くしながら。
この人はレオナードの想い人。かつて彼の家庭教師だった人。彼とは一回り以上、年の離れた婦人。
レオナードはずっと、自分より遥かに長い年月を生きてきた女性に片思いしてきたのだった。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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