これは未来に続く婚約破棄

茂栖 もす

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21日目②

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 執務机に着席して指を組んだまま、じっと私を見つめる父上の表情は同じ血が流れる娘の私でも背筋が凍りつくもの。

 そして父上は、やると言ったら必ずやる男だ。いや殺すやると言ったら必ず殺すやる男だ。
 
 そして貴族という称号を持ってはいるけれど、貴族社会という輪の中に属していないと勝手に決めつけている。その最たる例が、つい今しがた聞いたロフィ家のご当主に忠告をかましてくれた件だ。

 …………さてさて、困った。本当に困った。この状況どう切り抜けようか。

 正論を言って切り抜けるか、嫌だと泣いてごねるか。そんな一瞬のうちに、色んな案が浮かんだけれど、結局私が選んだのはこれだった。
 
「わかりました。お父様」

 両手を揃えて居住まいを正した私は、丁寧に一礼する。けれど、すぐに顔を上げてこう言った。

「ですが、今すぐ…………ではなく、少しお時間をください。気持ちを整理するために」 

 瞬間、父上の眉がピクリと撥ねた。

 もちろんそれも予測済み。なので私は、父上が口を開く前に、慌てて言葉を挟み込んだ。

「わたくしにとってこれは、初めての婚約でした。そして初めての婚約破棄でもあります。これから先、気持ちを切り替えるためにも、数日の間で結構です。どうか、わたくしにお時間をくださいませ。お父様」

 一気に言い切った私は、そのままの勢いで深く腰を折った。
 
 頭を下げながら、さてこの急ごしらえの策は、吉と出るか凶と出るかと、私は内心ハラハラしている。

 そして、重い沈黙に耐え切れず、つま先を見つめながら、ごくりと唾を呑んだ瞬間、父上がやっと口を開いた。

「要求を呑もう」

 その言葉を聞いた瞬間、弾かれたように顔を上げる。眼前の父上の表情は、冷血な笑みから渋面に変っていた。

 思わずここで、よっしゃとガッツポーズを作りたくなるが、それを全力で押しとどめる。そして、私はさも悲しい表情を作り、すんと鼻をすする小芝居をかましてから口を開いた。

「…………では、お父様、わたくし部屋に戻りますわ」
「許可しよう」

 横柄なその口調に悪態の一つも付きたいところ。だが私は、しゅんと肩を落として、しょんぼり感を演出しながら父上の部屋を出た。

 けれど、扉を閉めた途端、小躍りしたくなる気持ちが溢れて思わずスキップをしてしまう。

 やった。やったっ。やったぁ!!

 作戦成功だ。土壇場でこんな名案が浮かんでくるなんて思いもよらなかった。これで、私もレオナードも間違いなく、このピンチを切り抜けることができる。

 何故かというと、この契約期間はあと10日。言い換えるなら、あと10日で自動的に婚約破棄となるのだ。

 だからこのまま【私、初めての婚約破棄で落ち込んでます】という体で部屋に引き籠っておけばいいだけの事。

 ………………ただ一つ問題なのは、この名案をレオナードにどう伝えるか、だ。

 できれば直接会いたいところだが、さすがに今日の外出は厳しそう。そして、あの感じを見るに、父上は2、3日で領地に戻る気配がない。きっと私の婚約破棄を見届けるつもりなのだろう。ならまぁ、手紙しかないか。

 と、そんなことを思いながら、レオナード宛ての手紙の文面を考えていたら────。

「ミリア、危ないっ」
「ミリア、どいてくれっ」
「────はぁ!?」

 叫んだと同時に、兄その1、2が同時に私に激突した。

 無駄に毎日鍛錬をしている大男二人に手加減なしにぶつかったその衝撃は、かなりのもの。とっさに受け身を取ろうとしたけれど間に合わず、私は不覚にも床に叩きつけられてしまった。

「─────………………兄さま…………痛いわ」
「す、すまない。ミリア」

 兄その1であるフィリップは慌てて私を起こそうと手を差し伸べるが、私はその手を渾身の力で蹴り上げた。理由は、簡単。父上似のフィリップと目が合った途端、ついさっきまでの我慢が爆発しただけた。
 
 そしてそれを横目で見ていた兄その2であるロイは、恐怖で引きつった顔のまま、床に膝を付くとそのまま頭を下げた。
 
「申し訳ない、ミリアああああああああぁあっっ」

 私の名前はそんなに『あ』は多くない。兄その2は馬鹿だが、さすがにそれは知っているはず。けれど兄その1も続くように、あっと短く叫んだ。

「………………ミリア、大丈夫か?」

 おずおずと問いかけるフィリップの視線は私に向かっているが、わずかに横にずれている。つられるように私も視線を移してみる。

 ────なんということでしょう。わたくしの手首が、明後日の方向をむいておりますわ。

 そして、それに気付いた途端、ドクンドクンと脈打つように痛みを覚える。まるで心臓がそこに移動したかのように。  

 私は痛みに顔を顰めながら、兄二人の顔を交互に見つめる。そして、自分でもびっくりすぐるらい低い声でこう言った。

「………………ねえ、お兄様、どう落とし前を付ける気ですか?」
「………………」
「………………」

 顔面蒼白になった兄二人は、なにも語らない。

 そりゃそうだろう。私だってあまりの痛みに、今はどうして欲しいのかわからない。強いて言うなら、この痛みを引き取ってほしい。

 でも、そんなことできるわけはない。なら、今はこう言う他ないだろう。

「一つ貸しですわよ」

 にこりと笑みを浮かべた私に、兄二人は土下座をしながら『もちろんだ』と即答した。

 のちのちこの一件がとても役に立つ。そしてこれはまさに、怪我の功名だった。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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