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15日目⑥
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「淑女をこのような暗闇に引きずり込むなど、紳士の風上にもおけませんな、シェナンド殿」
ざっざっとと芝生を踏み締める音と共に、ここずっと毎日耳にしている彼の声が、夜の庭に響いた。けれど、その声音は今までに聞いたことも無いほど、硬く冷え冷えとしたものだった。
驚いて声のするほうに向いた瞬間、思わず息を呑む。
いつも澄んだ翡翠色を湛えているその瞳は、触れるものみな切り落とすような鋭利な刃物のようだった。
「…………レオナード」
咄嗟に彼の名を紡いでみても、続きの言葉が見つからない。レオナードはこんな表情を浮かべるような人だったのか。まるで別人のようだ。
そして名を呼ばれた彼は、一瞬、私に視線を向ける。その眼差しはいつも通りのそれ。その切り替えの素早さに、私はまた彼の隠された特技を知る。……………って、今は、そんなことはどうでも良い。
という究極にどうでも良いことを考えているうちに、レオナードは私とシェナンドの間に流れるように滑り込んだ。そしてあっという間に現在進行形で跪いているその男の胸倉を荒々しく掴んだ。
「彼女に、触れるな」
決して声を荒げたわけではない。けれど、それは心臓に突き刺さるような、力のある言葉だった。そして、レオナードは、そのままシェナンドをあらぬ方向へと投げ捨てた。
成人した男性を、自分とほぼ同じ体格の男を、軽々と片手で投げ捨てたのだ。思わず我が目を疑った。
「シェナンド殿、自分が何をしたかわかっておられるか?」
レオナードはそう言いながら立ち上がると、ゆっくりシェナンドの方へと足を向けた。なんだろう、とても嫌な予感がして、思わずごくりと唾を呑んでしまう。
そしてその予感は見事に的中した。
「ふざけた真似をしてくれたな。二度と彼女に触れないように、その腕を使い物にならなくしてやろうか」
普段のレオナードからは想像もできない、荒々しい口調に目を瞠った瞬間、彼はその長い足で、倒れこんでいるシェナンドの腕を踏みつけたのだ。
途端に、うげっというか、うぎゃっというか、断末魔のようなうめき声が庭に響いた。かく言う私も、ぎゃっと短い悲鳴をあげて、思わず目を瞑ってしまった。
自分でやるときは、的を定める必要があるから、目を逸らすことはないけれど、第三者の立場でいると、途端に臆病になってしまう自分に不思議だなと、冷静に考えてしまう。という、思考がよそに飛んでしまった私の耳朶に、再びレオナードの声音が響いた。
「そう喚くなよ。一度も剣すら持ったことのない腕だ。使えなくなったところで、そう困ることはないだろ?」
そしてほんの一部だけ冷静な私より、はるかに冷静な表情を浮かべるレオナードは、感情の起伏など感じさせない声音で、シェナンドの腕を踵でぐりぐりと押しつぶす。これは痛い。かなり痛い。
けれど、レオナードは眉一つ動かさず、腕を抑えのたうち回るシェナンドの胸倉を再び掴み、顔を近づけた。そこでやっと彼の表情が動く。冷血、冷淡、残忍、そんな言葉がぴったりの笑みを。
次いで、シェナンドの耳元でレオナードは何かを囁いた。けれど、その声音は小さすぎて、私のところまでは届かなかった。下世話と言われても仕方がないけれど、何を言ったのか無性に気になる。
でも、シェナンドの顔色がみるみるうちに青ざめ、項垂れるさまを見て、どういう類のものなのか、瞬時に悟ることができた。この世には聞かなくて良いことが山ほどある。
そんなこんな事情で、むくりと湧いた好奇心を無理やり押さえつけている私をよそに、レオナードは少し乱れた上着の襟を正し、手についた埃を払ってから、私に手を差し伸べた。
「では、帰ろうかミリア嬢」
「え?あ、そうね。帰りましょう…………───って、ちょっと、レオナードっ」
頷いて、彼の手を取ろうとした瞬間、膝裏にレオナードが手を入れる気配がした。次いでふわりと身体が浮く。数拍遅れて、レオナードが私を横抱きにしたことに気付いた。
「怪我はないか?ミリア嬢」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、レオナード。……………ところで、私、歩けるんだけれど…………」
「だからどうしたのだ?」
何事もなかったかのように、穏やかに問いかけるレオナードに私も冷静さを取り戻す。そして冷静になればなるほど、この状況が無性に恥ずかしくなる。
けれど、私の訴えをあっさり疑問形で切り捨てたレオナードは、勝手に持論を展開し始めた。
「馬車までは、まだ少し距離がある。こうして歩くほうが、合理的だ」
「……………………」
そういう問題ではない。でも、身動ぎした途端、私を抱える腕に力がこもる。なんでだろう。同じ異性の腕だというのに、やり込められた不満はあるけれど不快さは全然ない。シェナンドの時は殺意しか芽生えなかったというのに、とても不思議だ。という小さな疑問が生まれ、首を傾げていたら────。
「ミリア嬢、本当なのか!?答えてくれ……………こんな…………こんな男に、私の美しい毒花は手折られたというのか…………頼む、嘘だと言ってくれっ」
負け犬の遠吠え、というのは、いささか表現が違うけれど、シェナンドは背を向けた私に悲痛な叫びを浴びせた。それに既視感を覚える。というか、ついさっき、ほぼ同じ状況を経験したばかりだ。
そして、こういうところチェフ家の令嬢と一緒だなと、つくづく血のつながりを感じてしまう。でも、彼らの両親は相当、こんな馬鹿息子をこの世に生み出してしまったことに頭を痛めているだろう。心中お察し申し上げますと、心の中で手を合わせる。
そんな中、シェナンドは再び答えてくれと言いながら私の名を呼ぶ。けれど、それに応えたのは私ではなくレオナードだった。
「ぎゃんぎゃん煩い犬だ。……………シェナンド殿、だとしたら、お前どうする?」
初夏の香りが孕んだ、月の美しい夜だというのに、レオナードのその声音は、凍てつく季節のような底冷えのするものだった。
ざっざっとと芝生を踏み締める音と共に、ここずっと毎日耳にしている彼の声が、夜の庭に響いた。けれど、その声音は今までに聞いたことも無いほど、硬く冷え冷えとしたものだった。
驚いて声のするほうに向いた瞬間、思わず息を呑む。
いつも澄んだ翡翠色を湛えているその瞳は、触れるものみな切り落とすような鋭利な刃物のようだった。
「…………レオナード」
咄嗟に彼の名を紡いでみても、続きの言葉が見つからない。レオナードはこんな表情を浮かべるような人だったのか。まるで別人のようだ。
そして名を呼ばれた彼は、一瞬、私に視線を向ける。その眼差しはいつも通りのそれ。その切り替えの素早さに、私はまた彼の隠された特技を知る。……………って、今は、そんなことはどうでも良い。
という究極にどうでも良いことを考えているうちに、レオナードは私とシェナンドの間に流れるように滑り込んだ。そしてあっという間に現在進行形で跪いているその男の胸倉を荒々しく掴んだ。
「彼女に、触れるな」
決して声を荒げたわけではない。けれど、それは心臓に突き刺さるような、力のある言葉だった。そして、レオナードは、そのままシェナンドをあらぬ方向へと投げ捨てた。
成人した男性を、自分とほぼ同じ体格の男を、軽々と片手で投げ捨てたのだ。思わず我が目を疑った。
「シェナンド殿、自分が何をしたかわかっておられるか?」
レオナードはそう言いながら立ち上がると、ゆっくりシェナンドの方へと足を向けた。なんだろう、とても嫌な予感がして、思わずごくりと唾を呑んでしまう。
そしてその予感は見事に的中した。
「ふざけた真似をしてくれたな。二度と彼女に触れないように、その腕を使い物にならなくしてやろうか」
普段のレオナードからは想像もできない、荒々しい口調に目を瞠った瞬間、彼はその長い足で、倒れこんでいるシェナンドの腕を踏みつけたのだ。
途端に、うげっというか、うぎゃっというか、断末魔のようなうめき声が庭に響いた。かく言う私も、ぎゃっと短い悲鳴をあげて、思わず目を瞑ってしまった。
自分でやるときは、的を定める必要があるから、目を逸らすことはないけれど、第三者の立場でいると、途端に臆病になってしまう自分に不思議だなと、冷静に考えてしまう。という、思考がよそに飛んでしまった私の耳朶に、再びレオナードの声音が響いた。
「そう喚くなよ。一度も剣すら持ったことのない腕だ。使えなくなったところで、そう困ることはないだろ?」
そしてほんの一部だけ冷静な私より、はるかに冷静な表情を浮かべるレオナードは、感情の起伏など感じさせない声音で、シェナンドの腕を踵でぐりぐりと押しつぶす。これは痛い。かなり痛い。
けれど、レオナードは眉一つ動かさず、腕を抑えのたうち回るシェナンドの胸倉を再び掴み、顔を近づけた。そこでやっと彼の表情が動く。冷血、冷淡、残忍、そんな言葉がぴったりの笑みを。
次いで、シェナンドの耳元でレオナードは何かを囁いた。けれど、その声音は小さすぎて、私のところまでは届かなかった。下世話と言われても仕方がないけれど、何を言ったのか無性に気になる。
でも、シェナンドの顔色がみるみるうちに青ざめ、項垂れるさまを見て、どういう類のものなのか、瞬時に悟ることができた。この世には聞かなくて良いことが山ほどある。
そんなこんな事情で、むくりと湧いた好奇心を無理やり押さえつけている私をよそに、レオナードは少し乱れた上着の襟を正し、手についた埃を払ってから、私に手を差し伸べた。
「では、帰ろうかミリア嬢」
「え?あ、そうね。帰りましょう…………───って、ちょっと、レオナードっ」
頷いて、彼の手を取ろうとした瞬間、膝裏にレオナードが手を入れる気配がした。次いでふわりと身体が浮く。数拍遅れて、レオナードが私を横抱きにしたことに気付いた。
「怪我はないか?ミリア嬢」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、レオナード。……………ところで、私、歩けるんだけれど…………」
「だからどうしたのだ?」
何事もなかったかのように、穏やかに問いかけるレオナードに私も冷静さを取り戻す。そして冷静になればなるほど、この状況が無性に恥ずかしくなる。
けれど、私の訴えをあっさり疑問形で切り捨てたレオナードは、勝手に持論を展開し始めた。
「馬車までは、まだ少し距離がある。こうして歩くほうが、合理的だ」
「……………………」
そういう問題ではない。でも、身動ぎした途端、私を抱える腕に力がこもる。なんでだろう。同じ異性の腕だというのに、やり込められた不満はあるけれど不快さは全然ない。シェナンドの時は殺意しか芽生えなかったというのに、とても不思議だ。という小さな疑問が生まれ、首を傾げていたら────。
「ミリア嬢、本当なのか!?答えてくれ……………こんな…………こんな男に、私の美しい毒花は手折られたというのか…………頼む、嘘だと言ってくれっ」
負け犬の遠吠え、というのは、いささか表現が違うけれど、シェナンドは背を向けた私に悲痛な叫びを浴びせた。それに既視感を覚える。というか、ついさっき、ほぼ同じ状況を経験したばかりだ。
そして、こういうところチェフ家の令嬢と一緒だなと、つくづく血のつながりを感じてしまう。でも、彼らの両親は相当、こんな馬鹿息子をこの世に生み出してしまったことに頭を痛めているだろう。心中お察し申し上げますと、心の中で手を合わせる。
そんな中、シェナンドは再び答えてくれと言いながら私の名を呼ぶ。けれど、それに応えたのは私ではなくレオナードだった。
「ぎゃんぎゃん煩い犬だ。……………シェナンド殿、だとしたら、お前どうする?」
初夏の香りが孕んだ、月の美しい夜だというのに、レオナードのその声音は、凍てつく季節のような底冷えのするものだった。
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初めまして、茂栖もすです。このお話は10:10に更新しています。時々20:20にも更新するので、良かったら覗いてみてください٩( ''ω'' )و
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